らむ茶の独り言

ロックとノンアルコールビールと田舎暮らしを愛するガーディニング野郎の勝手な独り言。

総論賛成各論・・・

2007年12月20日 22時40分41秒 | 日記・エッセイ・コラム

例の薬害の問題だが、マスゾエのバカヤローは氏ね、というのは簡単だが話はそんなに簡単じゃないんだろうな。オレも以前マスゾエにはガッカリした、という事を書いたが、それじゃあオマエが同じ立場なら全面的に認めるかと言われると多分NOだな。立場が違うと認められない事って世の中たくさんあるからな。偉そうな事ぬかしやがるマスコミだって絶対に謝罪しない時があるしな。裁判で負けても謝罪しない。謝罪が条件だったときは謝罪するみたいだが。

このひとつの薬害を認めるとすべての薬害に対して認めなくてはならない事になると厚生省は言ってる様だ。確かにどんなに安全な薬でも必ず副作用を起こす人はいるだろう。それら総て責任を認めて賠償しろとなったら厚生省は機能しない。待て待て、そんな事は言ってないだろ、この薬害だけ認めろと言ってる・・・ワケじゃないんだよな多分。これで政府が全面的に認めたら次々と同様の政府決断を求める声が出てくるのは容易に想像がつく。認めるな、と言ってるわけじゃないよ。ただ、ほかの事総てに責任を取るといったら結局それは国民負担になって返ってくるわけだ。薬害対策税みたいな事になっても良いのかと思うわけだ。自分にカンケーネーから勝手な事を言うが、じゃあお前らも負担してくれとなったら諸手を挙げて賛成するかというコトを考えてみた。

もう1つ、危険運転致死罪とか言うのも被害者にとっては加害者全員に適用しろ、という事なんだろうが、不幸にして自分の身内が加害者になった時同じ事が言えるだろうか。飲酒運転は弁明の余地が無い。でも、酔った勢いで人を撥ねるかも知れない、と思って運転する奴は多分いない。飲酒運転では殺意は無い。判断力が鈍って起こした過失なのだ。こういうことを書くと誤解されるかもしれんな。

俺が言いたいのは、飲んだら運転できなくする方法を考えないのは何故かということだ。シートベルトを装着しないとエンジンがかからないようにすれば良いじゃないか。アルコールが検地されたらエンジンがかけられないようにしないのはなぜだ?スピード違反を取り締まるよりも100K以上出ない車を作れば良いじゃないか。そんな車は売れないというかも知れん。だったらそういう車は自動車税を下げるなりの優遇措置をつければ良い。それでも本当に誰も買わないだろうか?飲酒運転して事故起こしたら、そいつに酒を飲ませた店も一緒に逮捕しろ。一時そんな事を言ってたが最近はすっかりみんな忘れて、加害者本人だけを厳罰にする事で飲酒運転を無くそうとでも考えてるとしたらいつまでもなくならないだろう。無免許もそう。免許書を差し込まないとエンジンかからないようにすりゃあいいじゃん。

日本人は単一民族の国なので価値観や思想がほとんど同じだ。だからそんな事は言わんでも判るだろう、という阿吽の呼吸が今でも社会ルールの根底になっている。ところがアメリカは多民族国家なので価値基準も思想もばらばらの民族の集合体なので、誰にでもハッキリわかる明確なルールや基準が必要になる。

昔、会社のエライ人に「マニュアルというものがあるが、これが何故アメリカで生まれたかキミは分かるか?」と言われた事がある。何のコトを言ってるのか?という感じだったが、その人いわく「アメリカ人ってのはバカが多いんだよ(とその人が言った、オレじゃないよ)、だからそういうバカにも分かるようにマニュアルが生まれたんだ。だが、日本人にはあんなものは必要ないんだよ。自分で考えて仕事しろ。」という話だったんだが、どうも今の日本には誰にも分かるマニュアルが必要なんじゃないかと思う今日この頃。まあね、自立した人間を育てたいとか言って文科省のマニュアルにしたがって先生が子供に教えてるわけで。加減を知らなくなってきてるよね。そこまでやったらマズイだろうというのが判らない。飲酒もそう。最近のダウンロード問題もそう。ジャスラックの件もそう。

コメント
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