Luna's “Tomorrow is another day”

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海を渡る結婚ビジネス:/1 「在留資格目的」の婚姻 /山形

2007年12月08日 | スクラップ
◇「遊びじゃない」信じたが…


 河北町の住宅地にある店舗。こたつ机の上に「お祝い代」と書かれた200万円の領収書や婚姻届、離婚調停の書類が次々と並べられた。「遊びじゃないと言ったから信じて結婚したのに。もう結婚はこりごりだ」。この店で自営業を営む男性(53)は、書類の山を見ながら疲れ切った顔で話し始めた。

 結婚を考えるようになったのは、50代を迎えたばかりのころだった。世話をしていた高齢の両親が亡くなり、「そろそろ自分の人生を考えてもいいか」と思った。近くの飲食店経営者が外国人女性を紹介しているという話を聞き、05年7月、相談に行くと2枚の韓国人女性の写真を渡された。「20代の方は250万~300万円はもらわないと。40代なら200万円でいいよ」。年齢が近い方がいいと、40代の女性を頼んだ。

 約1カ月後、来日した女性(42)は長い髪の穏やかそうな人で、日本語が堪能だった。韓国で離婚歴があり、周囲の目が厳しく、日本で再婚し幸せになろうと思ったと説明された。「遊びじゃないよ」。彼女の言葉で結婚を強く意識し、一緒に暮らし始めた。

 4日目、飲食店経営者から仲介業者を名乗る在日外国人女性を紹介され、婚姻届を渡された。男性の署名欄以外は全部埋まっていた。早すぎると思ったが、「ビザが切れるから時間がない。早く書かないと結婚できないよ」とせかされ、記入した。仲介料として業者に200万円、経営者には別に10万円を払った。

 結婚から約2週間後、男性が仙台入国管理局で女性の在留資格認定証明書の交付申請を済ませると、女性は「結婚の準備がある」と韓国へ帰った。翌年4月、7カ月ぶりに戻ってからも「新潟でマッサージの仕事がある」「あしたからは米沢」と何週間も留守にした。入管局から認定証明書が届いた6月、男性はもう一度やり直そうとしたが、女性は業者と2人で「書類を渡さねえんだったら、警察さ行くぞ」と怒声を上げた。

 「在留資格が目的だったのか」。そう確信した男性は証明書は渡さず、離婚を決意した。別居を始めると、夜中に家の中を荒らされたり、暴力団を名乗る男から証明書を渡すよう言われたりした。警察にも相談したが「夫婦間の問題だから手は出せない」と言われ、結局、弁護士を雇い、裁判で昨年秋に離婚が成立した。女性は調停にも現れなかった。

 「2人で過ごした結婚生活なんてほとんどなかった。200万円払って幸せになれると思ってたのに、実際は違った。だまされるのは私1人で十分です」。男性は今はもう結婚は考えていないという。

 ある関係者は「業者の中には、外国人女性を風俗店や飲食店などで働かせるため、在留資格目的で日本人と結婚させる悪質な所がある」と指摘する。業者を介した国際結婚でトラブルに巻き込まれる日本人男性は、県内でも相当数に上るとみられるが、泣き寝入りする場合が多い。県警生活環境課も「在留資格目的だとしても実際に結婚している。『嫌いになったから』と言われれば、普通の不仲な夫婦と区別するのは難しい」と実態を把握しきれていない。

     ◇

 厚生労働省の調査によると、県内では06年度、302組の日本人男性と外国人女性が結婚した。もはや「外国人花嫁」は珍しくもない時代となった。幸せな結婚生活を送る夫婦がいる一方で、仲介業者に多額の金を払いながら破綻(はたん)するケースも少なくない。金が介在する国際結婚ビジネスの実態を探った。=つづく

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 ◇外国人登録者

 県内の外国人登録者は06年12月末現在で7548人。うち女性は5905人と約8割を占める。国籍は中国が最も多く、次いで、韓国、フィリピンと続く。

 県内で外国人が増加したのは、「嫁不足」に悩む朝日町で85年、全国で初めて行政主導でフィリピン人花嫁を迎え入れたのがきっかけではないかと言われている。同町では9組のカップルが成立し、大蔵村や戸沢村などでも同様の施策がとられたが、その後、行政は相次いで撤退し、民間業者が国際結婚の仲介に参入するようになった。



