私的感想:本/映画

映画や本の感想の個人的備忘録。ネタばれあり。

『聖書(旧約聖書) 新共同訳』

2012-06-10 20:02:13 | 本(人文系)

僕は非キリスト教徒であり、加えて信仰心に乏しい男である。
だから以下の文章には誤解や誤読もあるかもしれない。
だがそこに悪意がないことだけは、言い訳として先に述べておく。



旧約聖書とは、主と呼ばれる絶対神に帰依する、人間たちの物語ということになるのかな、と読んでいて感じた。
当然、この書の中で一番重要な存在とは、主である。

キリスト教に関して無知なので、なぜ主がこのような性格の存在なのかはわからない。
ただ僕は、主に対して以下のような印象を受けた。
それは、主は、わがままで暴力的で、癇癪もちのかまってちゃんだ、ということだ。


基本的に主は、独善的である。
自分に力があるということを知っているためか、弱く同時にだらけた存在である人間をいいように翻弄し、手のひらで弄んでいる感が強い。
有名なアブラハムがイサクを殺そうとするところなどはいい例だ。やっていることはずいぶんサディスティックで、いろいろひどい。

また自尊意識の異常なまでの強さゆえか、自分は愛されて当然だという観念が強い。
よその神を信仰でもしようものなら、強烈なまでの嫉妬心を発揮し、自分を信仰しないものは罰が下ると、半ばおどしまがいの文句も口にする。

力を持っているせいか、弱者に対する支配欲は強く、言うことを聞かないと災厄をもたらす。
自分を愛することを相手に要求し、それを形にして示せ、とかなり細かくケチをつけてくる(『レビ記』なんかその最たる例じゃないか?)。
そしてプライドは異常なくらいに高い。

こういう性格の存在を信仰する人もいるのだな、と読みながら僕は感心した。
人間は何度も主の教えにそむくけれど、それは早い話、主が嫌われているからでは、と疑ったりもする。
ともあれインパクトのある存在ということはまちがいない。



宗教的な側面については、それ以上述べる意志はないので、物語に関して語ってみよう。
非キリスト者の僕から見て、物語的におもしろい、と感じたのは以下のとおりである。

『創世記』、『出エジプト記』の前半、『士師記』(特にサムソンのところ)、『ルツ記』、『サムエル記』、『列王記』のソロモンのところ、『エステル記』、『ダニエル書』、『ヨナ記』
といったところだ。


ことに気に入ったのは、『創世記』だ。

中身的には独善的な側面が多くて、不快に感じるところもあるし、いかにも神話めいたテンプレな話も多いけれど、エピソード量は豊富でそれなりに楽しめる。
ラバンでのヤコブの話や、ヨセフの貴種流離譚的な話なんかはおもしろい。

またこの時代の主は絶対神のわりに、無知な部分があったらしく、それなりに失敗もする。
カインとアベルの逸話では、自分が嫉妬深いわりに、人間の嫉妬についてあまりに無関心すぎるし、ノア以外を洪水で殺した後は、さすがに反省したのか、前面に出てくるところをやめたりしている。
そういうところを読んでいると、主もまだまだ未熟だな、と感じる。

一番笑ったのは、ソドムとゴモラの滅亡に関しての、アブラハムとのやり取りだ。
主はそのときソドムを滅ぼそうとするのだけど、それを聞かされたアブラハムは、口八丁で主をごまかし、ソドムを少しでも滅亡から助けようとする。
そのときの主があまりに適当すぎて、がっくりする。
そんなに簡単に、相手の言葉に乗せられるなよ、と思わずつっこんでしまった。
滅ぼすなら滅ぼすで、ちゃんと計画を立ててからにした方がいいのに、何て行き当たりばったりなのだろう、とよけいなことを考えてしまう。

また『創世記』には、ダメダメなやつが多いような気がする。
たとえば酒に酔っ払ったノアは自分が悪いのに、恥をかかせやがってと、息子に対して逆ギレするし、その末に、なぜか無関係の人間に呪いをかけたりする。
またアブラムは処世術とは言え、妻をエジプト人に売ろうとするし、ロトは娘相手に近親相姦を行なっている始末。

宗教書としてちょっとまずいんでないの、とか、どいつもこいつも身勝手すぎるだろう、とか思う場面も多い。
だがそれが逆に、この作品の良さかもしれない。


そのほかの作品では、
『出エジプト記』の、モーゼが実は人殺しだったというところや、有名なエジプト脱出の展開がおもしろい。
『士師記』では、サムソンのエピソードがドラマチックで、エンタメ要素が強いところが良い。
『ルツ記』では、ギスギスしたエピソードが多い旧約において、その牧歌的な雰囲気に救われる思いがする。
『サムエル記』では、サムエル、サウル、ダビデといった個性的な面々が政治的な駆け引きをくりひろげるところや、ダビデがいかに愛されていたか、伝わってくるところが印象深い。
『エステル記』は、ちょっと敵が憐れだけど、その権力闘争的な話が読み物として楽しい。
『ヨナ記』は、ヨナが主に反抗するところや、魚に食べられる有名な展開、父性的な優しさを見せる主の姿が印象的である。


ところで旧約聖書と言えば、『ヨブ記』も有名だけど、僕の趣味には合わなかった。
言うなれば『ヨブ記』は、ヨブとヨブの友人と主とが、自分の正しさを主張し合う話だからだ。
自分はまちがっていない、と訴える彼らの盲目なまでの確信が狂気じみて見えて、僕には馴染めなかった。



何かまとまりがなくなった。
ただ、有名な小説や絵などの元ネタを知ることができた、という意味でも、内容的に合わないなりに、何かとためになったと思う。
旧約聖書分だけを読破するまでに2年弱かかったが、一度通読しておいて良かった、と思った次第だ。


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