カメさんのチャイナ♪チャイナ♪

中国大好きなカメさんの自由空間

秋の長春旅行 さすが田舎の范家屯

2009-10-31 18:37:12 | 2009年10月長春旅行
長春郊外にある大型ショッピングセンターから范家屯行きのバスに乗車出来、鉄道に沿った国道をそれなりに快調に走行し、半時間余りでやっと目的地の范家屯バス停に到着しました。

このバス停の通りは范家屯ではバイパスに該当する新道なのでしょう?

バス停から范家屯駅までは約一キロ程度離れているとの説明を受け、新道から駅前通りに通じる旧道に出る道を歩いていきますと鉄道路線と立体交差しており、それを過ぎると范家屯のメイン通りが出現

新道はさすがに瀋陽と繋がっている国道だけあって多くのクルマが行き来していますが、それ以外の道にはクルマより馬車やロバが荷車を引いている光景が見かけられます
さらにクルマも三輪車が多く、やはりここ范家屯は田舎町であることが実感できました

秋の長春旅行 なかなか行けない?

2009-10-30 21:15:45 | 2009年10月長春旅行
范家屯に行くバスが不明であり、長春駅から路面電車を利用して途中からタクシーを使う事として長春軽軌に乗車しての移動
この路面電車は完全な路面電車でなく専用軌道を走行し、車両もなかなかのもので快適な乗り心地

途中の長春南駅までは中国鉄道と平行して路線が設置されており、その一角には蒸気機関車の姿が見え、鉄ちゃんにとっては思いがけない幸運を与えてくれました

電車に乗る事約15分余りで硅谷大街なる駅で下車
じつは車内で○○ちゃんが乗客に対し范家屯行きバス停の場所を聞いたところ、この駅は南方面に向かう国道に面しており、その駅で聞けば解かるのでは?

結局下車し駅員に尋ねても皆知らない
駅前に客待ちしているタクシーに聞くと、この駅から1メーター程東に行ったところに大型ショッピングセンターがあり、その前の通りが国道でバス停があるとの事
またタクシーで直接范家屯に行くなら60元との説明

とりあえずタクシーに乗車してバス停が在るというショッピングセンターで一旦下車
バスは頻繁にやって来ますが大半が市内バスでして郊外に向かうバスはなかなかやって来ません
半時間程度待ったでしょうかちょっとボロいバスがやって来て、車内からオバハン車掌がこちらに向かって何やら大声で叫んでいます
結局目的地には向かわないバスだと解かりパス

もう待つのも嫌だから60元出してタクシーで行こうと話していたところに先程と同程度のバスがやって来て、同じようにオバハン車掌が叫びます
このバスがそうでした

座席も空いており料金は一人7元 二人で14元 タクシーの四分の一で済み、走り出して五分程度で郊外の雑貨屋の前で停車
5分程度の休憩とのことで、丁度尿意を感じていたものですから降り『便所はどこ?』との問いに雑貨屋のネエちゃんは指を差してくれ、その方向に向かうけどトイレらしき建物はありません?
仕方ないので道路脇にて立ち小便で済ませました(日本人の恥)

画像は長春軽軌の車内風景
右側ガラス窓にピンクでハートのマークが見えるでしょうか?
これがこの電車におけるシルバーシート

秋の長春旅行 いざ范家屯へ

2009-10-29 21:05:39 | 2009年10月長春旅行
長春初日の夜に○○ちゃんから思いがけない強奸我をされたのか?したのか分かりませんが、疲れた体で二日目の朝を向かえ、晩秋の気配を感じる寒さの中、朝食を食べにホテル新館に行ったところ大変イタイオヤジを見たものですから余計にテンションは低下気味

