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世界一強い女の子ピッピのとびきりゆかいな物語。となりの家に住むトミーとアンニカは、ごたごた荘でサルと一緒に自由気ままに暮らしているピッピがうらやましくてなりません。
大塚勇三 訳
出版社:岩波書店(岩波少年文庫)
突飛なことを言い出して悪目立ちする。奇矯なふるまいを人前でする。そしてそういった言動で周囲の人間の和を、平気でかき乱す。
そういった人は、世間一般ではイタい子と言われる。
そういう点、本書の主人公ピッピも、イタい女の子と言ってもいいのかもしれない。
バレバレのホラ話をし、奇矯なふるまいをするという点だけを取り上げるなら、この子は絶対に変だと言い切っていい。
けど、こと物語においては、主人公がイタいほど、魅力的であったりするのだ。
もちろん馬を持ち上げるほどの力持ちという時点で、魅力的だよ、と言われればそうとも言える。
でもピッピの場合は、このイタさがあってこその魅力だと僕は思うのだ。
たとえば彼女がよくするホラ話。
エジプトではみんな後ろ向きで歩くだとか、ブラジルでは髪の毛に卵をかけるのだとか、彼女が語る物語には、あからさまなホラが多かったりする。嘘をつけ、と読みながらつっこむ場面は多い。
かと思えば「わたしは、舌がまっ黒になるくらい、うそをついてたのよ」と平気で開き直ったりするから意味がわからない。
だけどそういったホラを平気で語るのは、たぶん相手を喜ばせたいと願う、ピッピなりのサービス精神なのだろう。
ものの発見家の章で、トミーとアンニカに木の幹や切り株を探させるあたりはそれが出ているように思う。
またホラとはちがうが、サーカスの章で、ピッピはサーカス団の演技に平気で割り込んでいるけれど、それだって、みんなが喜んでくれるだろう、と思ったから、したことにすぎない。
ピッピのふるまいは突飛なのかもしれないけれど、そういう場面を読んでいると、そこにはピッピなりの理があることが見えてくる。
そしてその底辺にあるのは、ポジティブな陽気さであり、優しさなのだろう。
優しさと言うなら、コーヒーの会にもそれが出ていたりする。
コーヒーの会に呼ばれたピッピは、奥さん連中の会合に割り込んで、みんなの分のケーキを食べたり、いろいろ邪魔したりする。大人としてはたまったものじゃない。
また、みんなが自分の家のお手伝いの不満を言い合っているときも、会話に平気で割り込み、自分の家のおばあさんの家にいたマーリンというお手伝いのことを話したりするのだ。
そういった彼女の言動は、まったく周囲の空気が読めていないものだ。
おかげで読んでいるこちらが、あまりの痛々しさにハラハラしてしまうほど。
でもよくよく読んでみると、そういった空気の読めない彼女の言葉は、みんなが悪口を言っているお手伝いのたちのことをかばおうと思い、口にしていることなんじゃないか、という風にも見えてくる。
実際ピッピが語るマーリンというお手伝いはどう見ても有能とは思えない。
けれどマーリンがいなくなり、雇い主であるおばあさんは悲しんだ。
それを読んでいると、お手伝いの能力なんて重要じゃないんだ、と彼女なりに言っているようにも見えてくるのだ。
もちろん深読みかもしれないけれど、そう思わせる余地を残しているあたりがすばらしい。
そしてそこからピッピという少女の心性が見えるあたりも見事である。
たぶん幼いころに読んだら、ピッピの特異な身体能力にばかり目を奪われていただろう。
実際、彼女の超人的な活躍やふるまいはおもしろいし、それだけを取り出しても、お話としては優れている。
しかしこの歳になってから読むと、ピッピの心根がよく見えてくる。
そこには表層的なおもしろさにとどまらない、幾重にも重なった深みがある。
そういう点、『長くつ下のピッピ』は、子供はもちろん大人も楽しめる、名作と呼ぶに足る作品なのだろう。
評価:★★★★★(満点は★★★★★)
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