goo blog サービス終了のお知らせ 

カメさんのチャイナ♪チャイナ♪

中国大好きなカメさんの自由空間

松涛園にようこそ♪

2011-05-26 20:35:37 | 2011年5月瀋陽・丹東の旅

中国・丹東の街は鴨緑江を挟んで北朝鮮との国境の街

街の雰囲気は中国でありながら至る所に朝鮮語の表示がなされ、また朝鮮料理の店も多く、朝鮮商品を取扱っている店も多く、いかに朝鮮族が多く住んでいるかが理解出来ます

 

しかしこれら朝鮮商品と言っても全てが北の商品だけではなく、どちらか言えば韓国製が中心でして、北のモノと言えば朝鮮料理の飲食店が多く営業していたように感じました

 

中国各地の街に北朝鮮直営の飲食店が営業して外貨獲得に日々頑張っている事は有名です。

大好きな青島の街にも『平壌館』なる焼肉店が営業し、そこの店員は全て将軍様の指令を受けた美人の『喜び組』が笑顔で接客しながら、唄や踊りを見せてくれると言った活動をしております

 

これが丹東となれば北朝鮮と隣接している位置関係ですから、他の都市に比較してもその規模は桁違いであろうと思っていました

 

実際に鴨緑江大橋公園を散策してみると、対岸の北朝鮮側にもレストランらしき建物が一軒見えますが営業をしている様子は無く、それ以外には操業しているかどうかは判断のつかない工場と造船所が見えるだけです

一方、丹東側はまさに観光関係のホテル・飲食店が数多く建ち並び賑わっております

 

そこにやはり一軒だけ見つけました

 

画像を見てもらえれば説明は不要だと思います

将軍様のお店です

店の名前は『松涛園』焼肉店 洒落た名前ですね 心地良い川面に吹く松風ですね

あまりこの風にあたるとろくな事にならない可能性がありますので、見るだけにして利用はしませんでした

 

追記 

店のガラスには実際にはこのような文字は記載されておりません

またこの店の直ぐ隣は日式商品販売所、その隣が日式居酒屋となっております

とんだ日朝友好でしょうかね?


鴨緑江大橋のチマチョゴリ

2011-05-25 21:24:31 | 2011年5月瀋陽・丹東の旅

北朝鮮を間近に望む事が出来る鴨緑江大橋公園

この公園では各種北朝鮮関連の商品を取扱った土産物を販売しておりまして、北朝鮮紙幣セットから始まり将軍様のバッヂ等が観光客に人気が有るのかよく売れていました

 

次に人気があったのが女性客専門のチマチョゴリの貸衣装

一回に付き料金を支払うと色とりどりの衣装が三着まで着替えが可能で、その衣装を身にまとい鴨緑江大橋を背景に記念撮影が出来るとの事で、利用する女性客が多いものでした

 

男性向け衣装があれば借りて撮影してもらおうかとも思いましたが・・・

 

画像はその時に撮影した女性客の後ろ姿

前から見れば美しいアガシそのものですが、簡易衣装ですから後姿はい全くいただけません


鴨緑江橋

2011-05-24 21:22:42 | 2011年5月瀋陽・丹東の旅

 

丹東の街は鴨緑江を挟んで中国と北朝鮮との国境の街で有名です

この鴨緑江に架かっている橋が鴨緑江橋

この橋を通じて中国・北朝鮮との交易が行なわれているとの事で鉄道と道路が併設された橋であり、北の将軍様一行が豪華特別列車にて中国詣でにお越しになる際、毎回報道される橋で有名でもあります

 

北朝鮮を見るには韓国の板門店に行けば見る事が出来るでしょうが、行った人からの話しでは各種手続きが必要で、展望台付近での行動もいろいろと制限が有るとの事

何分板門店は軍事境界線ですから双方の緊張関係が影響しているので当然と言えば当然でしょう

しかしこの鴨緑江は北朝鮮の友好国・中国領土ですから問題はなく十二分に観光が出来ました

 

ホテルで暫しの休息の後、徒歩で街の景観を見ながら鴨緑江橋を目指すこと半時間、鴨緑江橋に到着

橋の周辺は公園となっており多くの観光客が見物に来て、その観光客相手のお土産物売りが盛んに声を掛けており、また遊覧船やモーターボートでのクルージングも北朝鮮ギリギリに近づく事が楽しめるのかして人気が有り、乗船待ちの乗客が並んでいました

 

