齢仙寺雑記帳

滋賀県にある臨済宗妙心寺派のお寺、齢仙寺の日々のお話

青山(せいざん)

2018年05月01日 | 今月の言葉
ご来訪有難うございます。
あっという間に汗ばむ時節となりました。
如何お過ごしでしょうか?

ブログ「今月の言葉」の更新が約1日遅れてしまいました。

4月30日に大阪のど真ん中でのご法事に出かけたのですが
連休前半という事とインバウンドの増加で
大阪の街中は大変な人と多国籍言語の飛び交いで
日頃、東奔西走しておられる諸兄と違い、
田舎で静かに余生を過ごしている?小衲は
感性が狂ってしまったようです。

それに加えて
PCのデータが夜中に飛んでしまって
作成した原稿が一からやり直しとなって
しまいました。
いつもは中間バックアップをしてるのですが、
体調の事もあり横着してしまったツケが
まわってきてしまいました。
「天災」ではないですが、
「忘れた頃にやってくる」
ですね。
ご用心!ご用心!?

さて、今月は身の廻りの景色の中の「山」を
「青山」という言葉で記させて頂きました。

宜しければ、ご高覧ください。





今月の言葉
青山(せいざん)


青い山と記していますが

身の廻りの景色の中にある山と捉えてください。


近所の老翁が亡くなりました。

私が生意気にも平成十五年十二月から掲出している

門前掲示板の「今月の言葉」を

ずっと読んで頂いていた方です。

いつも読んで頂いているお姿を見て、

気恥ずかしくもあり、また拙文ながらも厚かましくも

嬉しいような思いをも抱いておりました。


この方は大変な読書家で識者でもありましたので、

未熟な掲示文にご意見がお有りのはずであったのですが、

いつも門前で挨拶をするとニコッと笑顔を返されるだけで

一度もコメントされることはありませんでした。


閑古錐(かんこすい)とも存じ上げる老翁は

若輩者のしたり顔の文章を読み、

まさに小衲の境界(きょうがい)の未熟さを点検し、

黙って見守って頂いているような畏れ多さを抱いておりました。


老翁の訃報に接したとき、

私の心中には山の無い風景が展開しました。

里山の大切さはよく言われますが、

景色の中の山は日常生活には無くても支障はありません。

でも、日本全国で山が視界に入らない場所(完全な地平線)は

無いと言われるように、

山が無いと景色が成立しないのも事実です。

この時、ハタと

「黙って見守って頂いている山があっての

私の平生(へいぜい)」だと気が付きました。


老翁に再認識させて頂いた

「衆生(しゅじょう)の恩の有難さ」でありました。


お知らせ
五月六日 齢仙寺 花祭

五月十二日 五個荘北地区仏教会 花祭
      於 藏福寺(竜田町)

平成三十戊戌皐月



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