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久しぶりに再会した幼なじみは、かつて僕の英雄だった輝きを失っていた…「故郷」。定職も学もない男が、革命の噂に憧れを抱いた顛末を描く「阿Q正伝」。周りの者がみな僕を食おうとしている!狂気の所在を追求する「狂人日記」。文学で革命を起こした魯迅の代表作16篇。
藤井省三 訳
出版社:光文社(光文社古典新訳文庫)
本作には、大別するなら2種類の作品が収められていると感じた。
一つは、『故郷』のように、作者自身をモデルにした、見ようによっては私小説的な作品。
もう一つは、『阿Q正伝』のように、現実の社会情勢を反映させたフィクションである。
個人の好みを語るならば、『故郷』や、『朝花夕拾』所収の作品群など、自伝的要素のある作品の方が好きだ。
後者も決して悪くないけれど、趣味としては、前者の作品の方が心に残る。
特に、『故郷』はすばらしい。
最初に読んだのは、中学の教科書だが、久しぶりに読み返して、その物語の鮮やかさに心奪われる。
言ってみれば、『故郷』は、地方のお坊ちゃんとして育った「僕」が、久しぶりに故郷に帰り、幼なじみと再会する、というだけの話である。
その中で目を引くのは、少年時代、あれほど輝いていた閏土が、大人になると、生活に疲れ、器なんかをちょろまかそうとする、くたびれた大人になっているという対比にある。
そこにあるのは若い日の幻想の崩壊であり、幼なじみであっても、元々は主人と雇い人の関係でしかなかったのだ、という苦い現実の確認でもある。
その姿が、読んでいても少し切なくてならない。
だが、自分たちの若い世代は、むかしの自分たちと同じように、社会的地位だとか、生活の困窮などとは無関係に対等の友だちとして、つきあうことができる。
そこに希望を託そうとする姿勢が、それなりにポジティブで、しんしんと胸に響いた。
社会情勢を反映させたフィクションの方では、『端午の節季』が好きだ。
この作品は、物事に対してとかくあきらめた見方をしがちな男を主人公にしている。
「似たり寄ったり」と、何につけ考える彼の態度は、物事の問題と真正面から向き合うことから逃げているように見えなくもない。
その結果、彼はトラブルを生じるままに任せるだけで何もしようとしない。
不正に対してノーと言うわけでもないし、生活にいくつか不満はあれ、それを改善することをあきらめている。
彼がそんな態度を取るのは、そっちの方が気楽だからだろう、と思う。
行動するよりも言い訳を考えている方が、労力を使わなくて済む。そんなことを無意識的に感じているのでは、という気もしなくはない。
そんな主人公の姿は、自分の戯画を見せられているようで、読んでいて卑屈な気持ちにさせられる。
そしてその点こそ、この作品の魅力だろう。
そのほかの作品もおもしろいものが多い。
自分を殴る男に対して、かわいそうと言った娘の言葉が印象に残る、『薬』。
深く物事を考えない、典型的小者の巻き込まれる運命が、実にむごい、『阿Q正伝』。
意地悪な召使が見せた意外な優しさと、『山海経』を大事にする少年の姿が忘れがたい、『お長と『山海経』』。
詭弁を弄し責任を逃れる医師への軽蔑と、父の苦しみに目を向ける「私」の思いやりが印象的な、『父の病』。
倫理観がぐちゃぐちゃな、辛亥革命前の中国大衆の姿が興味深い、『追想断片』。
中国人を差別する日本人たちへの納得がいかない気持ち、同胞の死に無感動な同じ中国人への憤り、藤野先生の魯迅への思いやりなどが心に残る、『藤野先生』。
中国的な無知に対する怒りと、その一端を体現している友人への哀悼の念がすばらしい、『范愛農』。
発想は極端なのに、変に主張が倫理的な点がおもしろかった、『狂人日記』、など。
どの作品もどこがいいとは上手く指摘しづらいが、おもしろい作品が多かった。
佳品のそろった、なかなかの短編集である。
評価:★★★★(満点は★★★★★)