葛西氏から伊達氏へ 登米一万五千石の城下町
宮城県登米市登米町中心部にある寺池城祉公園は、戦国時代葛西氏の居城として、江戸時代は、登米要害として白石宗直を祖とする登米伊達氏の居城とだったところです。
戦国時代に、葛西氏の家臣小野寺氏が居住し、天文五年(1536)、葛西晴胤が石巻城から寺池城に移り以後葛西氏の本拠となりました。
城郭は、丘陵の先端部に位置し、北端の最高所を空地とし、その南側を本丸、さらに南側を二の丸としています。
丘陵の周囲には西、南、東側に水堀がはりめぐらせていました。
居館は本丸にあり周囲を土塀で囲んで南端に重層の大手門を設けていました。
【葛西氏とは・・・】
文治五年(1189)源頼朝も家臣でめざましい働きをした葛西清重は平泉近くに領地を与えられるとともに奥州総奉行をに任じられ、奥羽二国の御家人すべての統括を任じられたところからはじまります。
その後四百年という長きにわたって葛西氏の統治がつづきますが、豊臣秀吉の登場ともに幕を閉じることになるのです。
天正十八年(1590)、豊臣秀吉は北条氏の立て籠もる小田原城(神奈川県小田原市)を取り囲んだ、いわゆる「小田原攻め」です。
この頃、麻のごとく乱れていた群雄割拠は豊臣秀吉の名のもとに、天下統一は目前に迫っていました。
そこで、秀吉は未だ屈しない奥羽の諸大名に対し、小田原参陣を命じました。
葛西領内では意見がまとまらず、伊達氏や南部氏の動向もはっきりしない状態でした。
この年三月、秀吉は小田原城の大包囲陣を完成させ、小田原城内では関八州の精鋭六万が配備についていました。
このときの当主葛西晴信は、もともと小田原参陣の意向があったといわれ、天正十八年三月二十八日に三田刑部少輔(柏山氏宿老)に宛てた手紙に次のように記している。
「この度秀吉公、北条氏征伐のため相州に発向せられ、諸国の大名、日々小田原へ走り参り候。
われらも、近日まかりでる覚悟に候えども、先年、浜田逆意のみぎり、同心の者ども、かねがね富沢日向守に内通これあり候間、小田原にあるうち、諸事はかりがたく、相のび候えば、小田原の首尾も、いかが候かもゆかしく候条、留守のうちの儀、その方に頼み候。云々。」
気仙郡高田の浜田氏は、本吉郡の本吉氏とともに、葛西領東海岸の大族です。
富沢氏は栗原郡三の迫岩が崎城主で、葛西領の西部に位置して大崎領に接していました。
晴信が葛西太守を継いだのは、永禄三年(1560)二七歳のときでした。
晴信は、以後三十年間、領内のとりしずめや、近隣大名との応接に力を注がねばならなかったのです。
重臣千葉氏一族が唐梅館(一関市東山町)で評定をおこないましたが、上方邀撃論に傾くようになりました。
結果、葛西領では一抹の不安を感じながら軍備を整える状態となったのです。
そのころ、隣国の伊達家の家中では、若干二十四歳の政宗がついに小田原参陣を決意しました。
五月九日、小田原に向け出発し、到着したのは六月五日、その月の二十五日には、秀吉の使者を案内して会津に帰り、手に入れたばかりの会津城を引き渡しました。
小田原城攻略のあと、奥州仕置軍の主力は、七月十六日には会津に入城しました。
秀吉も八月九日に会津に到着し、三日間の滞在ののち、仕置軍の総大将を豊臣秀次に託しひきあげました。
仕置軍の諸将は蒲生氏郷・石田三成・浅野長政・木村吉晴・大谷吉継を中心に奥羽の動員された諸勢力を加えた、総数二万騎の軍勢でした。
寺池城でこれを聞いた晴信は、
「叶うべきはあらねども、まず以て迎え陣を出し一戦、叶わざる時は腹切らん。」
と評定して迎え陣を出したと言われています。
奥羽の諸大名のうち、仕置軍を迎え討ったのはおもに葛西勢力で、伊達・相馬・南部の諸氏は小田原に参陣していたし、おおかたは無抵抗で秀吉の命に服しました。