画像は当然 鴨緑江橋

訪問するまでは多少の緊張感もあったのですが、実際来てみれば単なる観光地で警察関係の警戒も無く皆が観光を楽しんでおり、特に対岸の様子を双眼鏡等を使い窺っています

この橋に滞在中、北側に人影を見る事はなく、またこの橋を通過する列車はもちろん車両一台も見かけませんでした


丹東にいらっしゃ~い♪

2011-05-23 18:25:45 | 2011年5月瀋陽・丹東の旅

瀋陽からの高速バスに乗車する事3時間半。52日の昼過ぎに丹東バスターミナルに到着です

このバスターミナルは丹東駅前の大通りを挟んだ向かいに位置していますが、到着したバスは一筋裏通りに入り停車

 

そこは中国独特の雑多な雰囲気のする通りで、更にバス客目当てのホテルの客引きが到着するバス客を待ち受けており、ドワーが開く前から大声で営業活動をしております

そんな場所に降りたカメさん達二人は荷物を受取る際から客引きに連続して声を掛けられヘキヘキ状態

更に丹東でのホテルに向かって歩き出すと客引きも付き纏いながら引続き熱心に営業活動です

 

ホテルはこのバスターミナルから徒歩10分程度の七経街なる通りに位置している事は事前に調べているのですが、何分始めての土地ですからその七経街が右か左かが解かりません

うかつに客引きにでも聞こうものなら自分の取扱っているホテルに案内される可能性も十二分に考えられるもので、道端で営業している屋台の人に問合せしたところこの先の通りである事を教えられ、無事に移動する事が出来ました

 

バスターミナルから荷物を引きずり、約10分程度で目的のホテル『如家酒店七経街店』に到着

フロント係員に予約表のコピーを提示したところ料金で何やら問題が発生?

通常期の一泊料金は161元に対して労働節期間中は特別料金として191元となっており、それを承知で予約申込みしましたところ、予約会社から二度メール連絡があり、最初は191元だったのが二度目の連絡では161元と通常期の料金での連絡となっていました

この辺りは422日の『五・一旅遊は二重価格』を参照してください

 

フロント係員がその場で予約会社に連絡を入れた結果、無事に161元と言う有り難い料金で宿泊が可能となり、ルームカードを頂き部屋に入り暫しの休息となりました

しかし毎度の事ながら中国のホテルに外国人がご婦人同伴でのチェックインするのは何度も経験しておりますが何か緊張を強いられるものです(笑)

 

画像はバスターミナル向かいの丹東駅

丹東駅は最近建替えられたのかして綺麗な駅舎になっています

駅前広場には右手を掲げた毛沢東像が観光客を『丹東にいらっしゃ~い』とでも迎えている感じです?


虎躍バスは行く

2011-05-22 19:16:02 | 2011年5月瀋陽・丹東の旅

瀋陽駅前のバスターミナルを30分早い出発便に変更。手続きとして15元の手数料を支払い9時に丹東に向け出発

 

丹東・瀋陽間の移動に利用したバスは瀋陽の長距離バス会社で虎躍バス

このバス会社は中国のバス会社ながら集客サービスに努めているとの評判でして、バス車両も割合程度が良く、乗務員も制服着用し、乗車時にはミネラルウォーターの無料提供もありました

走行中も中国のバスらしくなく安全運転での走行で、丹東までの3時間余りの走行中に一度トイレ休憩を設けてくれています

 

バスは市内を抜けると高速道路に入り快適に丹東に向かい走行

二時間余り走行した時点でサービスエリアに停車して15分の休息

休息後発車する前に乗務員が乗客数を確認してから出発です

 

途中高速道路の補修工事が行なわれていたものですから定刻より20分程度遅れること12時半に丹東バスターミナルの裏道に到着して終了

その際もトランクに預けていた荷物を受け取るのに乗車時の控え札との交換で乗務員が取り出してくれ一安心でした

 

画像は途中の休息に利用したサービスエリアに停車中のバス

トイレから戻り一服していたところ迷彩色のお兄ちゃんがやって来て双眼鏡を要らないかとしきりに売り込みをされました

どう言う意味なんでしょうか


切符変更は有料1枚15元

2011-05-21 20:52:20 | 2011年5月瀋陽・丹東の旅

82日は瀋陽から930分のバスにて丹東に移動の日

朝はそれなりに早く起き準備をする必要があるのですが、昨夜カルフールで買求めたコルク抜きを使って飛ちゃんが持参したワインを二本飲んでいたものですから、二人とも朝起きは辛く感じたものです

 

それでも7時過ぎには出発の準備を終え、昨日に続きA座客・B座客同じの朝食会場にて朝食を済ませ8時過ぎにはホテルを出発

荷物を引張りながらカルフール向かいのバスターミナル(遼寧省快速汽車客運駅)に8時10分過ぎには到着

 

