私的感想:本/映画

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『夏草の記憶』 トマス・H・クック

2011-01-27 21:35:07 | 小説(海外ミステリ等)

名医として町の尊敬を集めるベンだが、今まで暗い記憶を胸に秘めてきた。それは30年前に起こったある痛ましい事件に関することだ。犠牲者となった美しい少女ケリーをもっとも身近に見てきたベンが、ほろ苦い初恋の回想と共にたどりついた事件の真相は、誰もが予想しえないものだった!ミステリの枠を超えて迫る犯罪小説の傑作。
芹澤恵 訳
出版社:文藝春秋(文春文庫)




この作品では、あるひとつの事件の顛末が描かれているわけだが、その事件自体は、さほど驚きのあるものではないと思う。
確かにラストのラストでは予想外の展開が待っている。
けれど、物語の主筋の謎、少女の身に起きた悲惨な事件で、少年がどのような役割を果たしたか、という点に関しては、そこまでの衝撃や驚きがあるわけではない。

だが本作に関しては、そのようなミステリ的な驚きを求めることに意味はないような気がする。
本作で重要なのは、主人公であるベンの心の動きにあるからだ。


とは言え、そこかしこに見られるミステリ的な趣向が光っているのも事実だ。
主筋の謎の衝撃度はともかくも、そのテクニックゆえに、本書を楽しく読み進めることができる。

思わせぶりな言葉が至るところに散りばめており、ベンが悔恨する理由は何なのだろう、と否応なく期待を煽られる。
この焦らし方は本当に上手く、早く真相が知りたいとワクワクしながら僕は読んだ。
これは読書体験としては、幸せなことだろう。

またラストで明かされる展開にも少しびっくりしてしまう。
丁寧に読んでいけば、容易にわかることだけど、これは予想外だったので、すなおに感心するほかない。


そのような物語の中から、主人公ベンの心理がゆっくりとあぶり出されていく。

『夏草の記憶』は一人の少女に恋する少年のお話であり、彼が犯した過ちの物語なのだが、その二つのテーマに関わる心理過程がおもしろい。

恋愛の描写に関して言うと、好きな女の子の前でいい格好をしようと強がったり、わざとそっけない態度を取ったりするところや、自分が相手にふさわしいのだろうか、と思い悩むところ、相手の挙措に対していろいろ深読みしいちいち舞い上がるところ、相手との距離を縮めようと性急に行動するところ、などは、特におもしろいと思った。

それは自分にも身に覚えがあることなので、親しみをもって読むことができる。
本書のどこかに、十代の恋は滑稽なのだ、というようなことが書いてあったが、確かにそうだね、と思う。
十代の恋は視野がせまい。ゆえに滑稽なのだろう。


しかしその視野のせまさが、ときとして人に残虐な感情を呼ぶこともあるらしい。
相手のことが好きだった分、それが反転したとき、人の心に憎悪が生まれるかもしれないのだ。
そしてそれがベンに過ちに満ちた行動を取らせることになる。

その過程を丁寧に描いており、魅せられるように読み進めることができる。
ミステリであるが、ほとんど心理小説と言ってもいいようなタッチがすばらしい。


もちろんケチをつければつけられるわけで、たとえば捕まった犯人の行動が都合よすぎる点など、引っかかる点がないわけではない。
だがそんな瑕疵も、冴えまくった心理描写を読んでいると、帳消しにしていいと純粋に思うことができる。

僕はトマス・H・クックの作品を『緋色の記憶』『夜の記憶』と読んできた。
構成の緻密度では『緋色の記憶』が、ミステリ要素の楽しさでは『夜の記憶』の方が上かもしれない。
だが個人的には、心理描写が非常に冴えた、『夏草の記憶』が一番好みである。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)



そのほかのトマス・H・クック作品感想
 『緋色の記憶』
 『夜の記憶』


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