毎日新聞 2007年12月4日






2 アフターケアが大切 /山形


 ◇幸せの報酬「高くない」

 長井市にある「外事弁公室」。日本人男性に結婚相手として中国人女性を紹介する会社だ。事務所の壁には、これまでに誕生した夫婦40組の写真が並ぶ。「離婚したのはたった2組。ほかは皆、幸せに暮らしている」。佐藤雪男会長(73)は笑顔で話す。

 佐藤さんは中国残留孤児の身元引受人になったのがきっかけで、94年に中国人との国際結婚あっせん事業を始めた。相談に来るのは、ほとんどが40~50歳代の男性だ。「うちの息子、40歳にもなって独り身なんです」と嘆く親に連れられて、遠くは庄内、最上地域からもやって来る。

 同社では、申し込みをする男性には必ず「依頼書」を書いてもらっている。会社から仲介を持ちかけたのではなく、あくまで「お願いされたから紹介した」と強調するためだ。料金は、渡航費用や書類の作成など手数料を含み、300万円を目安にしている。

 申し込んで結婚が成立するまで約半年間。相談を受けると、日本人との結婚を希望して登録した女性の中から、年齢や性格などの事情を考慮して候補を何人か選び出す。中国・黒竜江省に事務所があり、同社が雇用した地元スタッフから女性側に連絡が行く。

 申し込んだ男性に写真を見せ、絞り込んで1人を選ぶ。女性の入国審査のための書類が整うまでは、2人に文通させ、理解を深めさせる。その間、初婚か、子供はいるかなど、後でトラブルが起きないように身辺調査をする。入国許可が下りれば、後は男性を連れて花嫁を迎えに中国に行く。

 同社が重要視しているのは「アフターケア」だ。結婚が成立した後も頻繁に夫婦に電話をかけ、近況や悩みを聞くようにしているという。

 佐藤さんは「嫁不足」に悩む自治体などからも相談を受けてきた。「かあちゃんが欲しくない男なんていない。みんな結婚したがってる」


     ◇

 県内でも業者を介した国際結婚は珍しくないが、結婚までの形はさまざまだ。あっせん事業の仕組みをよく知らないまま、男性側が金を出してしまうこともある。約5年前に知人の紹介で、ある業者を通じて中国人女性と結婚した寒河江市の50歳代の男性は「結納金」と説明されて300万円包んだ。しかし、そのほとんどが業者に渡っていたことを結婚後に知った。

 朝日町では10年ほど前、韓国人女性を3人を連れた業者が営業に来たことがあった。未婚男性の住む家を回り、「この中でどれがいいですか。気に入った方を置いていく」などと結婚を勧めたという。ある住民は「まるで花嫁の訪問販売だった。あきれて追い払った」と話す。


     ◇

 仲介料は高額だ。これを目当てに詐欺まがいのあっせんをする悪徳業者もいる。佐藤さんは「来日したばかりなのに花嫁の日本語が堪能だったり、結婚を急いだりするのは怪しいと思った方がいい」と指摘する。

 その上で佐藤さんは言う。「あっせん事業には金がかかる。うちの設定料金300万円にはその経費が含まれている。かあちゃんを見つけて、幸せになるためだと思えば安いもんでしょう」=つづく



毎日新聞 2007年12月5日







3 「買った花嫁」に暴力 /山形


◇私は所有物じゃない

 「言葉も伝わらず、夫と分かり合えない。何度も韓国に帰ろうと思った」。西村山郡の農家に嫁いだ40歳代の韓国人女性はそう語る。

 韓国にいた24歳の時、知人の紹介で日本人男性と見合いをすることになった。家は母子家庭で経済的に苦しく、日本で結婚した方が幸せになり、家族にも楽をさせられると思った。11歳上の男性が優しく頼もしく見え、知り合って2週間で結婚を決めた。しかし、見合いだと思っていたのは、夫が業者に申し込んだ花嫁探しのツアーだった。夫が業者に仲介料として230万円払っていたのを知ったのは、結婚してから数年がたってからのことだった。