予約している便の出発にはまだ一時間余りの待ち時間があるものですから、8時半または9時出発の便に変更すべく窓口で交渉しましたところ、8時半は満席でアウト。9時ならOKとの事ですが変更手数料が一枚に付き15元が必要との事

 

飛ちゃんは変更することに反対

当然でしょう!何しろ額面80元の料金に対して僅か30分早い便に変更するだけで15元が別途徴収される訳ですから

しかし混み合うバスターミナルであと一時間待つのは辛く、時は金なりの精神から強行に変更して30分の苦痛を二人分30元で購入してしまいました

 

9時出発のバスは8時50分に改札が始まり満席で出発しました

 

画像は当日のバスターミナル

綺麗な感じですが、実際の待合室は独特の臭いと喧騒で落ち着きません


怖い勇気ある作業

2011-05-20 21:10:37 | 2011年5月瀋陽・丹東の旅

地元の人にとっては日常の見慣れた光景かして、期待していた撫順露天掘り炭鉱の全景を見る事が出来ずに出発点である撫順南駅に戻ってきました

今日の観光はこれで全て終了し、後は再度中国の英雄の名を頂いたバスに乗って瀋陽に戻るだけです

 

バスを待つ間に撫順南駅構内の切符売場に行き54日北京行き新幹線の切符を買求める事が出来、これで瀋陽北駅切符売り場での長蛇の列に並ぶ必要が無くなり、思い掛けない楽をする事が出来ました。

 

反面同じ中国鉄道の駅でありながら街中にある代理切符販売所と同様に販売手数料として一枚あたり5元を徴収されたのにはビックリです 

 

瀋陽方面行きのバスは次から次にやって来て4時前には撫順を出発、車内は数名の乗客を乗せ往路とは違って撫順市内を快走していました

しかし郊外の瀋陽海洋世界に到着すると大勢の乗客が乗り込んできて満席状態になり、次の停車場である世博園では空席が無いものですから停車だけしてバス待ちをしていた客に対し運転手が次のバスを利用するようにと指示して発車

 

この辺りでバスはレジャー帰りのクルマに巻き込まれノロノロ運転の再開でしたが、それでも午前の往路程でもなく一時間半程度で瀋陽北駅に到着

 

そこから疲れていたものですが直ぐにはホテルには戻らず、ワインの栓抜きを買求めるべく駅前のカルフールに直行

その後はホテル近くの快食晩餐なる食堂に入り夕食です

その店ではお連れの方は大好物の冷麺を注文、一方カメさんはチャーハンと青淑肉糸を頂き、腹一杯になって7時過ぎに部屋にご帰還となった次第です

 

画像は撫順南駅前でバスを待つ間に見かけたビル外壁の清掃風景

昨年5月の北京北駅前でも同様な作業を見たものですが、命綱一本でこのような作業をするとはさすが中国です


撫順炭田

2011-05-19 20:59:04 | 2011年5月瀋陽・丹東の旅

カメさんが中学生の頃ですから今を去る事40年前の社会科地理の時間に中国の撫順炭田に関する授業を受け、当時としては大変感銘した記憶が残っております

 

当時の教科書に撫順炭田の白黒画像が掲載されており、その事を教師が世界一の露天掘り炭鉱で、その規模は当時住んでいた大阪市の一つの区がすっぽりと収まる程の大きさであり、まだまだ埋蔵量が残されている関係でこのまま採掘を続ければやがて大阪全体が収まるのではなどとのとの説明を受けたものでした

 

この説明は余りにも誇張された説明だったのでしょうが当時としては大陸の広大さを感じ、一度はこの目で見て見たいとの期待を抱いたものでした

まあ実際の大きさは東西6km、南北2km、深さ280mの楕円形の穴

 

その機会が今回の撫順訪問で達成出来るのです

平頂山記念館見学に行ったのも方向が同じと言うより、この撫順炭田が有ったばかりに起こり得た悲惨な事件でもあったものですから

 

撫順南駅発の平山行きバスに乗車して平頂山記念館の近くに近づくと付近にそれらしい露天掘りの炭鉱が見えてきました

残念な事にこの炭鉱そのものが観光資源として全体を見渡せる展望台でもあれば有料でも入場して見る考えはあったのですが、平頂山記念館見学の後に付近の住民やタクシーに聞いても『知らない』との返事しか返って来ませんでした

 

撫順の産業を支えてきた露天掘り炭鉱はほぼ掘りつくされており、エネルギー産業の転換からしても石炭業の衰退に伴いいずれは廃鉱となる運命でしょう

 

