青少年育成連合会 | 日本の未来を【夢と希望に満ちた国】にする為に日本人の心に訴えたい
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このたび私と青少年育成連合会の指導長の高橋先生と青年部長の新井君の3人で、今月8日9日に渡って川崎市教育委員会指導課と3名の交流のある市会議員、それに高津区の小学校と中学校に於いて、最近特に全国的に校内暴力が戦後最多、この原因は何であるのか、その調査対象が我々が特に重視しているのが発達障害を持った子供の急増、それに対して教育関係者がどの程度認識しているかを聞くために、学校廻りを実施。
特に川崎市の指導課の小学校担当の先生は、発達障害の子供に関しての知識と対処の仕方と難しさ、さすが担当しているだけあって、我々も話しやすく多くの教師が小学校担当の先生のような考えを持って子供と向き合っていけば、学校内の規範意識も高くなるのではないかと思った。 

理事長、発達障害の子供を約8ヶ月間、横田道場で住み込みで一緒に生活しながら、生活してみて最後は子供も随分変わりましたが、一番大変だったことは何ですか

自分も今までの中で一番難しかったのは如何にその子とお互いに信頼関係を持つかということが第一番
まず最初に、その子の今まで育ってきた環境、それと恐喝や喧嘩を繰り返してきた理由を聞き、それからが子供と私の壮絶な闘いが始った。 

私も子供と理事長の関わったきっかけは色々聞きました。確か理事長の知り合いの人がその子に狙われてお金を獲られたり暴力を受けたりしていたのを聞き、捕まえてきて横田道場で一緒に生活しながら、更正するかそれとも警察送りにするかどっちか決めると云う事で本人が横田道場を選んだ訳ですよね。可愛そうに毎日空手でしごかれたと本人から聞いたことあります。その反面、公私に渡ってアメとムチでよくあそこまで育てたのかと皆感心していましたよね。発達障害の子供を正常に持っていく一番大事なことは何ですか。

とにかくその子達とまず最初に教えなければならないのは、力のバランスだ。やはり私が彼らより強い人間であることが一番の条件。そういう力関係が無かったら、更正は無理だと思う。
それと力関係ばかりでなく、その子に対しての愛情だ。元々自分と子供たちの関わりは自分の家族意識の中で鍛えていく、こういう気持ちで関わっていかないと難しい。もともと彼らは親の愛情を受けていないケースが多いからだ。やはりこういう経験を持って子供と向き合っていかないと。ただ学校で教師が子供が切れたからといって怒ったりした後の優しいフォローが無かったら無理でしょう。その反面逆にその子供から逃げれば、もう子供を教育する事は無理。その辺、自覚してもらいたい。本当に私の経験からすれば大変だと云う事。しかし教師がある程度の理解を持っていることは絶対必要です。 

それから先生の地元の中学の校長先生は中々の人だと話しておられましたが、その様子をちょっと聞かせて下さい。それとその中学の中の様子と子供たちの様子を聞かせて下さい。 

私も久しぶりに行った地元の中学校だけれども、一番驚いたのは学校の中が綺麗で昔とは信じられないくらい整理整頓、子供たちや先生が皆あいさつしてくれて昔のことが嘘みたいな情景だった。
それに昨日3年生の三者面談でなかなか良かったですよ。それに久ぶりに気骨のある校長先生と話をし、私の考えと校長先生の考え方がほぼ一致。なかなか指導力を持った先生に会って思ったことは、こういう校長先生が大勢いるならば、随分学校も変わるのではないかと思うと同時に、地域はそれなりに協力していくことによって、もっと素晴らしい学校にしたいと我々も協力して行きます。とにかくあの中学の校長先生の意気込みには感心しました。 

指導長、今回教育委員会の指導課の小学生担当の先生とか学校の校長先生とかの話と学校内を観てどのように感じましたでしょうか。指導長が子供の頃の教師と学校内の様子を聞かせて頂きたいと思いますが宜しくお願いします。  

