国道284号線(気仙沼街道)から県道209号線を早稲瀬方面へ北上するとまもなく、「月館城跡登り口」看板が見えてきます。
松川川沿いにある小高い丘が城跡になっています。
月館城は中世の山城で、城主は赤岩城十一代城主熊谷直定の子、直政が文明十三(1481)に築城とも、建武年間に熊谷直延が居城していたなど諸説あります。
月館城の登り口は、松川川を渡り、住宅の間にある細い山道を登っていきます。
城跡は堀で区画されています。
登っていくと所々に平場がありますが、日当たりに良いところは藪となって前に進むのが困難な状態になっています。
登り口も途中から、笹や雑木のためはっきりとした道がわからなくなってきます。
さらに崖を登っていくと、電信柱と標柱がある頂部へたどり着きました。
頂部から西側に行くと一段下がった広い平場が現れます。
そこから頂部を見ると、当時のものかわかりませんが、石積みの跡が見受けられます。
熊谷氏は南北朝時代後半には葛西氏の家臣となっていましたが、赤岩城十二代城主直影が葛西氏に背任の疑いをかけられ殺害された合戦をきっかけに熊谷一族同士の内紛が続いていました。
その後、天正六(1578)年月館城四代城主熊谷掃部直澄が兵を起こし、熊谷氏の嫡流である赤岩城をしのぐ権力を握っていた長崎城の熊谷直良と松川で合戦におよびました。
激戦の末、直良は戦死し、四十年にも及ぶ内紛は終止符がうたれましたが、天正十八(1590)、豊臣秀吉による奥州仕置によって月館城は廃城となりました。
(説明板より)
【月館城跡MAP】
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