元インドネシア代表監督、スリランカ代表監督(野中寿人- 66番の部屋)

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外国人監督の•••問題多発のインドネシア国体予選大会💦

2023年08月05日 17時39分00秒 | バリ島、インドネシア国内の野球 ソフトボール

729日から•••

ジャカルタで開幕した•••

インドネシア国体予選大会•••


しかし•••

多々問題が発生してます•••


最初の問題勃発は•••

選手の州移籍問題が認められず•••


大会第1試合開始前に•••

揉み合いになり試合が中止•••


この選手は•••

ナショナルチームと

AGL4番打者になります•••

次に大会2日に審判団が•••

連盟からの給与支払いの問題で•••

ボイコットが起きて1試合が中止•••


これは•••

以前の大会で•••

審判団への給与支払いが•••


大会終了後3カ月遅延•••

だったり未納が原因です•••


そして大会3日目•••

数日前に行われた•••

スローピッチの試合で•••


センターに設定された•••

クリケットのスペースで•••

外野手が滑って大怪我をし•••

大会本部から管理当局へ撤去申請•••


この為メイン球場の•••

大会3日目の数試合が不可•••

このクリケット🏏スペースは•••

2021年のジャカルタ州代表監督時に•••


危ないと思っていたことですが•••

今回大惨事が起きてしまいました•••


野球⚾️クリケット🏏の

グランド共有じたい無理です•••


•••

州移籍の選手は•••

今回の移動は認められず•••


審判の代替えは•••

各州代表チームから出して対応•••


肝心の球場の問題は•••

サブ球場だけの使用では•••

出場チーム数的に無理があり•••


試合時間の短縮•••

時間帯の調整や使用球場•••

の再度割り当ての会議をし•••

何とか収拾がついたようです•••


そして今日が準決勝と•••

と下位ランキング決定戦•••

明日が決勝戦と3位決勝戦•••


しかし•••

選手のレベル

低下が非常に目立つ•••


今回の•••

国体予選大会となってます•••






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外国人監督の•••東京の伝統校〜日大三高と早稲田実業

2023年08月05日 08時45分00秒 | 日大三高校野球部 小球史
西東京の•••

伝統校といえば•••


甲子園春夏通算•••

50回を誇る早稲田実業と•••

37回を誇る日大三高である•••


戦前の東京都は•••

慶応と早稲田実業が•••

甲子園出場を2分していたが•••


3の顔として•••

日大三高が割って入った•••


その後•••

慶応が神奈川県へ移転した為•••


日大三高と•••

早稲田実業の2校が•••

東京都の伝統校となる•••


戦前からの•••

ライバル校である両校は•••


数々の名勝負を•••

繰り広げてきています•••


近年の両校の対戦で•••

強く印象に残っているのは•••


2006

夏の西東京都大会決勝

早稲田実業 5-4 日大三高

(早稲田実業 斎藤佑樹投手)



2011

夏の西東京都大会決勝

日大三高 2-1 早稲田実業

(日大三高 吉永健太郎投手)



2017

春季大会決勝

早稲田実業 18-17 日大三高

(早稲田実業 清宮選手、野村選手)

(日大三高 桜井投手)





自分の中ではこの3試合•••


特に2017年の•••

春季大会の決勝戦は•••


初のナイター開催と•••

となった注目の一戦で•••

試合は延長12回までもつれ込み•••


清宮選手や•••

野村選手を要する早実打線と•••


日大三高の投打の•••

中心であった桜井選手が•••

がっぷりと組み合った試合で•••


何と本塁打が7本も飛び出す•••

歴史的乱打戦は凄かったですね•••


日大三高と早実は夏の決勝戦では過去に4度対戦をし、343506年に早実が勝ち、11年は日大三高が勝った。06年の早実は延長11回5-4で日大三高にサヨナラ勝ちをし斎藤佑樹投手(元日本ハム)は3時間48分の死闘で221球を力投。11年は高山俊(現阪神)横尾俊建(現東北楽天)らの日大三高が2-1で勝利




プレイバック

早実の連続甲子園出場が続いていた昭和30年夏、並木選手(元阪神)を有する日大三高は準決勝で早実に大逆転を演じ東京都大会を制し甲子園に出場し、翌昭和31年のセンバツにも出場した。しかし、その直後の春季大会で早実の王投手(1)に敗退をし、その後は早実の甲子園4季連続出場へと続く


早実は1915年に開催された第1回の甲子園(全国中等学校優勝野球大会)にも出場を果たしている(当時はたった10校で争われた)



日大三高は本来1918年に創部されているが当時は私立赤坂中学校という校名。日本大学へと経営が移されたのが1929年であることから1正式な創部は1929年とされており1938年の春夏と甲子園初出場











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