しかし今日は今回の旅行の一番の目的とも言える長春郊外に位置する田舎町『范家屯』を訪問する大切な一日です

この范家屯は小説家山崎豊子作『大地の子』の主人公である残留日本人孤児 陸一心が長春の駅前で人買いから養父になる陸徳志に助けられ、養父の実家である范家屯の街で養父共々苦労しながら育って行く。と言った背景になっている街です

この大地の子の物語はフィクションでしょうが、内容からすれば実際に終戦直後の満蒙開拓団の人々が大変な苦労をしながら中国と言う大地で生き延びて来た当時の様子がさまざまと描写されており、何度も読み返していますが未だに読む度に涙なくしては読めないと言った感動物語です

特に1995年にこの小説をNHKが映像化し放映した際に見ましたが、その中でも時折范家屯のシーンがあり、一度どんな街であるか実際に体験したいと考えておりました

その范家屯に今日行ける機会となった訳ですが、長春からは南に約30キロ程度離れており、タクシーを利用すれば小一時間もあれば充分に移動出来るのでしょうが出来ればバス又は鉄道で移動したい気持ちが強く、その為に前日ホテルのフロントでバスの乗り場と時間を問合せたのですが回答はありません

鉄道の方は田舎の駅ですから長春から利用できる列車は一日数本で、しかも時間帯が非常に利用しづらいダイヤであるために断念

バスは乗り場が不明である関係上やはりタクシー利用かと腹を括っていましたところ、長春駅傍から路面電車が運行されており途中までこれを利用し、そこからタクシーを利用する事としました

その前に先に長春駅に入り明日の北京行き新幹線の切符を購入しておく必要があります
朝方出発の切符は既に売り切れでしたが午後発の切符は購入が出来て一安心して路面電車に乗車する運びとなった次第でした

画像は長春軽軌3号線の始発駅 長春駅

秋の長春旅行 イタイオヤジと強奸我?

2009-10-28 19:39:54 | 2009年10月長春旅行
長春初日は旅の疲れと美味しい東方餃子で満腹になったものですから、夜の散策もそこそこに老舗の旧大和ホテルに戻り湯が出るようになったバスルームでたっぷりとシャワーを浴びて疲れた体を横たえる予定でした?

ところが夜になると同伴の○○ちゃんが元気になり、しきりにカメさんに向かって何やら話しかけてくるではありませんか?
『強奸我?』『強奸我?』と
最初は意味が分からず何度も問合せすのですが説明はしてくれないままで、怒ってしまう次第でした

後で文字を書いてもらったところ理解出来、強奸我となった次第です(笑)

旅の疲れと強奸我の疲れのダブル疲れでゆっくり熟睡となる予定でしたが、泊まった部屋は長距離バスセンターに隣接しているものですから、早朝よりバス利用者の喧騒で六時過ぎには目覚めてしまい、同時に空腹を感じたものですから朝食に行くべく一階に降り、朝食会場を確認しましたら新館の二階との返事

旧館から一旦外に出て新館へと向かう間、さすが北海道と同じ緯度だけあって朝の冷え込みはなかなかのもので上着の一枚が必要であると実感

新館二階のレストランに行くと朝食券の替わりにルームカードを提示し、係員がそれを端末に接触させるとOK
このルームカードは今流行りICタグではなくカードの端にボタン電池のようなボタンが付いてあったのが如何にも時代遅れのような感じが受けました

レストランの味に関しては東北地方の味付けだけあって割合塩辛い味付けとなっており、上海のような甘い味付けの嫌いなカメさんにとっては舌に合う味付けで食が進みます

新館レストランで○○ちゃんと楽しく食事をしていると60前後のデニムのバンツとセーターを着て、髪の毛は整髪料の香りのするオヤジさんがキョロキョロとしながら料理を選ぶのではなく、一点を集中して見ています。その先にはビールが置いてあり、何やら服務員に手振りで話し掛けていますがビールが欲しいとの意志が通じません