画像は途中の道端から撮影した撫順炭鉱


撫順平頂山惨案記念館

2011-05-18 21:06:18 | 2011年5月瀋陽・丹東の旅

平頂山事件(へいちょうざんじけん)とは、19329月に撫順炭鉱を警備する日本軍の撫順守備隊が反日ゲリラ掃討作戦をおこなった際に、平頂山集落の住民が多く殺傷された事件。犠牲者数については、400 - 800人、又は3,000人(中国説)など諸説があるが、掃討作戦およびそれに伴う民間人犠牲者の存在自体に異議を唱える論者は存在しない。

 

事件の誘因となったのは、1932915反満抗日ゲリラ「遼寧民衆自衛軍」による、撫順炭鉱襲撃である。この背景には、満州国の建国宣言(193231)以来活発化していた、反満抗日運動の存在がある。民間人居住区を狙ったこの襲撃に対し、周辺居住者を炭坑内や公会堂に避難させ、大人だけではなく青年団員や中学三年生以上(いずれも民間人の若者)を緊急に招集し、市街地への侵入を必死で阻止した。当初放火を主としていたゲリラ側は戦術の不手際により、作戦が成功したとは言い難いまま退却したが、日本側も、炭鉱所所長含む死者5名、負傷者6名の被害を受けた。

 

翌日の撫順守備隊の捜索の結果、平頂山集落で前日の襲撃の際の盗品が発見され、当集落がゲリラと通じていたとの判断の下、40名程の部隊が同集落を包囲、虐殺を行なった。同集落が(または同集落の一部が)ゲリラに関与していたかどうかについては現在、否定も肯定もされてはいない。

掃討作戦について「平頂山のの、その時集落にいたほぼ全住民(女性子供を含む)を集めて機関銃を掃射し、それでも死ななかったものを銃剣で刺し、などと伝えられている。死体を一箇所に集め焼却処分にし、翌日、崖をダイナマイトで爆破することで一気に埋没処理したが、これを事件を隠蔽するためであった、と推定する見方もある。

(以上Wikipediaより引用)

 

中国、特に東北部の旅行をすると必ずと言っていいほど満州国当時の何らかの遺産に遭遇します

それが当時の建物であったりすればまだマシですが、今回のような事件の痕跡に遭遇するとやはり日本人として気が重たくなりますが、戦後生まれとしてもこれらの事件の現場をよく見ることで、当時の状況を確認しておく責務とでも言えばカッコいいかも知れませんが中国旅行をする者として避けて通れないものでしょう

 

撫順刑務所からバスに乗り撫順南駅に戻り平頂山惨案記念館行きのバスに乗り換え、15分程度で記念館前に到着しました。下車したのはカメさん達二名だけで、記念館に入っていきましたところ入館に関しては無料ですが身分証明書の提示を求められます

 

この場での旅券の提示には躊躇せざるを得ませんし、またコピーしか持って来ておりません

そこでお連れの飛ちゃんの身分証明書だけで通り抜けることが出来、各種展示品を見学することが出来ました

内容に関しては当時の日本軍による殺戮行為を中心とした写真が無数に詳細な解説付きで展示され、更に中国全土に於ける行為も併せて強調展示されているものですから、見学者愛国主義・反日教育には効果的な展示内容となっております

 


撫順戦犯刑務所

2011-05-17 21:40:42 | 2011年5月瀋陽・丹東の旅

撫順戦犯刑務所は日中戦争に於いて日本軍による中国国内での戦争犯罪人を収容した刑務所として有名です

 

ここ撫順戦犯刑務所に関しての記述として

戦後、捕虜としてシベリアに抑留された約60万人の日本軍将兵うちの969人が、5年後の1950年に中国に「戦犯」として引き渡され、満州国皇帝であった溥儀などと共に収容された場所である。戦犯らは56年の軍事法廷で政府、軍高官の45人を除き「起訴免除」とされ、起訴された45人に1人の死刑も無期もなく、有期刑の45人もシベリアの5年、管理所の6年が刑期に参入され64年には全員帰国した。

 

その撫順戦犯刑務所はその後歴史記念館として運営されていましたが、数年前より改装の為休館となり昨年6月に再開されたとの事

 

今回はその再開された撫順戦犯刑務所を見学に行った次第ですが、到着してビックリです

 

刑務所記念館の隣は本物の現役刑務所で、反対はどう言う訳か幼稚園となっていたのには驚き

また改装をきっかけに入場料が20元から50元に大幅値上げ

 

ちょうど刑務所に到着した際には入場券売場及び入り口には係員が居なかったものですからそのまま入場してしまい無断見学をしていたところ係員に呼び止められ退場を余儀なくされてしまいました

 

しかしここの展示物見学に50元を支払うのは余りにも高すぎます

 

画像はその撫順戦犯刑務所入り口

この入り口を入ったところにトイレがあり、一番最初に利用させていただきました

50元の入場料を徴収するだけあって大変綺麗なトイレです