ひろむしの知りたがり日記

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ブルース・リーのドラゴン拳法(2) ─ 振藩功夫 <ジュンファン・グンフー>

2013年12月22日 | 日記
1959年4月、ブルース・リーは生まれた地であるカリフォルニア州サンフランシスコ行きの汽船に乗り込みました。18歳の誕生日を迎える11月までに戻らないと、市民権が失効してしまうから、という理由もあります。
5月17日にサンフランシスコへ着いたブルースは、しばらくの間、父親の知人の家に厄介になりますが、その人物とは馬が合いませんでした。2、3ヵ月でそこを出たブルースは、ワシントン州シアトルに移りました。そこでは、父と劇団で同僚だったチャウピンのもとに身を寄せ、彼の妻で、地元では名士だった女性実業家ルビーの経営する中華料理店で給仕として働きながら、エジソン職業訓練高校に通いました。
その傍ら、ブルースは路地や公園で詠春拳を教えるようになります。1960年には日本の空手家から挑戦を受けましたが、勝負は11秒で決しました。同じ年に職業訓練高校を卒業し、翌1961年、ワシントン大学哲学科へ進みます。ブルースは勉学に情熱を注ぐ一方で、グンフーの指導も続けました。最初のうち、練習場所は駐車場の片隅、キャンパスの芝生、体育館と、その都度変わりました。この年の、シアトル市アジア文化の日のイベントでは、元空軍ヘビー級チャンピオンのジェームズ・デミールを破り、話題を呼んでいます。

2年生になった1962年には、ルビーの中華料理店の地下駐車場を借りて振藩國術館(振藩はブルースの中国名)を開きます。そこが手狭になると、1963年10月には大学近くにあるアパートの1階部分を全部借り切りました。この頃のブルースは、自身の武術である振藩功夫を、全米にチェーン展開することを夢見ていました。前回触れた『CHINESE GUNGFU』(『基本中国拳法』)を自費出版したのも同じ年です。この冊子は500部発行され、5ドルで売られました。ブルース自身のイラストや写真が数多く掲載されていますが、写真は全てルビーの店の駐車場で撮影されたものです。相手役を務めたのは、弟子で生涯の友人となるターキー木村(木村武之)でした。木村は地元のスーパー経営者で、日系人でした。

同じ年の12月、彼は中国哲学の講義をしに行っていたガーフィールド高校において、初めて「ワンインチパンチ」のデモンストレーションを行い、大評判となります。ワンインチパンチとは、標的と拳との間を1インチ(2.54センチ)開けた状態からパンチを繰り出して、相手を後方へ吹き飛ばすというパフォーマンスです。
のちに伴侶となる17歳のリンダ・エメリーが、この東洋から来たハンサムで、不思議な武術を使う若者を初めて見たのもこの頃でした。高校の廊下で彼を見かけたリンダは、強い印象を受けたようです。その後、ブルースと同じワシントン大学に進学したリンダは、その直前には彼の道場へ入門しています。やがて2人は交際するようになりました。
1964年8月12日、ブルースはリンダと結婚します。その少し前に、彼は道場をシアトルからカリフォルニア州オークランドに移す計画を立てていました。ブルースは、シアトルではすでに有名人でしたが、この町ではなにぶん人口が少なすぎました。道場経営が行き詰まって資金難に陥り、そのため2人は新婚旅行にも行けませんでした。大学の学費も払えなくなり、ブルースは中退を余儀なくされます。そんな状況から脱出するためにも、どうしても人口の多い場所へ移る必要があったのです。

ブルースは、オークランドで有名になれば、ロサンゼルスやサンフランシスコにもその名声が届くだろうと考えていました。そして、オークランドに道場を持っていたジェームズ・リーから誘いを受けて、道場の共同経営者となります。ブルースより20歳も年上のジェームズの仕事は溶接工でした。彼はブルースが考案したトレーニング器具を、数多く製作したことでも知られています。ブルースとリンダは、ジェームズの家に間借りして、新しい生活を始めました。

新天地で再スタートを切ったブルースでしたが、現実は厳しく、その日の食費にも事欠くありさまでした。そこで彼は、自分の武術をもっとアメリカ人に知らせることが必要だと考えました。彼はあちこちに出かけては、グンフーの素晴らしさを人々にアピールすべく、デモンストレーションを行うようになります。
その1つが、1964年8月2日にロングビーチで行われたエド・パーカー主催の第1回インターナショナル・カラテ・チャンピオン・シップでした。この大会で行ったデモンストレーションこそが、ブルースにTVドラマ「グリーン・ホーネット」への出演、そしてハリウッド進出へとつながる道を開かせる、足がかりとなったのです。


  TVドラマから、ブルースの活躍する話を選んだ映画「ブルース・リーのグリーン・ホーネット」
 
(日本公開は1975年3月21日)

【参考文献】
リンダ・リー著、柴田京子訳『ブルース・リー・ストーリー』キネマ旬報社、1993年
四方田犬彦著『ブルース・リー 李小龍の栄光と孤独』晶文社、2005年
松宮康生著『ブルース・リー最後の真実』ゴマブックス、2008年