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貧しい親に捨てられたり放置されたりしている子供たちをさらうことで自らの「家族」を築き、威厳ある父親となったビグア大佐。だが、とある少女を新たに迎えて以来、彼の「親心」は、それとは別の感情とせめぎ合うようになり…。心優しい誘拐犯の悲哀がにじむ物語。待望の新訳!
永田千奈 訳
出版社:光文社(光文社古典新訳文庫)
奇妙な滑稽さと、ふしぎな哀切さを感じる作品だ。
もちろんそれは、不幸な子どもをさらって疑似家族をつくろうとするビグア大佐の存在に負うところが大きい。
ビグア大佐という人は、僕にはよくわからない。
彼が子供をさらってくるのは、子供がほしいという思いがあるからだ。そのために不幸な子に目をつけ、それをさらってきている。
だがそこに温かい家庭があるように、僕には見えない。
確かにビグア大佐夫婦の仲は悪くないし、子供との関係も悪くない。
だがそれでもそう感じるのは、彼の行動にゆがんだところが見えるからだろう。
だからだろうか、慈善とはちがう愛情を子供たちに注いでいるけれど、その愛も、簡単に醒めかねないつくりものめいた感情に見えるのである。
やや辛辣にすぎるだろうか。
ともあれそんな疑似家族に対する愛情は、マルセルという少女の登場でゆらぐこととなる。
マルセルは少女期から大人へ向かう過程にいる女性だ。
そのせいで、ビグア大佐はいままでの子供たちと同じように接することもできず、恋心を抱く羽目になる。
しかし彼はその感情をひたすらに押し殺し、あくまで父親としての態度で通そうとする。
その姿がどこか滑稽でもあり、哀切さを見る思いがするのだ。
まさしく中年男の滑稽さだろう。
さてそんなマルセルは、同居する若者と関係を持ったことから、妊娠してしまう。
大佐は落胆するが、マルセルの子を手にすることに、孫を持つときのような希望を見出すのだが……。
大佐はどれだけ子供をさらっても、本当にほしいものは手にできていなかったのではないか、と読み終えた後には感じる。
「そもそも、何もかもが、私から遠ざかっていく。たとえ、この世の子供たちを手あたりしだいにさらってきたところで、私には地獄のような孤独が待っているのだ」
そんな言葉が出てくるが、まさにそういう状況なのだろう。
どれだけ子供を攫ってきても、それは所詮借り物でしかないのだ。
だからラストシーンに至ったときには、ただただ悲しい気持ちになるほかなかった。
解説によると、大佐はあの後助かったらしいが、何も知らない初読時は、そのも苦みあふれる展開に、切ない気分にさせられたことが忘れられない。
ともあれ、中年男の悲哀と、人間そのものの悲しさをも見るような作品であった。
評価:★★★(満点は★★★★★)
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