見ていて大変イタイ
連れのお嬢さんに頼めば簡単に済むはずでしょうが、連れのお嬢さんは無視して食事をしていました
その後何とかビールをゲットしたオヤジ、朝からビールを嗜むのは日本人の特徴であることを知らずににこやかに飲んでいたのが印象的でした

画像は旧大和ホテルと右側に見える青いガラス張りの新館

秋の長春旅行 夕食はギョウザ

2009-10-27 20:33:01 | 2009年10月長春旅行
人民広場に位置する満州国当時の遺構建築物を外部からいろいろと見学し、一部の重要施設として利用されている場所に於いては撮影を厳しく制限されたりしてハラハラの長春一日目も終了

5時過ぎには真っ赤な夕焼けと伴に長春の夜を迎える事となり、人民広場から二人お手繋いで元来た人民大街を駅に向かって北上となりました
途中の重慶路との交差点付近が地下ショッピング街となっており腕時計の修理をする為に降りてみました

実は昨日の関西空港にてカメさん愛用のソーラー電波腕時計の布製ベルトが永年の使用でボロボロになったのか突然留め具付近が切れてしまい腕に巻く事が出来なくなったのです

それ以後腕時計でありながら常時ポケットに仕舞い込み、必要に応じて取り出し時間を確認する。と言った非常に煩わしい行為を強いられていました
北京到着時にその事を○○ちゃんに説明したところ北京の修理は高いから長春に行ってから修理をすればよい♪とのまことしやかな回答を頂いていました

その長春に到着して街の修理屋に立ち寄る目的で地下のショッピング街に入って行った次第でしたが、二・三軒の修理屋に見せるもののどの店も修理不能で新しいベルトに交換するようにとの回答
気に入ったベルトも無く、また価格も50元との事だったものですから断念

その後地下街を出て長春の有数な繁華街である重慶路で夕食をと考えいろいろと店を覗きながら歩いたところ、どちらか言えば外資系のファーストフードが中心で大好きな安くて美味そうな感じのする中華料理は何故か見当たりません

その中で洒落た真新しいビルの地下に東方餃子王なる看板を見つけ入って食事を摂りました
中国東北部は餃子の本場
いろいろな種類の餃子がメニューに載っており、どれを選ぶかに迷います
さらにメニュー記載の料金は500g単位ですから一種類を選べば二人では満腹となり、いろいろな種類を楽しめません
そこで美味しそうなのを四種類選び、それぞれを六個づつを注文し、同時にビールも注文

醤油だけのタレにつけて食べてみたところさすが本場の味だけあって十二分に満足

満腹になった腹を擦りながら二人でホテルに戻り、フロントで明日の訪問予定地に行くバス乗り場を問合せますが、係員は知らないの一言

ハルビンの際も同じようにホテルの係員はバスの事になると調べもせずに知らない!との返事ですがこれは共通した態度でしょうか?

画像は旧大和ホテルのサービス精神の欠如していたフロント


秋の長春旅行 満州国の遺構

2009-10-26 20:38:24 | 2009年10月長春旅行
長春は戦前、日本の関東軍の侵略によって1932年に満州国の首都として名称を『新京』と改定させられ、その後終戦までの期間に日本人による都市建設が行なわれたと各種ガイドブックには記載されてます

中国東北部の各都市は大なり小なり戦前の満州国関係で日本の影響を受けた街造りが行なわれ、今でもその名残を体験する事が出来ますが、この長春は何しろその首都としての位置付けからして市内中心部には未だに現役として使用されている建築物が大変数多く残っております

10月10日に長春に足を踏み入れ、その面影が一番感じられる旧大和ホテルに宿泊しましたが、部屋はお粗末な造りの上、水シャワーの洗礼をいきなり受けたものです

水シャワーの後、街の中心地に観光に出掛けましたが時間的に午後の4時前に出発
駅前付近は戦前の日本人街とのことで当時の面影を捜しながらの散策です

駅前から真南の方向に人民大街通りを2キロ程歩くとそこに円形の人民広場(満州国当時は大同公園と呼ばれていたそうです)と呼ばれている公園があり、その人民広場はローターリーとなって各大通りに繋がっています

