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長崎修学旅行(2)

2016-06-03 | 日記

6月3日(金)

 

修学旅行1日目後半の学習は、被爆体験者の講話でした。

お話いただいたのは、被爆体験を語り継ぐ会の深堀悟さん。

 

 

12歳の時、爆心地より1.5km離れたところにあったおばさんの家で被爆し、爆風で倒れた家の下敷きになったけれども、幸い命だけは助かったそうです。

しかし、爆心地から600mしか離れていないところにあった自宅にいた家族は、次々に亡くなられていったそうです。

 

 

「生きていこうという勇気を与えてくれた人はだれですか?」

「家族を捜さないかん、支えないかんという思いで、何とか生きてきました」

「今、アメリカのことをどう思っていますか?」

「いつも聞かれます。戦争は政府と政府がしたこと。だから、アメリカの人のことをどうこうは思いません」

こうした子どもたちと深堀さんのやりとりが続きました。

 

 

「戦争は本当に残酷なものです。私の通っていた山里小学校では、1581名のうち、1300名くらいが一度に亡くなりました。皆さんには、家族、友だち、いろいろなもの、そして自分のいのちを大切にしてほしいと思います。」

深堀さんの切々とした思いのこもった話が、心にずしんと残りました。

 

 

山王神社の一本柱鳥居に行きました。

これまで大志小学校の修学旅行では、バスの中から見るだけのことが多かったのですが、今回初めて、100段余りの石段を上り、一本柱鳥居をくぐり、被爆した2本の大楠まで見ることができました。

 

 

続いて、浦上天主堂まで歩きました。

 

 

それから、如己堂へと向かいました。

 

 

永井博士が闘病生活を送った場所が、このわずか畳2枚の如己堂です。

 

 

見学の最後は、山里小学校。

被爆体験をお話いただいた深堀さんが通っていた小学校で、原爆落下中心地から700mしか離れていない場所に位置しています。

 

その山里小学校裏山に、3つの防空壕が残っていました。

18個目の防空壕を掘ったり、近くの水田で除草作業をしたりしている子どもたちの上で、原子爆弾は炸裂したのでした。

 

 

1日目の見学は、これで終わりでした。

バスで稲佐山の反対側、風頭山の中腹にあるホテル「矢太樓」に向かい、1日目の夜を楽しく過ごしました。

 



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