熊谷氏の居館跡
赤岩城は国道45号線松川トンネル入口の上の丘陵にあります。
登り口は、国道45号線松川I.Cを降り国道284号線との合流地点から川沿いを県道209号線を北上するか、国道284号線から県道209号線へ行くと途中に「赤岩城登り口」という標識を見ることができます。
赤岩城は東西700m、南北500m、高さ87m 中世の山城です。
東側に八幡神社、北側には、段によって区画された枡形状の遺構があります。
登り口には「赤岩城、月館城、中館城 熊谷直宗公750年大遠忌法要」というのぼりが立っています。
森林の伐採のためか登り口は、砂利で整備されています。
登り口途中に、平場らしきものを見ることができます。
途中から「赤岩城参道」「今朝沼」という看板があり、細い山道になっています。
細い道を行くとすぐに曲輪らしき平場に水たまりがあり、「気仙沼発祥の地 今朝沼」という看板があります。
この湧き水は、かつては枯れることがなかった云われています。
スギ林をぬけると日当たりのよい平場に着きます。
平場から頂部まで参道がさらに続きます。
頂部の平場は東西約150m、南北約150mで、頂部の平場から南に延びる2つの尾根には小さな段上の曲輪が連続してるのを確認できます。
熊谷氏は桓武平氏北条直方の末裔で、熊谷直貞が武蔵国大里郡熊谷郷を所領としたところから「熊谷氏」が始まります。
熊谷直貞の子は一の谷の合戦で平敦盛を討った直実です。
文治五年(1189)、源頼朝は奥州合戦で平泉の藤原氏を滅ぼし、戦功のあった熊谷直実の子直家は気仙沼地方を賜りました。
直家の二男直宗は本吉・桃生郡の二郡を与えられ気仙沼に下向し、赤岩城を築城しました。
その後六代直政が葛西氏に臣従しましたが、豊臣秀吉による奥州仕置までの400年間支配していました。
(赤岩城 説明版より)
【赤岩城MAP】
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