オノレ・ノ・ウツワ
僕が《透視》によるカウンセリングを行う上で、その人の自身の姿を視るのですが・・。
それは魂であり、本質であり。
ちょうど陶芸作家さんが陶芸釜から『器』を釡出しする時のような。
ひとつひとつが違う出来具合いで・・、茶道の世界ではその陶器(茶碗)の個性ある正面を『顔』と言ったりしますが。
そのカタチや大きさ、土の種類や顔料、質感は様々です。
《透視》をして、その人の『器』を拝見する。
どのような土と水でコネられて。(両親)
どのような歴史の器の種類で。(生活環境)
どのような顔料や釉薬や灰で。(個性)
どのような化学変化をおこしているのか?。(現状)
硬すぎる壁のような人。
薄くて割れそうなガラス細工のような人。
浅くて広い人。
色鮮やかな華のある人。
底に穴があいたザルのような人。
ヒビが入って苦しい思いをしている人。
まだ粘土のままの人。
マトリョーシカのように、幾重にもなっている人。
真っ二つに割れている人・・。
器が大きい人。
ごはんがいっぱい盛れるお茶碗のような人。
このような感じで、焼き釜から作品を釡出しする陶芸家のように、僕もひとりひとりの方の魂という『器』を細部まで拝見するのです。
そのひとりひとりの方は、自分の『器』の在り方の本当の意味を知りません。それが殆どですし・・また生きていく中で見つけていくものなのです。
ですが・・その自分で在る為の自分の『器』とは何たるや?という疑問や苦悩、模索をしなくても良い時代であるようにも思います。
自分の『器』が何なのか?、知ってはいけない境遇や生活環境の人は多いと言っていいでしょう。
また言い方を変えれば、「自分の器を知りたくない」という人も多いのです。
自分の『器』がどのようなモノなのか?、原材料は何なのか?、どのような用途に使えば良いのか?が解れば、自分と付き合うことがしやすくなります。
そして他人との区別がついて、他者との付き合い方も解りやすくなるのです。
自分にとって一番必要な材料は何か?が解るようになるのです。
たとえば・・鬱やノイローゼになったとします。
人生経験としては必要な場合もありますが・・、ようは自分の『器』に合わない器の使い方をして、器の手入れ方法もメチャクチャで。
例えば・・フルーツパフェの器にチャーハンを入れているとか?!。
それはそれでオモシロイ!と言ってしまえばそれまでですが。笑
しかし毎日だとノイローゼになりそうな感じでしょう?。
自分がどのような『器』の持ち主かが解らなければ、なんでも入れてしまうのです。もちろん入れてしまってから・・なんか違うなぁ?と思い、やり直してみることが大切なのですが・・、そのやり直すことや考え直すことが麻痺している状態が鬱でありノイローゼなのです。
自分の『器』の在り方。
まず自分を知らなければ何も始まりません。
あなたの『器』は?
どんなカタチで
どのような色と模様で
どんな香りで
用途は何にむいているのか?
どのような器との組み合わせが良いのか?
何に気をつける必要がある器なのか?。
どこに置けば一番愛らしくなるのか?。
サイキック 山本 浩二
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