Luna's " Tomorrow is a beautiful day "

こころは魔もの。暗い地下でとどろくマグマのような…。

世渡り人渡り三訓

2006年04月27日 | Weblog
人の小過を責めず、人の陰私を発(あば)かず、人の旧悪を念(おも)わず。
三者、以て徳を養うべく、また以て害に遠ざかるべし。

(「菜根譚」前集の第106 / 洪自誠・著/ 吉田公平・訳)

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現代語訳は以下の通りです。

「他人の小さな過失を責めたてない。他人の隠しごとをあばきたてない。他人の昔の悪事を覚えておかない。この三つで人格を養えるし、同時に危害を遠ざけることができる」。

ここの「危害」を今ふうに、「人間関係の歯軋りせずにはおれないストレス」とおけば、他人の小さな過失をあばかないように、という諭しは分かりやすいですよね。でも時に、あえて鬼の首を取ったように、小さなものから忠くらいのもの、大きなものはそれはもうもちろん、大声で吹聴して回るタイプがいますよね。敵意があるのか、妬みに狂っているのか、とにかく相手を失脚させようと躍起になっています。見苦しいんだけれど、権力者だと見てみぬふりをします。だって、その人の下で生きていかなければならないのですから…。

洪さん:いや、ちがうんだってば! 権力者に対して見て見ぬ振りするんじゃなくて、身近なパートナーの小さな過失を見過ごせと言っておるのだ!

わたし:あっ、はあ、はいっ…。


他人の秘密。パートナーのプライベートならなおのこと、気になりますよねー。でも、秘密はそっとしておかなければならない、それが二人の関係をもっと親密にしてゆく大事なこと。親密さっていうのはべったりぴったり重なることじゃない。中学・高校の頃に、数学で「集合」ってやりましたよね? 二つの円が一部分重なっている図があったでしょ? 「AまたはB」というのは二つの円全体で、「AかつB」というのは二つの円の重なった部分…てなやつ。この「AかつB」の状態で人間とかかわるのが良好な関係です。相手と重なるのは一部分。残りはあくまで「自分」…。良好な人間関係というのは、相手のすべてをコントロールしようとはしません。プライベートを尊重します。相手を愛しているから、信じているから。

これができないのが機能不全家族のアダチル(アダルト・チルドレン)親。子どもを自分の思いどおりに動かすことから生きがいを得る、という一種の吸血鬼、精神の成長を止めてしまう。ものみの塔もそう。個人のプライベートなことまで規則を設けてくる。聴くべき音楽、読むべき本、趣味からスポーツから、人生設計まで。彼らは信者に奉られていたい、でもプライベートを尊重すると、自分を奉っているのかどうか不安だ、だからプライベートをも自分たちのコントロール下に置かずにはいられない。彼らの「内なる人(コリント第二、だっけ?)」はまだまだ、お母さんのお世話を必要とする小さな子どもなのです。

小さな子どもはお母さんから離れようとするけれど、何か不安なことがあると(たとえばヨチヨチ歩いていくけれど、転んじゃったー、みたいなとき)、泣いてお母さんのところに戻ってくる、こうして不安なことがあってもスキンシップで再び安心を取り戻す、この繰り返しで人間は自分のうちに自信を育んでゆきます。このような甘えを十分にゆるしてもらえなかった子どもは、いつまでも漠然とした不安から、引っ込み思案になりがちです。ものみの塔の上層部の連中の精神レベルはおそらくこの時点で止まったままなのだろう。心理療法を緊急に必要としている連中なのです、彼らは。


旧悪を思わず。う~ん、むずかしいなあ。「旧悪」の内容にもよるよね。ウチのバカ親だけは、もう尊敬することはないね。あんな親の下に生まれた不運を呪うだけよ。ものみの塔はそれ以上にね。バカなアダチル親をたぶらかしやがる邪教集団。ゲへナの裁きをくらえ。でも、それ以外は、洪センセのおっしゃることを念頭に刻み込んでおこう! いい人生を過ごしたいし、それはいい人間関係にかかっているもの…。