ひろむしの知りたがり日記

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「燃えよ!カンフー」の敵を「キル・ビル」で討て!(2) ─ 「サイレントフルート」編

2014年05月06日 | 日記
1969年、ブルース・リーは自らの武術を世に知らしめるため、1本の映画の制作を計画します。
「サイレントフルート」と題されたその映画は、スティーヴ・マックィーンを主演に迎え、ロマン・ポランスキーに監督させる予定でした。2人はブルースの功夫の弟子です。しかし、ブルースをスターにするために利用されることを嫌ったマックィーンは、出演を断ります。この出来事は、ブルースにマックィーンよりも大物のスターになってみせるという決意を固めさせました。ブルースは次に、やはり弟子であるジェームズ・コバーンに話を持って行くと、彼は快く引き受けてくれました。こうしてブルース、コバーン、そして同じく弟子で後のオスカー受賞脚本家スターリング・シリファントの3人で、映画の構想が練られることになります。

翌年、ワーナー・ブラザースがインドを舞台にするという条件で、「サイレントフルート」の制作に興味を示しました。なぜインドかというと、同国で得た収益の持ち出しをインド政府が許さなかったので、国内でそれを使おうと考えたからです。こうしてブルースは、シリファントとコバーンを連れてロケハン旅行に出かけました。
焼けつくような暑さと、未舗装の道から舞い上がる土埃の中を移動しながら、コバーンとシリファントは経験から、インドでの撮影がうまく行かないことを確信します。
ブルースとコバーンの間にも溝ができていきました。大きなホテルではコバーンだけが特別待遇を受け、自分とシリファントはそれに比べて粗末にしか扱われないことに不満を募らせたブルースは、将来超えるべき対象に、マックィーンばかりでなくコバーンも加えます。

結局コバーンが降板し、ワーナーが手を引いたため、この企画は頓挫しました。ポランスキーの妻で、ブルースの弟子でもあった女優のシャロン・テイトが惨殺される事件が起きたことも、挫折の一因となりました。
後にブルースが成功を掴むと、コバーンとシリファントはこの企画を復活させようとします。彼らは香港に飛んでブルースと話し合いますが、その頃彼には世界中から出演依頼が殺到するようになっており、一歩後退ともいうべきこの役を演じることはできませんでした。こうして再び企画は闇に葬り去られます。
ところがブルースが死んだ後の1978年、ついに「サイレントフルート」(The Silent Flute)は彼の神話化の煽りを受けて制作されました。ブルース、コバーンと練り上げた原案に、シリファントがスタンリー・マンとともに脚色を加えました。製作総指揮はリチャード・R・セント・ジョーンズ、製作はサンディ・ハワードとポール・マスランスキー、監督はリチャード・ムーアが務めました。

ストーリーを簡単に紹介しておきましょう。
若き武術家コード(ジェフ・クーパー)は、無敵の強さを誇るというジタン(クリストファー・リー)が持つ、世界の叡智を記した教典を求めて旅に出ました。杖とも武器ともなる長大なフルートを手にした盲目の武術の達人と出会い、その導きを受けながら、次々と襲いかかる試練を乗り越えてジタンのもとへたどり着き、ついに念願の教典を開きます。ところがそれはどのページも鏡がはめ込まれているだけで、コードの顔を映し出すばかりでした。彼は、究極の真理は自らの内側にあることを悟るのです。

ブルースがやるはずだった役を演じたのは、またしてもあのデイビッド・キャラダインでした。彼は盲目の武術の達人やコードと闘うモンキーマン、死神、キャラバンの隊長チャン・シャーと1人で何役もこなし、物語の鍵を握ります。さまざまな役柄を使い分けて幾度も登場し、自らの武術の素晴らしさを観客に見せつけようというブルースの意図が、露骨なくらい明白でした。これでは大スターとしてのプライドがあるマックィーンが、協力を拒んだのもしかたがなかったでしょう。

ブルース原案を謳う「サイレントフルート」

実は今、キャラダイン版「サイレントフルート」で製作に当ったポール・マスランスキーが、香港に拠点を置くプロデューサー兼俳優ベイ・ローガンのB&Eプロダクションと組んでリメイクしようとしています。ゾンビ、もとい不死鳥のように繰り返し蘇り続けるこの作品のことを、彼岸のブルースはどのように思っているのでしょうか。
妻のリンダは原案に夫の名があることについて、「ブルースは、そんなことをしてくれなくてもよかったのにと思ったにちがいない。最終的な作品は、彼の構想とはかけ離れたものだったからだ」(『ブルース・リー・ストーリー』)と言っています。その言葉のとおり、死後とはいえ望みどおりマックィーンやコバーンを超えるスーパー・スターとなったブルースは、もはやこの作品に対してなんのこだわりも持っていないかもしれません。

こだわりを捨てられなかったのは、ブルースを敬愛してやまないファンたちでした。「サイレントフルート」に、主演を熱望していた「燃えよ!カンフー」、2度までも彼の夢見ていた役柄をかっさらっていったキャラダインは、1970年代以降、ブルース・リーファンの怨念を一身に浴びることになります。
そしてそのことが、後に鬼才クエンティン・タランティーノ監督の手になる異色のバイオレンス・アクション映画「キル・ビル」に繋がっていくことになるのです。


【参考文献】
リンダ・リー著、柴田京子訳『ブルース・リー・ストーリー』キネマ旬報社、1993年
ブルース・トーマス著、横山文子訳『BRUCE LEE:Fighting Spirit』PARCO、1998年
四方田犬彦著『ブルース・リー 李小龍の栄光と孤独』晶文社、2005年