LOVE AND GLORY

-サイキックの眼-

この世の原則と社会の狭間で

2023-03-11 16:20:22 | サイキックの眼
 
 
この世の原則と社会の狭間(はざま)で
 
 
人の造りだす社会というモノは
都合のイイものばかりです。
“都合が良ければそれがイイじゃないか?”
と思うのでしょうが…
いったい何に対しての“都合良く”を
みな求めているのでしょうか?
 
気持ちよく過ごしたい
ストレス無く日々を送りたい
自分にとって都合の悪いモノが無くなればいい
おとなしく静かに何事もなく平穏であってほしい
お金さえあれば何もかも都合よくいくはず
自分の勝手な都合をお金で買えばいい
でもお金では買えない、
誰も売ってはくれない都合もある。
 
この世の原則に「人間社会の都合」なんて存在しない。
都合とは…
『人間が共存する為の歪んだルール』
とでも表現しましょう。
 
現代の人々は苦しみます。
“生きるのが苦しい”といいます。
“苦しみたくない”と求めます。
なぜ生きるのが苦しいのか?
といいますと…
「“歪んだ社会の都合”が合わぬから苦しい」のです。
 
では何故?歪むのか?
自然の動物や植物、微生物など歪んでいるモノはありません。
ですが人間にとっては、この世が歪んでいた方が都合が良いのです。
 
自然の景色を見るとホッとします。
自身が真っ直ぐで力強く感じます。
ですが…
都会の歪んだ社会に戻りたい…
情けなく心細く弱々しく感じても、
自分にとって都合のイイものが溢れている。
情けなさを補ってくれるし…
社会の歪み切った都合が、弱々しさを誤魔化してくれる。
 
何故?誤魔化さなければ生きてゆけぬのか?
それは…
『この世の原則が怖いから』です。
 
例えば…
鳥は、虫を容赦なく喰います。
バクテリアも人間も、基本は同じです。
喰って、自身を完成させたいのです。
そして…
喰われないよう工夫し、進化を遂げていきます。
大きな口を持ち相手を丸呑み出来るように
鋭い牙で攻撃し相手を噛み砕けるように
相手から逃げられるように速い足を持ったり
毒を吹きかけたり。
『この世の原則』は恐ろしいものです。
そしてそれに対し、ストレートで真っ直ぐで、容赦ありません。
 
つまり…
人間のマナーでは、
『この世の原則』は“危険”とされ、
ストレートで真っ直ぐで、
喰うことに容赦ない生き方は、
あらわにしてはいけない。
歪み切った生き方を受け入れ、
我慢できる人
誤魔化し上手な人が、
良き人生で良きヒトとなれる。
そしてそれには…
もれなく付いてくる付録として
生きる苦しさと病いがある。
都合良く誤魔化し誤魔化し…
それも限界を越えた現実の社会。
歪んだ平和の中でもって長く続けても、
必ず破綻は免れません。
 
真っ直ぐに成長し続ける自然に対し、
歪んだ都合を受け入れてしまった人にとって
それは脅威でしかありません。
自然の恐ろしさは、真っ直ぐだということです。
「この世の原則」には、誤魔化しも好都合もありません。
ただ在るのは…
「お互いに喰い合うことは野蛮なのでやめましょう」
「喰う喰われるを相手にお金を支払うことで生きのびましょう」
ということ。
 
そして今では…これらを浅くマニュアル化した社会。
都合よく誤魔化した社会を、
誤魔化し続けて行くために、
それがバレないように更に誤魔化して管理する。
?!
なんのこっちゃわからん!笑
誰だってノイローゼになるに決まってます。
 
何故?ノイローゼになるのか?
それは…
「この世の原則」即ち…
自ら正々堂々と生きる選択が出来ないことです。
それが恐怖なんです。
“恐ろしいこと”に対し、恐怖を感じられないことが怖いのです。
 
仕事場などで、トラブルが起きないようにマニュアル化を進めます。
すると安心すると同時に、責任も無くなります。
責任が無くなればホッと気が楽になります。
ですが、自然の強威は無くなりはしません。
何が言いたいのかというと、
本当はみな、責任を持って生きてゆきたいのです。
 
責任を負う仕事は嫌です。
でもそれは、歪んだ社会に置いての責任が嫌なのです。
嘘だと分っている責任を負うのは苦しい。
誤魔化してきたことの責任は最悪です。
これは破綻した人間関係すべてに言えることです。
ならば…
自然の強威とストレートに対峙する恐怖の方がよほど健康的です。
対峙することも、逃げることも自由です。
けども…
歪み誤魔化してきた嘘からは、
対峙することも出来ず、
逃げることも出来ないのです。
 
歪んだ社会の狭間から
誤魔化し続けてきた人間関係の狭間から
どうやって自分を取り戻すことができるでしょうか?
 
 
サイキックの眼  ヤマモト・コージ