情けしかない…
ご相談の依頼を請け、お話を伺いますと、必ずといっていいほど精神的苦痛を強いられ与えられた経験があるようです。
いわゆる虐待です。
ご依頼者自身でその認識のある方もいれば、そうでない方もいます。
虐待と、その苦痛は、精神と神経に刻み込まれ、どうすることも出来ず、与えられ続けた末に…成長も止まったままになるのです。
精神と神経に刻み込まれた苦痛は、様々な形で肉体と人生に不具合を起こしています。
人格障害、統合失調症(精神の分裂)、幻聴に妄想、アレルギー症状にアトピー(軽症/重症/共)、依存症に恐怖症。
症状を数えてみてもキリがない。
例えば、人間だって自分の生命エネルギーを放射状にバランスよく放出しているとして、それが抑圧され続け存在否定され続けてきたならば、バランスは歪み…八方ふさがりになり気がおかしくなるだろう。そしてそれは鬱積しガクガクブルブル爆発しそうになり、その感情を抑える為の方法として様々な形でもって身体と精神を自己抑圧し…ゆくゆくは最大限のマックスの不具合を起こす。
実際にこう考えていくと、虐待を与える側も、自分のバランスが保てないアンバランス状態なのであって、歪んだ八方ふさがりの吐け口として虐待という方法を行う。
不自由な八方ふさがり状態の人生を!虐待でもって相手をも八方ふさがりに貶(おとし)めないと気が済まない!!
そしてこれが何代にも渡って受け継がれている。
何代にも…?
そうです、先祖代々からね。
親から子へ、そしてまた親から子へ。
結婚しても、虐待パターンの家系どうしの出会いから結婚をされる。
賢い人は賢い人と結婚するだろうし、虐待を受けた人は虐待を受けた人と出会う…
(例えば、ズルい人はズルい人と出会う。)
我が子を八方ふさがりにしないと気が済まない!!
これが虐待ですわ。
人間の性(さが)、人間の心理ですわ…
それに暴力だけではないよ。
お金と物品を子供に与え続けて、コントロールすることで口封じをし八方ふさがりにさせる事も、どれほど多いことか!
ニートや引きこもりの原因は、親の歪んだコントロールの八方ふさがりから逃れられない成れの果て…ということになる。だから毎日何処かでそんな親がこんな子に殺されている。
ご相談のご依頼をされる方は、八方ふさがりの限界の状況の方であります。
色んな病院でも治らない、働きたくても働けない心身、お金でもどうすることも出来ない…など。
あと宗教や占いやスピリチュアルなんとかみたいな、結局はなんのツッパリにもならないモノの精神的後遺症も多く見受けます。
「愛しているから虐待する」って事は、ありませんわ。
え゛っ!? ある??
いやいや…汗
じゃあ言い方を変えて
「信頼しているから虐待する」って事は…ありません!!
むむむ???
ではもう一度言い方を変えてみて
「好きになれないから虐待する!!」
これでどうだ!(-。-)y-゜゜゜
これはアリだよね?
好きになれない、好きになれと言われても無理なんだよね?
それが友達とか他人とだったら、単に別れたらいいんだが…
我慢だらけの家系の家族で、我慢に我慢を重ねた上の八方ふさがり状態の中で、どうやってお互いを信頼し合って生活出来ますかね?
好きにはなれない…わな。
我慢するしかない中で、子供が無邪気に自由にすることなんて許さんわな。
だから子供にも、八方ふさがりの洗礼を与えましょうぞ!!ってなるんやわな。
・暴力!
・自己否定の植え付け
・お金で餌付け
・エトセトラ
このようなコントロールでもって、身も心も子供を八方ふさがりにさせる。
それが八方ふさがり人生の先輩である親の楽しみである。
このような人格家庭環境の人は多いだろう。
いつの世から始まったのか…
『我慢すれば将来は幸せになれるキャンペーン』の
国民の暗黙のスローガンの末路といっていい?
我慢して言うことを聞きなさい!
我慢して食べなさい!
我慢できない子は、すぐ切れる子!
もちろん、我慢せずに自分の生きたいように自由に生きることは難しい。
よっぽどの賢さと強さと勇気と忍耐力と自己の持続性も必要だ。
それが出来ないなら我慢して生きるしかない。これも現実だ。
八方ふさがりだ…
みな何処かに抜け道を探している。
それが戦争だったり、イジメに至る事だったり。
或いは、他者を八方ふさがりに至らしめる。
まるで将棋などの勝負事と同じだ。
子供だって解っている。
親から虐待を受けても…
「虐待をするしかない八方ふさがりの、この親が可哀そうなんだ…」って。
つまり…
情を感じ、情けをかけるのだ。
出口のない人生の中で…
信頼とかではなく…
愛でもなく…
情けしかないのである。
「情けないなぁ~」って、落胆するような言葉表現があるけど。
それってドン底の中で、深くため息を吐くような、目も当てられない情けない状況でしょう…
八方ふさがりの時は、何をやっても情けない結果ばっかりで、落ち込み腐ってしまう。
(あぁ無情)
だから…せめて「情けだけは掛けてやらなければ」ってなる。
「情けない」「情けもない」「恐い」
だから…せめて「情けだけでも忘れずに生活を続けられればいい」
情けないことしか見つからない。
情けしか見あたらない
目には見えない八方ふさがりの家庭環境において、
信頼もなく、穏やかさもなく、幸せの目処もなく、
愛情ではなく、好きなどでもなく、
情けしかない…
「親が可哀そうだから
親をなんとかしてあげたい
親が幸せになれるにはどうしたらいいのか教えてください。」
このようにご相談される方は多いです。
虐待を受けて、身も心もボロボロでも…親が可哀そう…と思うのです。
先ず親が幸せにならないと、子供は幸せになれないから。
世界中の子供はみんなそう思っています。
だけど現実は厳しい…
何故か?って、それは、
親も、その親から愛されたかったからだ。
子供から情けを掛けられたら、屈辱と受け取り、
また虐待や否定コントロールでもって八方ふさがりの刑にさらされるだろう。
情けしかない…関係
これがあたりまえなのが一般家庭というスタンダード。
そんなもんじゃなくて、もっともっと賢くなっていいだろう。
情けしかない…駆け引き
そんなもんは、信頼でもなければ、尊重でもない。
哀れなだけですわ。
親が可哀そう?
それはその人の人生の問題。
それは、正直に生きることが出来るかどうかという問題です。
正直に生きている人は、虐待なんて無縁ですから。
サイキックの眼 山本 コージ
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