江戸三代道場と並んで有名な幕末の剣術道場といえば、新選組局長近藤勇<いさみ>を道場主とする天然理心流の試衛館<しえいかん>でしょう。
天然理心流の創始者は、遠江国(静岡県)出身の近藤内蔵之助<くらのすけ>です。寛政(1789-1801)の頃のことでした。天保10(1839)年、現在の東京都新宿区市谷柳町にあった市ヶ谷甲良<こうら>屋敷の西門前に試衛館を開設したのは、3代目の近藤周助です。彼は武蔵国多摩郡上石原<かみいしわら>村(東京都調布市上石原)の豪農宮川久次郎<みやがわきゅうじろう>の3男勝五郎<かつごろう>を見込んで養子にしました。この勝五郎が、天然理心流4代目近藤勇です。
↓市谷柳町にある「試衛館」跡の標柱
←近くの「市谷甲良町」町名プレート
勇は口が大きく眉の迫ったいかつい顔つきをしていましたが、いつもニコニコしている上に両頬に大きなエクボができるので、もの優しい感じがしました。なかなかチャーミングな人物だったようです。剣術の技はたいしたことなかったともいわれますが、度胸がすわっているのには誰もが一目置いていたそうです。
たいしたことないと言っても、道場主を張るくらいですから相応の腕はあります。道場へ出て立ち合う時は、決まって身体を少しそり加減にし、腹をぐっと出した構えを取りました。こせこせせず、小技を弄さない、がっしりと手堅い剣法でした。うまく小手に入ると、たいていの相手はたまらず竹刀を取り落としてしまいました。
また勇は、日頃話す時にはごく細く低い声でしたが、いざ立ち合いとなるとその掛け声は甲高く鋭いもので、相手の腹にビンビンと響きました。後のことですが、元治元(1864)年6月5日に新選組が志士たちの集まる池田屋に斬り込んだ際に、時折聞こえる勇の「えい、おう」という凄まじい声に、隊士たちは百万の味方を得たように勇気がわいたといいます。小手先の技ではなく、気合で相手を圧倒して勝つ、そんな勇の剣術スタイルが窺えます。彼の稽古着の背中には髑髏<どくろ>の刺繍が縫い込まれていました。常に死を意識して修行を重ねるという覚悟を表わすものだったそうです。
試衛館には毎日3、40人が稽古に来ました。その中には土方歳三<ひじかたとしぞう>や沖田総司<そうじ>、井上源三郎<げんざぶろう>もいました。また門弟以外に仙台藩を脱藩した北辰一刀流の山南敬助<やまなみけいすけ>、同じく北辰一刀流藤堂平助、伊予松山脱藩の宝蔵院流原田左之助<さのすけ>、松前脱藩の神道無念流永倉新八<ながくらしんぱち>ら、新選組の中核となるメンバーが食客としてたむろしていました。
江戸の道場で教えるほか、多摩への出稽古も行っていました。道場のある豪農の家をめぐり、近在の農民を集めて指導するのですが、勇の代わりに沖田総司が行くこともありました。沖田は教え方が乱暴で短気だったので、門弟たちは勇よりもずっと恐がったそうです。稽古が終わると、道場のある家の主人が門弟たちと頼山陽<らいさんよう>の『日本外史』や『日本政記』などを読み合わせ、解説して聞かせたりもしました。
武士ならばいざ知らず、農民の身でありながら文武両面の修練を怠りなくやっていたわけで、なかなか奇特なことではありますが、本当に楽しいのはその後だったかもしれません。タクアンを肴<さかな>に酒を飲みながら、時事問題を語り合う場が設けられたのです。世の中が攘夷だ、佐幕だと騒がしい折、議論はさぞかし白熱し、盛り上がったことでしょう。やれ練習だ、勉強会だといっては集まり、その実もっとも楽しみなのはその後の飲み会だったりする今日のわたしたちの心情と、相通じるものがあったのかもしれません。
さて、町道場の主としての近藤勇の平穏な暮らしに終焉の時がやって来ました。文久3(1863)年、将軍徳川家茂<いえもち>の上洛にあたり列外警護要員として幕府が行った浪士募集に応じ、試衛館有志の面々も先発隊として西上することになったのです。長年磨き上げてきた剣の腕を役立てる時が来たと、近藤たちは文字通り勇み立ったことでしょう。
都営大江戸線の牛込柳町<うしごめやなぎちょう>駅東口を出て、大久保通りを牛込神楽坂駅方面に向かうと、市谷柳町交差点を越えたすぐ右手に柳町病院(市谷柳町25)があります。病院の裏手には、そのあたりに試衛館があったことを示す標柱が立っています。道場そのものはもう跡形もありませんが、標柱のそばに鎮座する稲荷神社は、約350年もの歴史を持っています。
京へ出立する前に、もしかしたら近藤や土方たちがこの小さなお社の前で手を合わせたかもしれないと思うと、なんとも感慨深いものがありますね。
↑「試衛館」跡の標柱(写真右側)のそばに建つ稲荷神社(同左)
【参考文献】
国史大辞典編集委員会編『国史大辞典』第6巻、吉川弘文館、1985年
NHK歴史発見取材班編『歴史発見』第14巻、角川書店、1994年
戸部新十郎著『剣は語る』青春出版社、1998年
清水克悦著『多摩「新選組」の小道』けやき出版、2003年
