伊藤氏の居館跡
標柱の脇には鳥居があり鳥海神社を見ることできます。
本丸跡は畑地となっています。
本丸の北東に3・4段の土段、西部には6・7段の土段になっています。
山内首藤氏は、葛西宗重との永正の合戦によって滅ぼされました。
葛西宗重は合戦後、鳥海神社を建立したとされています。
これは、伊藤豊後守(首藤方将)と戦って死んだ鳥海弥三郎(沖田城主)の霊を祭ったものと云われています。
のちに伊藤豊後守に代わり、青梅尾張守が入城しました。
【楼台城跡MAP】
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