LOVE AND GLORY

-サイキックの眼-

「理想は現実」~前篇~

2013-02-21 00:01:00 | サイキックの眼

   
  
「理想は現実」~前篇~
    
    
理想⇔現実
理想と現実は、対義語・反対語と意味がなされている。
「理想と現実は違う。現実は甘くない。」
   
あなたの『理想』は?。
あなたの『現実』は?。
     
理想を上げればきりがない?。
だが現実を考えれば致し方ないだろう。
 
あなたの現実は?と聞かれると、だいたい答えられます。
今の現状を本人が説明するのです。
では、あなたの理想は?と聞かれると、どうでしょうか?。
 
そもそも理想とは何でしょうか?。
その人それぞれみな違うでしょうし、
また時代や世代によっても違い。
国や人種によっても違います。
 
   
◇我々の世代の理想は〇〇だったが、現実は〇〇だった。
◇私たちの国の理想は〇〇なので、あなたたちの国の理想とはかけはなれている、これが現実なのです。
◇わたしの理想のタイプは〇〇な人だけど、でも現実は〇〇で・・笑。
◇理想の仕事に就きたい、だけど現実は厳しい。
  
    
つまり、『理想』とは、自分が持つ【欲求】です。
では、『現実』とはなにをさすのでしょうか?。
 
    
例えば
Aさんは、Zさんのことが理想の人で好きだ。
だがZさんは、Bさんのことが好きなので・・現実は厳しい。
或いは
Zさんは、Bさんと付き合いたいが・・自信がない。
しかし、AさんはZさんの事が好きなので付き合うことは容易だ。
・・現実は厳しい。
 
Aさんの『理想』は→Zさん・Bさんという『現実』
Zさんの『理想』は→Bさん・Aさんという『現実』
これでみると、Aさん・Zさんは『現実』であり『理想』でもあるのです。
『理想』と『現実』は同一人物!?。
 
『理想』とは、自己のみの欲求。
『現実』とは、自己以外の他者や他種の全てということになる。
 
    
また例えば
「私達家族の理想は〇〇であるが、現実は厳しいのです。」
私達家族の理想?って・・あまり聞きませんよね?。
家族の理想?があったとしても・・、何か?気がぬけた感じがします。
そうです、「現実的ではない」っていう風な解釈になります。
家族は複数人数がいるので、家族は既に『現実』なんです。
 
またまた次に・・。
「私達信者の思想と尊い理想は、すべて神様が与えたもうたものであ~~るっ!」
な~~んて宗教団体があったとします。内容はともかく。笑
私達信者の理想?って・・、なんかイヤ~な感じ?でしょう。
なぜなら、複数人数が全く同じ理想を持っている。
理想とは個人的なものであるのに・・複数人が同じ理想を持っているのです。
つまり、この場合の複数人団体者は、「自己の理想」が無いのです。
だからイヤ~な感じがするのです。
 
   
訳が解らなくなってきましたね!笑。
    
もう一度おさらいします。
 
『理想』は、自分一人の中で持ち抱き、起こるもの。
『現実』は、それ以外のすべてをさしたもの。
例えば数字にすると。
理想 【1】 に対して、現実は 【1】 以外の全ての数字ということ。
【1】は現実にはなれず、【1】以外の全ての数字は理想とは呼びません。
理想が【8】という数字ならば、【8】以外の全ての数字が現実なのです。
  
つまり、あなたは一人で居ると『理想』であり、
複数人の中に入ると『現実』となるのです。
 
或いは、
一人で頑張っている人を見ると、それは『理想』であり。
それを見ている側のあなた達は、『現実』と言えるのです。
1人のアーティストがワンマンショーを演じていると、それは『理想』側であり。
観ている観客席のすべての人達は『現実』側なのです。
 
   
先ほどの宗教団体的な例え話しに戻ってみます。
ヒトツの理想を掲げて、みなで同じ理想を唱えるのは不自然なんです。
複数人団体なのに『現実』にはならず・・なぜ不自然なままなのか?。
それは、この複数人団体者は、自分では何も考えず、支配的な存在から与えられた『理想』のコピーだからです。
ではなぜイヤ~な感じがして、不自然な気持ちになるのかは・・?。
「理想コピー」相手に・・何も言えない気持ちになるからです。
そのひと個人の理想ではなく、他者の理想なので・・返事のしようがありません。
 
   
「理想の学校」
「理想の会社」
「理想の国」
「理想の仲間」
「理想の家族」
これらはみな、この世の中に存在しません。
これからも存在することはないのです。
なぜなら、これらは求めて・・実現できた時点で『現実』と呼ばれるようになりますから。
 
   
何度も繰り返し言いますが。
ひとりで抱き想う姿が『理想』で、
それ以外の全てが『現実』なのです。
つまりあなたは『理想』と『現実』、双方を生きているのです。
 
   
ひとりひとりの『理想』が。
『理想』という一人一人があってこそ、
『現実』が成り立ち、この世は在るのです。
 
なので、『現実』ありきで考えず、先ず『理想』であることが大切なのです。
そして、「理想のコピー・ペースト」では、現実が成り立たないのです。
 
   
あと大事なのは。
『理想』は押し付けるものではありません。(宗教的?・スローガン的)
『理想』はそれぞれ想い抱くものなのです。
「理想を持て」というモノでもない。(教育・セミナー・主張運動的)
「あなたの理想を大切にしなさい」
こうあっていいのではないでしょうか?。
 
    
理想だけでは食っていけないぞ!!。
現実をよく見なさい!!。
 
   
『現実』という社会。
『現実』という自然・動植物。
『現実』という世界。
『現実』という膨大な宇宙。
 
    
『理想』を抱くことは孤独で、忍耐力が必要です。
しかし・・『理想』を抱くことなく、現実の中に居ると、
どうしようもなく寂しく苦しく・・現実の一員になり切れず
なぜか居場所を見つけられなくなってしまうのです。
 
   
「現実をよく見なさい!!」って言うんだから、
『現実』をよく見てみましょう。
『理想』を抱いている私達という集合体ではありませんか?。
 
あなたは、多くの人の理想と共に生きています。
私達は、あなたの理想と共に生きています。
これを『現実』と呼ぶのかも知れません。
 
   
こんな現実はイヤだッ!!!。
なんとかしてくれ。
もうどうしようもないじゃないか。
何もかももうウンザリ…。
もう死んでしまいたい。
 
   
あなたの理想は、いまどんな状態なのでしょう?。
 
まず『理想』を大切に抱いてみてください。
『理想』というあなたが、『現実』の一部なのです。
『理想』がイヤになれば、『現実』もイヤになるのです。
自分の理想をしっかり見つめてみましょう。
  
   
サイキック 山本 浩二
   
   
「理想は現実」~後篇~    
「理想は現実」~虐待篇~   
      
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