大崎勢は迎撃の配備につきましたが、仕置軍の偉容に驚き、戦わずして退散しました。
八月十一日、木村吉清の軍勢が、深谷和渕の陣に襲いかかって、合戦の幕が切られました。
仕置軍の巧みな突入で陣は破られ、大将西郡左馬之助が早くも討ち死に、八百騎は戦意を喪失しました。
仕置軍の一隊は、葛西の主力軍の守る神取山を避け、 まわりこんで直接寺池城目がけて突進しました。
あまりにも速い進撃に葛西勢は寺池城を捨てて、佐沼城に集結することになったのです。
こうして佐沼城の周囲は豊臣方の軍勢に何重にも囲まれ、城の櫓から見える限りは、敵方の幟や指物ばかりが立っている状態になりました。
最後の時が迫っていました。
伊達氏の縁を頼み、葛西家再興の道もあろうかと評定をし、葛西勢は、ひとまず城を出る決定を下しました。
夕闇の迫る頃、城門を開いて討って出て、血路を開こうとしたものの、最後の砦と頼んだ佐沼城も陥落。
栄光ある清重以来の名家葛西氏も、四百年にして歴史の幕を閉じたのでした。
その後、葛西・大崎領を木村吉清が拝領し居住しましたが、翌年には葛西・大崎の残党による一揆が起こり寺池城は攻められ落城します。
続く江戸時代、慶長九年(1604)に伊達氏の重臣白石宗直が一万五千石で拝領しました。
宗直は元和二年(1616)、伊達姓を賜り、以後、登米伊達氏は以後、四代宗倫の代に渡って登米要害として城下町を整備しました。最終的には登米伊達氏は明治維新まで居住し、二万一千石に達しました。
城の周囲には武家屋敷を配置し、北上川沿いに南北にのびる町屋を形作っています。
明治元年(1868)、土浦藩取締地となり明治二年に涌谷県が設置されました。
明治三年、涌谷から登米へ県庁移転が検討されましたが寺池城の痛みが激しいため、城下に新規で県庁舎が建てられました。
県庁舎は明治五年に水沢県庁舎として落成し、明治八年まで使用されました。
(旧水沢県庁)
現在、二の丸は裁判所、その下段に登米懐古館の敷地となり、周囲の堀も埋め立てられ道路となっています。
(仙台地方裁判所登米支部)
(寺池城址公園 懐古館)
平成元年(1989)に本丸の発掘調査が行われ二棟の掘立柱建物や五棟の礎石建物跡などが検出されました。
平成十二年に二の丸の一部が寺池城祉公園として整備されています。
(寺池城址公園内)
登米伊達氏の菩提寺である養雲寺には、葛西氏時代とされる城門が移築されています。
(養雲寺 山門)
中世と近世の混在する町並み
登米町寺池地内は、旧水沢県庁舎や旧登米高等尋常小学校校舎などの明治建築と、武家屋敷が多数保存されていて、江戸と明治期の建物が混じり合う街並みになっています。
中世の面影を残す武家屋敷が多数存在しています。
熊谷弓麿邸の門です。
この門は、葛西氏の居館の裏門を移築したものです。
城下町特有の道路として、鉤形小路が今もはっきりと残っています。
クランク状に構成された道路割で城を守るための軍事的手法の一つです。
旧水沢県庁舎は、明治四年七月に登米県庁舎として着工したものの、同年八月の廃藩置県により、同年十一月に一関県、同年十二月には水沢県が置かれ、明治五年六月に水沢県庁舎として開庁しました。

(旧登米高等尋常小学校校舎 教育資料館)
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【登米市中田町】 二ツ木館跡(八雲神社)を散策してみました。
【寺池城址公園MAP】
登米懐古館
宮城県登米市登米町寺池桜小路103-9
0220-52-3578 ?
【寺池城祉公園周辺施設】
みやぎの明治村(株式 会社とよま振興公社)
ヤマカノ醸造株式会社
【登米市登米町特産品】
【伊達氏・仙台藩関連書籍】
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