この付近が満州国当時の首都新京としての官庁街になり、周りには現在の中国長春市としての各官庁ビルが集中しております

各建物を撮影しましたが時間的には現地時間夕方の5時。長春の街の緯度は北海道旭川と同程度ですから10月のこの時期としては間もなく日没の関係があり殆んど上手く撮れませんでした

更に問題なのが単なる官庁であれば問題ないのでしょうが軍関係の建物や公安関係の建物は厳しく撮影が規制されており、今回も長春市公安局の建物をうっかりして撮影しようとしていたところ衛視に大声で注意され、慌てて立ち去る。と言った状態でした

画像はなんとか西日を上手く利用して撮影出来た『吉林省賓館』
満州国当時は『国都建設局』つまり建設省として利用されていたのでしょう

秋の長春旅行 大和ホテルは冷え冷え

2009-10-25 19:31:12 | 2009年10月長春旅行
往年の面影に出会える事を期待して長春に行くなら旧大和ホテルとの事で予約をして長春駅から駅前の怖ろしい道路を横断してのチェックイン

指定された部屋はエレベーターの乗り継ぎを強いられる不便な位置関係にある部屋でしたが、広さ的にはまずまずなんですが兎に角使いづらい

一番驚いたのは部屋の外の環境
隣が長距離バスセンターですから四六時中バスの発着で騒音が大変
とても窓を開けて外気を入れると言ったことが出来ませんし、更にバスセンターの建物から部屋が丸見え状態でカーテンは絶対的な必需品

次に驚いたのはお湯が出なかったことです
到着直後に○○ちゃんとシャワーを浴びようとしてバスルームに入りレバーを操作しましたところ、何時まで待ってもお湯が出ないのです?

この事に激昂した○○ちゃんがフロントに電話連絡し係員がやって来ての説明によると『今は昼間だからボイラーのスイッチを作動させていない今すぐスイッチを入れるから30分程待ってください!』との意味不明な説明をしながら10分余りお湯のレバーを操作しながら部屋で待機

その間○○ちゃんは部屋を交換するように抗議しましたところ『それは対応できない!間もなくお湯が出ます』と拒否
確かに暫くするとお湯が出てき始め確認した係員は笑顔を残して退散

その間○○ちゃんはバスタオルを身にまといベットの中
一方カメさんは慌てて水シャワーから飛び出したものですから元着ていた汗臭い服を着ての待機を強いられた次第です

画像は旧大和ホテルのロービー

秋の長春旅行 ノスタルジアだけの大和ホテル

2009-10-24 23:56:19 | 2009年10月長春旅行
長春駅前に立地しているかっての満鉄が開業したいにしえの旧新京大和ホテル
駅前とは言え、駅前広場から無謀なクルマが猛スピードで通行している大通りを一つ横断する必要があり、重たいカバンを引っ張っての横断はさながら命懸け状態

何とか道路を横断し旧大和ホテルに到着し開店ドアを廻して入館してみると、手入れは行き届いているもののやはり現在のホテルとは比べ物にならないほどの薄暗くこじんまりとしたロビーであり、その左側にやはり薄暗いフロントがありました

そのフロントでチェックインの手続きを行いましたところ外国人宿泊手続きに必要なパスポートのコピーを取るのに必要なコピー機も無いのか、フロントマンがパスポートを持って新館に行く始末でかなりの時間が掛かる始末となりました

また指定された部屋は四階ですが直通エレベーターは無く、一旦二階までのエレベーターを利用し、二階からは各会議室や小宴会に用いられていると思われる広間の間の廊下を移動して宿泊部屋のある別館へ。
その別館入り口に二階以上に移動するエレベーターを再度利用して移動する、と言った煩雑さを体験しました

