アメリカン・スクールの見学に訪れた日本人英語教師たちの不条理で滑稽な体験を通して、終戦後の日米関係を鋭利に諷刺する、芥川賞受賞の表題作のほか、若き兵士の揺れ動く心情を鮮烈に抉り取った文壇デビュー作「小銃」や、ユーモアと不安が共存する執拗なドタバタ劇「汽車の中」など全八編を収録。一見無造作な文体から底知れぬ闇を感じさせる、特異な魅力を放つ鬼才の初期作品集。
出版社:新潮社(新潮文庫)
喜劇的なおかしみがありながら、どこか哀しみを感じさせる作品が多く、その点が魅力的な短編集である。
中でも表題作『アメリカン・スクール』が一番おもしろかった。
特に、敗戦後の日本の状況を暗喩的に描きだしているあたりがすばらしい。
アメリカに馬鹿にされてはいけないと、やたら気張った態度を取る山田とか、外国人を恐れて卑屈に目立たないように振る舞う伊佐など、人間模様も様々。
特に山田の個性が目立つ。
軍人気質丸出しでありながら、敗戦国民としての変な従順さもあり、アメリカに負けてなるものかというプライドもほの見える。
通訳の場面には、アメリカに対する反発と卑屈さが如実に表れている。
卑屈に物事を考えすぎて、ひがみが前面に出ているように見えて愕然とするほかない。
そしてそういう人間は、当時いくらかいたのだろう。
そこには人間の未熟さのようなものも見出せる気がして、滑稽さと哀切と皮肉が感じられた。
『馬』はシュールすぎて、意味がわからない。
文章自体はさくさく読み進められてつまづくところはないし、面白いのに、最後まで読み終えたときには結局何を言いたいのかさっぱりわからないのだ。
それゆえに妙に心に残ってしまう作品と言うのが第一の印象である。
主人公の「僕」は妻から一切の相談もないまま、勝手に家を建てられ、彼の感知しないうちにその建築も進んでいく。
妻の決定に夫がふりまわされていくという構図には、小島作品特有の滑稽味があって愉快だ。
だが後半になるにつれて、お話はまったくもって意味のわからない方向に進んでいく。
最初、それは「僕」の精神病のせいかとも思ったが、必ずしもそう断言できない気もして、落ちつかない気持ちにさせられるのだ。それがもどかしい。
しかしそのわからなさこそが、この作品と魅力とも同時に感じさせるのである。
上手く言えないが、ともかくもふしぎな作品だった。
そのほかの作品も喜劇的な味わいがある。
『汽車の中』
まさにドタバタ喜劇。
戦後の混乱期は暗いイメージだが、描きようによってはこんな明るさも出てくるらしい。
『燕京大学部隊』
最初こそ、どこか喜劇的なおかしさもあるのだが、後半になって、妙な切なさが立ちあがって来る。娼婦を抱くときの姿はどこか哀切さえ感じられて忘れがたい。
『微笑』
微笑の写真だけあれば、それは慈愛あふれる父のように見えよう。
しかし実際の彼は小児麻痺の息子の不具を許せずいらだち、暴力的に振る舞う父親でしかない。要するところ未熟なのだ。
そんな生々しい心情がリアルにえがかれていて、突き刺さるような気がした。
『鬼』
自分をエンマに住むよう追いやったHに対する面当て行為を、主人公はしているらしい。
だが「忍耐」の世界の中で、必死にやり過ごしている姿は、いかにも小市民的で、何か滑稽じみていた。
評価:★★★(満点は★★★★★)
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