齢仙寺雑記帳

滋賀県にある臨済宗妙心寺派のお寺、齢仙寺の日々のお話

7月の言葉 「殺生(せっしょう)」

2016年07月01日 | 今月の言葉

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慈雲山齢仙寺の門前には「鳰戸(におうど)」という「放生池」があります。
今月は「殺生」についてです。




今月の言葉
  殺生(せっしょう)
仏教徒であれば誰もが守らなければならない基本的な五つの戒めの一つに「不殺生戒(殺生をしないという戒め)」というものがあります。
不殺生戒には三つあります。
一つ目は「自分が殺生をしないこと」、二つ目は「人をして殺生せしめないこと」、三つ目は「他のなす殺生を容認しないこと」であります。

昨今、食材として白いプレートに載っている肉や魚を見ても命を奪った結果であるとは中々実感が湧かないものですが、明らかに二つ目や三つ目の「不殺生戒」を犯しているのであります。
悲しいことに、私たちは食べなければ生きられません。しかし、食べることにより命を繋ぐのでありますが、「不殺生戒」を犯してしまっているのであります。
そこで、せめてもその自覚に立って、「(人間の勝手ながらもそれぞれのおいのちを)いただきます」と手を合わせて食事を始めるのであります。

加えて、「殺生」とは「命を奪うこと」と捉えがちでありますが、「むごいことをすること、相手の真剣さを弄ぶこと、モノを生かして使わないこと、自分や他人を大切にしないこと」などなども「殺生」だと説明される場合もあります。

ここまでの定義に照らせば、日々の生活の中で、私自身が行っている「殺生」は大変なものであります。

改めて自省して、仏教徒として少しは正しく生きたいものであります。

  お知らせ    七月十七日(日) 午後一時 齢仙寺 観音講                 

平成二十八丙申文月


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