画像は旧大和ホテル

秋の長春旅行 旧大和ホテルは超駅前

2009-10-23 21:06:42 | 2009年10月長春旅行
毎度の事ながら中国での鉄道旅行にて目的地に到着した後にその日の宿に移動するのは大変な難行です

駅前には当然市内バスを始めタクシー乗り場がある事にはあるのですが、重たい旅行カバンを持った旅行者にとっては不慣れな路線バスは当然不向きですし、さりとてタクシーが簡単に利用出来るかと言えば、それはもう争奪戦に近い状態で乗車するまでに何重もの難関があり、何とか乗車出来たとしても運ちゃんとの間で料金の駆け引きが必要となってくるのです

日本のように正規のメーターで走行してくれれば問題は無いのですが、中国のタクシーとなると不慣れな旅行者の足元を完全に読みきった態度で、近くでもメーターではなく交渉によって法外な料金を要求される場合が多く、土地勘の無い旅行者にとってはまさしく受難の一時となる訳です

前回の瀋陽北駅に到着した場合もタクシーに乗車するのにどれだけの無駄な時間を費やしたか

今回はそんな失敗を繰り返したくないものですから駅から徒歩圏内で移動できるホテルを第一義として捜し、更に長春に行くのなら一度は泊まってみたいと思っていた旧大和ホテルが駅前に立地しているものですから少々設備が古くても戦前の当時の面影がのこっているであろう旧大和ホテルを予約したものです

多数の乗客が僅か一箇所の出口に向かい混雑を極めている中、最後尾に並んで駅舎を出ると、駅前広場は広大な広場で、既にタクシー・バス乗り場は長蛇の列が出来上がっています

その駅前広場をぐるりと見回し目指す旧大和ホテルは現在名称を春諠賓館となっており直ぐに見つけることが出来ました

徒歩三分でしょうか

画像は長春駅
画像でみると駅舎は綺麗で立派な建物です。戦前からの80年余りの歴史ある駅舎を1992年に解体し、現在の駅舎は1995年に完成したとの事でまだ14年しか経過していませんが、肉眼で見ると薄汚れた建物です

秋の長春旅行 長春駅到着

2009-10-22 21:24:39 | 2009年10月長春旅行
今年8月のハルビン旅行の際とは打って違っての快適な中国新幹線の旅
瀋陽北駅からは乗客が乗込んでほぼ満席状態にはなりましたが、それも長春の一つ手前の四平駅で多数の乗客が下車したものですからその後はまた空席の目立つ車内となりました。

これを幸いに時刻は昼の12時40分過ぎ。到着までに約一時間掛かりますので昼食タイムとし、朝食は○○ちゃんが駅で買ったカップラーメンで済ましたものですから昼食はそのお返しにとばかりに旅行カバンから日本より持ち込んだカップラーメンと割り箸を取り出し、○○ちゃんに向って『さぁどうぞ

日本のラーメンは初めてとの事で、早速お湯を注いで食べたところ『真不錯』と言いながら食べてくれました

食べ終わると同時に窓の外を見ていると范家屯の駅が近づいて来てあっと言う間に通過していきます
この范家屯の街を訪問するのが今回の長春旅行の目的ですから興味深く見たかったのですが高速列車からはやはり一瞬の見学しか出来ません

范家屯駅から長春までは約30キロ余りで、高速走行の新幹線も減速し始めて北京から1000キロの距離を6時間半の時間を掛けて13時40分に長いホームの長春駅に到着です

長春駅のプラットホームは低く、新幹線のデッキとの段差が発生する関係上、沢山の荷物を持った乗客はスムーズに降車するのが困難な上、改札出口も一箇所だけですから駅舎の外に出るだけでも10分以上掛かり、改めて中国鉄道の素晴らしい運用面を改めて認識させて頂きました(笑)

画像は到着直後の長春駅ホーム