とにかく昔と今とは比較にならないくらい全然違う世界。それに私が子供の頃はみんな貧しかったし、遊ぶのは皆でふざけあったり、とにかく子供同士で遊ぶのは主流。そんなに喧嘩も無い。まして集団でいじめるとかした事は記憶に無い。中学に入ってから必ず番長格のリーダーがいて上手く生活をしていたような記憶があります。まず誰かがいきなり切れて暴れるなんて、今話を聴いても信じられない。今日、教育委員会の指導課の小学校担当の先生の話を聴いたり、学校の先生の話や学校内を見学したり、遊んでいる子供たちを観て非常にいい勉強になった。やはり現場の声を聞いたり、観たりすることが活動している人間として、必要だと云う事を改めて感じた。それに、市会議員との話し合いは我々に新しい知識をもたらしてくれた。これからも又、機会があったら現場に出かけたいと思います。


長距離弾道ミサイルなど北朝鮮の脅威に対抗するために、未だ拉致の問題も解決しない、日本は何をすべきか。いつまでも世界からなめられるな日本の外交力

きょうは、夫婦別姓について意見を申し上げます。

 友愛の言葉に裏打ちされるこの問題は、今日の少子化・家庭に育つ女性を持つ親からすれば、たった一人の家督を継ぐ後継者が娘であり、それが嫁に出てしまわれたらいたたまれず、「何かあればすぐに戻ってこい」というのが嫁入り前の特に父親の言葉と聞けば、少子化と相俟って元気で健在な両親を持つ娘にすればこの上ない拠り所でありますし、同感できる部分もあるのではないでしょうか。
「名前がかわることが嫌だ」・・・これが一番理由らしい理由ではないでしょうか、自分がいままで名乗ってきた名前を使えなくなる、当たり前のようですが、近年の家庭事情を考えたときに、親子三人の家族からすれば我慢できないことにもなるのではないでしょうか。

 それでは、相手の両親と同居するのが嫌なのか、自分の両親を老後の面倒を見なければいけないのか、こうした話も伺います。こうした論調も分からないわけではありません。しかし、自分を育ててくれた両親と相手の両親に孝行するのは当たり前のことではないでしょうか?当然、相手も同じ感謝の気持ちを両親に対して抱いているからこそ両家の結婚が成り立つのではないでしょうか?

日本の社会はこうした自助・共助に支えられた育てられた子供たちが、やがては公助という社会的な役割を果たしていく、そうして大切な役割を地域・社会が、そして家庭が担ってきたものです。この文化により成長していく子供に名前をつけるときにどうするのですか?名と姓とは違います。

名は自由に決めることに対してほぼ全ての人が嫌悪感を抱くことは無いと思います。ですが、苗字の場合はどうでしょうか?自分は父親の苗字が良かったのにとか母親の苗字が良かったのにとか思いませんか?

女性の側から意見を頂きましたなかにありますが、「苗字を法律で両親どちからの苗字を強制的につけられると言うのなら別に嫌ではないですが両親の意思で決められるのは嫌です。
もし、母親の苗字だったら自分は父親に嫌われているんじゃないのか?って、思わなくてもいいことまで考え込んでしまう可能性があります。皆さんだってそうでしょう?

子供の名前は法的に父親か母親の苗字を名乗るかを決めた方がいいと思います。両親の意思が少しでも介入していると問題が多く析出してきます。夫婦別姓を認めるのであるのなら子供の苗字は父親の姓を名乗らせることがベターだと思います。でもここで『女性差別論』が出てくるわけですよね、夫婦別姓を求めているのであって子供に自分の姓を名乗らせたいことではないはずです。目的を履き違えないで下さい。息子・娘で名乗らせる姓を分けるのも論外です。

きっと家族内で軋轢が生じる危惧があります、夫婦別姓を求めるのであれば別姓にするか同姓にするかわ選択できるところまでは認めることが出来ても子供の姓を選択するのは認めることが出来ません。法律で決めるべきです。そしてそれは父親の姓が望ましい。最低限求めるべきものは
『夫婦の』別姓であるはずです。