菊地明著『近藤勇』ナツメ社、2003年
天然理心流の創始者は、遠江国(静岡県)出身の近藤内蔵之助<くらのすけ>です。寛政(1789-1801)の頃のことでした。天保10(1839)年、現在の東京都新宿区市谷柳町にあった市ヶ谷甲良<こうら>屋敷の西門前に試衛館を開設したのは、3代目の近藤周助です。彼は武蔵国多摩郡上石原<かみいしわら>村(東京都調布市上石原)の豪農宮川久次郎<みやがわきゅうじろう>の3男勝五郎<かつごろう>を見込んで養子にしました。この勝五郎が、天然理心流4代目近藤勇です。
↓市谷柳町にある「試衛館」跡の標柱
←近くの「市谷甲良町」町名プレート
勇は口が大きく眉の迫ったいかつい顔つきをしていましたが、いつもニコニコしている上に両頬に大きなエクボができるので、もの優しい感じがしました。なかなかチャーミングな人物だったようです。剣術の技はたいしたことなかったともいわれますが、度胸がすわっているのには誰もが一目置いていたそうです。
たいしたことないと言っても、道場主を張るくらいですから相応の腕はあります。道場へ出て立ち合う時は、決まって身体を少しそり加減にし、腹をぐっと出した構えを取りました。こせこせせず、小技を弄さない、がっしりと手堅い剣法でした。うまく小手に入ると、たいていの相手はたまらず竹刀を取り落としてしまいました。
また勇は、日頃話す時にはごく細く低い声でしたが、いざ立ち合いとなるとその掛け声は甲高く鋭いもので、相手の腹にビンビンと響きました。後のことですが、元治元(1864)年6月5日に新選組が志士たちの集まる池田屋に斬り込んだ際に、時折聞こえる勇の「えい、おう」という凄まじい声に、隊士たちは百万の味方を得たように勇気がわいたといいます。小手先の技ではなく、気合で相手を圧倒して勝つ、そんな勇の剣術スタイルが窺えます。彼の稽古着の背中には髑髏<どくろ>の刺繍が縫い込まれていました。常に死を意識して修行を重ねるという覚悟を表わすものだったそうです。
試衛館には毎日3、40人が稽古に来ました。その中には土方歳三<ひじかたとしぞう>や沖田総司<そうじ>、井上源三郎<げんざぶろう>もいました。また門弟以外に仙台藩を脱藩した北辰一刀流の山南敬助<やまなみけいすけ>、同じく北辰一刀流藤堂平助、伊予松山脱藩の宝蔵院流原田左之助<さのすけ>、松前脱藩の神道無念流永倉新八<ながくらしんぱち>ら、新選組の中核となるメンバーが食客としてたむろしていました。
江戸の道場で教えるほか、多摩への出稽古も行っていました。道場のある豪農の家をめぐり、近在の農民を集めて指導するのですが、勇の代わりに沖田総司が行くこともありました。沖田は教え方が乱暴で短気だったので、門弟たちは勇よりもずっと恐がったそうです。稽古が終わると、道場のある家の主人が門弟たちと頼山陽<らいさんよう>の『日本外史』や『日本政記』などを読み合わせ、解説して聞かせたりもしました。
武士ならばいざ知らず、農民の身でありながら文武両面の修練を怠りなくやっていたわけで、なかなか奇特なことではありますが、本当に楽しいのはその後だったかもしれません。タクアンを肴<さかな>に酒を飲みながら、時事問題を語り合う場が設けられたのです。世の中が攘夷だ、佐幕だと騒がしい折、議論はさぞかし白熱し、盛り上がったことでしょう。やれ練習だ、勉強会だといっては集まり、その実もっとも楽しみなのはその後の飲み会だったりする今日のわたしたちの心情と、相通じるものがあったのかもしれません。
さて、町道場の主としての近藤勇の平穏な暮らしに終焉の時がやって来ました。文久3(1863)年、将軍徳川家茂<いえもち>の上洛にあたり列外警護要員として幕府が行った浪士募集に応じ、試衛館有志の面々も先発隊として西上することになったのです。長年磨き上げてきた剣の腕を役立てる時が来たと、近藤たちは文字通り勇み立ったことでしょう。
都営大江戸線の牛込柳町<うしごめやなぎちょう>駅東口を出て、大久保通りを牛込神楽坂駅方面に向かうと、市谷柳町交差点を越えたすぐ右手に柳町病院(市谷柳町25)があります。病院の裏手には、そのあたりに試衛館があったことを示す標柱が立っています。道場そのものはもう跡形もありませんが、標柱のそばに鎮座する稲荷神社は、約350年もの歴史を持っています。
京へ出立する前に、もしかしたら近藤や土方たちがこの小さなお社の前で手を合わせたかもしれないと思うと、なんとも感慨深いものがありますね。
↑「試衛館」跡の標柱(写真右側)のそばに建つ稲荷神社(同左)
【参考文献】
国史大辞典編集委員会編『国史大辞典』第6巻、吉川弘文館、1985年
NHK歴史発見取材班編『歴史発見』第14巻、角川書店、1994年
戸部新十郎著『剣は語る』青春出版社、1998年
清水克悦著『多摩「新選組」の小道』けやき出版、2003年
菊地明著『近藤勇』ナツメ社、2003年