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-サイキックの眼-

「サイキックの眼から視た未来」3

2018-12-30 17:41:10 | サイキックの眼

       
     
「サイキックの眼から視た未来」3
  ● 2018年12月30日 更新
    
     
前回の記録 2 から5年過ぎての記録を記す。
    
     
天災。
地殻変動と地震…
静岡県東部を中心に、東は横浜、西は浜松までの沿岸部。
地殻変動による災害、そして斜面などの大きな崩れがある。
特に、伊豆などの斜面に建つ建物などの倒壊。
    
       
いつどのような時に起こりうるか?
僕の持つ感覚では、それは定かではない。
だが、その未来が僕の眼にどのように視て取れているのか?
というと…
    
近い未来に、僕の目の前にある物質(有機物)が…
  「有る」か? 「無い」か?
      
つまり普段から、目の前に見えるモノが…
この世に在るのか?
それとも
この世にもう無いモノとなっているのか?
これが明確に視てとれている。
それは動物や人に対しても同様です。
なにせ…子供の頃から親の寿命をも視て知っていた。
もちろん子供の頃は訳もわからず、
他のみんなもそんなかんじなのかと思っていたものだから…
普通の社会の流れに馴染めなかったのは言うまでもありません。
     
「サイキックの眼から視た未来」 1
「サイキックの眼から視た未来」 2
 2016年・熊本 阿蘇 大分地震
※ 併せて、過去のこちらの記事もご参照ください。

明日や未来にも在って良いものが、無くなってしまっている…
僕の眼にだけ、そう映っている…
今までも、黙って見過ごしてきたことが、どれほど多いことか。
よく、交通事故を目撃した人が、自分にも責任があるのではないか?
と苦しむことを聞きます。
事故や天災で自分だけが生き残った、という人にも罪悪感を持つと聞く。
それとはまた次元が異なることですが…
未来を知っていて、何もしなかった、出来なかった、見て見ぬようにした。
僕はこの罪悪感でのみ苦しんできた人生…といっていい。
かといって、予言めいたようなことを言いふらしたところで誰も信じない…
みんな今を生きて、今を楽しみたいのがつねだ。

2016年・熊本 阿蘇 大分地震
こちらの記事にも、アップした当初には書いていない事がある。
熊本城のことだ。
この地震が起こる前、2015年に初めて熊本へ旅行に行った。
雨が降りしきる中、熊本城に赴いた。
息も切れ切れに天守閣まで登り外を眺める…
精神力と体力…エネルギーが異常に消耗し、
疲れが異常な状態になっていた。
普段からもたいていは疲れ続けているので…
何故だろうと不思議には思っていたが…
天守閣からの眺めに目をやると、
景色よりも、その窓の戸の上に迫る庇(ひさし)の瓦が気になった。
瓦には何やら漢字が施されていて、読み方は解らないが…
当たり前の事だが、お寺や神社の瓦とはまた違うものなんだろうな。
と、この程度でもって窓の外の上に迫る瓦を眺めていた。
もうこの時に、自分のエネルギーの消耗が限界でフラフラだった…
運動もしない生活で、城の天守閣まで登って体力が限界だったのか?
いや、そうじゃない。
天守閣からの景色よりも気になっている、目の前のその庇と瓦が…
《 無い 》
目の前に在るそのモノが…僕の眼には《 無い 》ことになっている。
この時点で、精神はモウロウとし、立っているのもやっとだった。
こころの中では「また何か始まった」となり、すべてが霞んでくるのだった。
そして…
この1年後、この瓦は無くなっていってしまった…
地震のニュースを見るなかで…
熊本城も、天守閣の瓦も、バラバラと落ちていくのを見ることになった。
この1年間、僕の感覚は、時空と次元がブッ飛んでいたのだ。

阪神大震災の時も同じようなことを体験することがあり、
東日本大震災の時もあった。
ニューヨークに旅行に行った時のウォール街でも恐ろしいような体験をした。
その2年後、9.11が。

特に大きなエネルギーが動くようなことが未来に起こると、それは確実に視える。
天災でも、人災でも、同じ物質のエネルギーには変わりない。
そして今回の記事では、
静岡・伊豆沿岸部を中心に、東は横浜、西は浜松あたりにかけて、
大きな自然災害がある。
僕の眼には、多くの建物、伊豆の斜面に建つビルや家屋が未来には…
《 無い 》状態に視えている。
充分に注意してほしい…
何時、何時、何分に起こるかは判らない。
何故なら、それを的確に算出するには、
僕のこの一個体の身体量と精神量だけでは身がもたない。
それぐらいのそれ以上の膨大なエネルギー量と向き合う作業であって、
それをすべて許して向き合ってしまうと、僕自身が破綻してしまうのだ。

伊豆周辺の人は、家を買うな、身の安全と…
そして、被災後に必要な生活の再起動が出来るよう備えてほしい。
そういっても、どうにもならない。
どうすることも出来ない…
東日本大震災の時もそうだった。
一軒一軒、ひとりひとりに言ってまわることも出来ん。

ただ僕に言えることは…
「宇宙の原理は甘くない」ってこと。
どこかの国が、国ごとふっとばすような兵器を持ったとして…
それがどこか滑稽にもみえてしまうのは、
それ以上の途方もないエネルギーがこの宇宙の原理として渦巻いている。
そちらを克服する方がどれだけ有益か。
だが、爆弾や兵器でを持つ方が簡単なんです。
本当の原理は、数式だけではすべてを解くことが出来ない。
なぜなら、ずっと超高速で伸び続けているモノを超低速で追いかけているようなもの。
ならばどうすればいいか?
その中心を見るんです。
それが一番難しい。
なぜなら…身がもつはずがないからだ。
なぜなら、すべてを一気に認める事が必要なのだ。
それが宇宙の原理。

ある種それとは逆に、ほんの一瞬でも人生は人生。
地球がほんの少しムズムズと寝返りやクシャミをしただけで、
人間や、人の人生が一瞬の間に消えて無くなってしまうことが起きる。

今回の更新記事では、伊豆を中心とした事を記しました。
特に大きい災害になるだろう。
気をつけてほしい…といっても、どうすることも出来ん。
だけど、気をしっかり持つことは出来る。
出来る限り、向き合うことが必要だ。
それは恐ろしいことで、避けて通りたい。
だが、避けられないと認める事の方が、うまく生きていけるものなのだ。

前回までの記事にも記していますように、
四国の内陸
群馬県内での大きな自然陥没
そして、再び神戸周辺地区の震災。
大きな自然災害によって、未来には無くなってしまうものがある。
よく言われる中京・南海地震は、まだその先のように感じている。
それよりも、伊豆周辺を注意してほしい。



サイキックの眼  山本 コージ


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