青少年育成連合会 | 日本の未来を【夢と希望に満ちた国】にする為に日本人の心に訴えたい
子どもは日本国の宝|私たちは【子どもをいじめと虐待、性犯罪から守る】為にあらゆる方法を講じ解決にあたります







今日は3回目の東日本大震災の
被災地訪問、青森岩手、宮城、秋田県を一週間廻り昨日帰ってきた我が親友の青少年育成連合会特別講師五十嵐由人さん。長い期間お疲れさんでした。とにかく五十嵐さんは忙しい中、被災地に行って多くの情報や避難している沢山の被災者、未だ街は瓦礫の山、まだ当分片づけを終わるまで、多くの被災者もすでに限界にきているのではないかと感じたそうです。

それに手元にお金がないので不自由で仕方がない。でいるだけ義援金でもいただければと云う話しに、怒りがこみあげて来た。
多くの被災者は大津波を受けたために着の身着のままで逃げてきたので、手元にお金が無いので、買い物ひとつ出来ない。それを聞いてるうちに行政は何をやっているのか、早くお金を回した方が良い。その為にどれだけ多くの人達が被災者の為に義援金の一部として寄付したか。多くの国民は直ぐにでも義援金が被災者に渡っていると思っているはずだ。それが2か月過ぎても渡っていないと云うのはどう云う事だ。すぐに渡っていなければ国は義援金が被災者の方に早く渡るように指示を出すべきではないだろうか。どうしてもやる事が役人のやる事だ。そんなの関係ない。命の方が優先だ

ここで再度、
一生懸命慰問に出掛けて行った我が親友、五十嵐さんのプロフィールを再度紹介します。





   

皆さん見てください。「エンジョイライフショッピングセンター」株式会社アイワールドのオープニングセールで集まった数え切れないくらいの人の数。ディスカウントブームの先駆者五十嵐さんの思い切ったディスカウントビジネス。奇抜な建物を見ても何かレジャーランドを小さくしたような、夢の世界をイメージ。やはり大勢の人を呼び込むアイディアは普通じゃない。 五十嵐 由人(よしと)氏 のプロフィール ----

昭和17年7月7日(1942年)福島県会津の農家の長男として生まれる福島県立農業高校を2年で中退、「商人』 を夢見て上京。独立資金を稼ぐため、18才で独立林業の事業主となる。昭和40年念願の小売業ダイクマに入社、寝食を忘れて仕事に打ち込み雑貨仕入れで、全国各地を飛び回りディスカウント時代の原型を創る。昭和50年(1975年)神奈川県に「エンジョイライフショッピングセンター」株式会社アイワールドを設立、社長に就任。創業2年目相模原店オープン20億円を売上げその後も業績を伸ばしホームセンター、ディスカウントブームの先駆者として活躍。次々と画期的な企画を連発し、流通業界の注目を集め、世界の一流品、ブランド品、高級品を世界中を廻って輸入し、相模原に9万?の当時としては先がけの巨大ショッピングモール開店、さらには東大和市にも、同コンセプトによる大型店舗をオープン、時代の寵児として業界の話題をさらい続けた。グループ会社を合わせ400億円に及ばんとした時に、過大投資が命取りとなり資金ショートし、2002年7月22日、民事再生に突入した。財産放棄、引責辞任と言ういさぎよい決断によって2002年12月11日史上最短で民事再生認可、次いで個人の民事再生も最短で認可された人生の表舞台で時代の兆児も経験し、一転急落地獄の底も体験し、人生の両面を知って社会が見えて、再起をはかり会社も立ち上げ事業をする一方では、「生きる研究所」として若き経営者の育成、全国へ講演活動、また、事業経験を生かして複数の会社の顧問、変ったところでは演歌が好きで三波春夫先生や北島三郎先生を信奉し、高じて演歌歌手として活躍、ディナーショーなど各地で歌ったり、講演活動をしています。



舞台裏の五十嵐さん

すっかりご無沙汰してしまいました。

11月から東北の被災地避難所周りをしてまいりました。

パソコンの寿命が来てしまい、最新のモデルを購入しましたが、

帰ってからのスケジュールがタイトで、パソコンのセッティングができず、たった今、プロの技術者に来ていただいてようやく立ち上がりました。

また、明日から書いてまいります。



五十嵐さんと連合会の副事務局長

さて今回の被災地訪問は、前回同様の青森岩手、宮城、それに、秋田県にも訪問してきました。

被災地はちょうど一か月前の同じ時期に訪問し被災の状況と支援物資の必要度を調査して来てあり、今回も支援物資の配達をしながら大和晃三郎の歌を歌わせていただいた。

一か月ぶりの被災地の大自然の営みが、まるで

何事もなかったかのように新緑に満ちている状況が

今回の一瞬の大震災が夢であったらこの春もいつもの様に

楽しめただろうに・・と思わずにはいられない・・



五十嵐さんと30年来の親交のあるアントニオ猪木氏

新緑のまぶしさと被災地の遅々として進んでいない

復興の姿を見て歩くのがつらかった。



若いころの五十嵐さんとアントニオ猪木氏

そうとうの支援を受けて、復興に向うも被災の広大な広さに

どこが整理されているかさえわからない・・



スマートコミュニティー稲毛での五十嵐さん


その中で、被災の直後からレストランを始めた者、商品の販売を始めた者、など明日への希望に向かう人々に

感激・・

避難所で見た光景は、200名の避難所生活の人々が

昼は職探し住宅探し、自立の場所探しに夕刻まで

毎日出かける姿にも感激した。

日本人は負けない・・・日本人の不屈の姿を見た・・

全ての日本人はこの被災地の復興に向かう人々の

不屈の姿に心底学ばねばならない・・




公演中の五十嵐さん

富とは愛と智慧と生命の結晶・・と言う、今朝の



日訓に示されるごとく、智慧と生命は不屈の信念に宿るものであろう・・

今から出かける(21時)ため明日の朝しっかり書きます。



今回の地震では多くの死者と行方不明者を出し、これが想定外か。しかしどんな場面でも何が起きるか分からない。今まで日本人は戦後世界で起きている数々のテロとか紛争が起きているが日本でもすでに戦争が起きても不思議ではない状況を知らない。考えれば尖閣諸島の問題や北方領土の問題など中国の野心は近い将来日本を中国の属国にしようとするのは見え見えだ。その為にも日本国を外敵から守る為に米軍の援助・支援は必要だ。おそらく国民の多くは今回の東日本大震災でのアメリカの救援活動の物流は目を見張るものがある。今思えば私が連合会を立ち上げた時わずか十数名の人数で我々の活動が世の中に知らせるためにはメディアに取り上げられる事が一番だと云う事で各自一生懸命協力してくれた。その中で特にNNさんと子供を自殺で亡くした父親の鹿川さんの存在は大きい。その中でもNNさんとは十数年コンビを組んで多くの子供を自殺で亡くした遺族と一緒に戦った。これから先の話は次回にします。