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有島武郎の童話はここに収められた8篇がすべてである。男手一つで愛児を育てあげる苦労を味わいつつ、すでに学齢期に達した3人の子供に、精神の糧を与えたいという父性愛的願望から書かれたものである。
「おぼれかけた兄妹」「碁石を飲んだ八っちゃん」「ぼくの帽子のお話」「かたわ者」「火事とポチ」「真夏の夢」「燕と王子」を収録。
出版社:角川書店(角川文庫)
本作には8篇の童話が収められているが、その半分は微妙な作品である。
短篇集である以上、ある程度は仕方ないが、それらの作品を読んだ後に感じることは少ない。どうもピンと来ないのだ。
しかし残りの半分の作品は、それなりに読み応えがある。
その理由は心理描写が丁寧だから、というのが大きい。
たとえば、『一房の葡萄』は、絵の具を盗む際の心理描写や、先生の追憶の文章に見るべきものがある。
『碁石を飲んだ八っちゃん』の喧嘩をしなければ良かったな、と思うところや、水を持っていくところの言葉にはリアリティが感じられる。
それに『火事とポチ』の火事に際しての不安な描写はさすがである。
それらの子どもたちの描き方は愛情があり、そしてそれゆえに丁寧だ。
これらの物語の中で、個人的にもっとも印象に残ったのは、主人公である子どもたちの後ろめたさである。
いくつかの童話の主人公たちは、自分たちの犯した罪におびえて悔やんだりしている場合が多い。
そこからは、おびえる必要はない、罪を悔やみ過ちを認めればいいのだから、という作者の父性愛に満ちたメッセージを見出すこともできなくはない。
だがどちらかと言うと、そこからは作者個人の弱さが仄見えてくるように思うのだ。
うがちすぎな意見かもしれないが、作者は童話を書くことで、自分の心を安らかにしたかったのかもしれない。
そのような罪悪感が、もっとも伝わってくる作品は『おぼれかけた兄妹』だろう。
この話が本作品集の中ではいちばん良かった。
『おぼれかけた兄妹』からは兄の弱さと後ろめたさがはっきりと感じられる。
状況的には、兄だけを責めるのは酷なのだが、酷だよ、というだけでは、兄も妹も納得することができない。そんな心情が感じられる。
そのあたりの微妙な心が個人的には、特に良いと思った。
小品で地味であり、ゆえに味わい自体は淡白だが、なかなか滋味深い作品でもあると僕は思う。
人に薦める気はないが、悪くない童話集である。
評価:★★★(満点は★★★★★)
「溺れかけた兄妹」を読んでみたのですが、何とこの作品、実は僕の祖父の叔父に当たる人物が「友人M」として描かれた作品だったと分かりびっくりしています。Mとは、村井薫という人物で、当時学習院中等科で有島氏と同級生だったんです。小さい頃から水泳が得意で後に帝国海軍大尉まで昇進しましたが、宴会の席で彼の妻にひそかに心を寄せていた別の男性が酔った勢いで因縁をつけてきて、日本刀で切りつけられ亡くなったと聞いています。作品にもMは殺されたと書いてありますね。そのため、村井家に跡継ぎがいなくなり、甥であった祖父が養子に入ったということです。今も僕の手元に「友人M」本人が学生時代の水泳大会で獲得したメダルや海軍時代の勲章の数々が沢山残っています。無駄なお話だったかもしれませんが、作品の裏に流れるもう一つの事実として、共有していただければ嬉しいです。
なるほどそういう裏話があったのですか。さすがに初めて知りました。
そういう風に考えると、作品の世界がちがったものに見えてきます。作者はひょっとしたらMの追憶の意味も込めて、この作品を書いたかもしれないとか思ったり。
貴重な話を聞かせてもらい、ありがとうございます。