 「嫁探しに大金払ったんだ。ちゃんとした嫁さんを連れて帰らねば、両親や近所の人たちに顔向けできない」。結婚が決まった直後、韓国で夫から言われたことが忘れられない。

 結婚生活が始まると、夫は親の言いなりだった。山形弁も理解できず、慣れない農作業と家事で失敗する度に、義母からは「日本人の嫁ならできるはず」となじられた。長女を出産した後は「何で女の子を生んだんだ。出て行け」と言われた。農作業中に足を骨折した時には「操作を間違えるからだ。その足はいつ治っていつから働けるんだ」という冷たい言葉に泣いた。

 義父には頭を殴られ、妊娠中に腹をけられたこともある。夫からも暴力を振るわれるようになった。背中や左足には、あざが今も残っている。

 韓国に戻りたいと思ったが、子どものことが気になった。「私1人ならとっくに戻っていた。でも子供たちのことを思うと、離婚できなかった。外国に嫁いだ私がばかだったのかもしれない」。そう言うと、涙がこぼれた。

 この秋、手足にみみず腫れができる程殴られ、離婚を決意した。農家の仕事が減る冬にかけ、パートの仕事を増やし、家を出ていくための準備をするつもりだ。

 「私は自分の意思で山形に来たのだから、自業自得と言われるかもしれない。でも、所有物のように思われているのがつらい。人間を何だと思っているんだろう」


     ◇

 在住外国人を支援するNPO法人・国際ボランティアセンター山形(IVY)には昨年、外国人女性からDV(家庭内暴力)の相談が12件寄せられた。夫の両親と同居する場合、3人から暴力を振るわれたり、非難されたりする外国人女性も多いという。

 DVだけでなく、経済的な理由で悩んだ末、「離婚したい」と相談する外国人女性もいる。夫が業者に紹介料を支払うため、借金を重ねて家や田畑を売り払う場合、女性は結婚した途端に借金生活を余儀なくされる。しかし、相談者の多くは日本に身寄りがなく、離婚調停を申し立てても、離婚が成立するまで住む場所や働く場所が見付からず、結局、離婚をあきらめることになる。

 IVYの西上紀江子理事は「業者を通じた国際結婚の場合、日本人男性の中には多額の仲介料を業者に支払ったことで、花嫁に対して『買った』という意識を持つ人がいる。それが暴力へつながる」と指摘している。=つづく



毎日新聞 2007年12月6日







4 言葉の壁に募る不満、不信 /山形


◇「ひとりぼっち、つらい」

 鶴岡市で昨年3月に起きた放火事件で、傷害と現住建造物等放火の罪に問われた中国籍の渡辺悦蓮被告(39)の初公判が今年8月30日、山形地裁で開かれた。裁判長が起訴事実を読み上げ、「間違いないですか」と尋ねると、被告は黙ったまま、落ち着きのない様子で細い体を揺らし、小さな顔をゆがめた。裁判は被告が一言も発しないまま、現在も進行している。


     ◇

 検察側の冒頭陳述などによると、事件が起きたのは、昨年3月5日の早朝だった。渡辺被告は鶴岡市の自宅で、夫の喜代雄さん(当時53歳)と口論になった。ベルトで喜代雄さんの頭を何度も殴り、台所の床に灯油をまいて放火した。救急隊が駆け付けた時、喜代雄さんは台所であおむけに倒れており、病院に運ばれたが全身やけどで死亡した。渡辺被告も気道や両足にやけどを負った。

 2人は03年11月に業者の紹介で結婚した。1年が過ぎ、鶴岡市に引っ越したころから2人の関係は狂い始めた。

 検察側は「渡辺被告は、喜代雄さんが休日になると1人でパチンコに行ったり、日本語教室への車の送迎を面倒くさがったりしたことに、不満を募らせていった」と指摘する。「働きに出たい」と言っても「お前には無理だ」と言われ、不満は不信感に変わっていったという。本人の希望で自動車教習所に通い始めたものの、日本語が分からず1日でやめた。直後に別の自動車学校に入学したが、そこも2日で退校した。

 裁判を傍聴していた遺族は「中国に行くと言って、そのまま結婚してしまった。『業者に払った仲介料は捨てたつもりで、結婚はやめた方がいい』と反対したのに、こんなことになってしまった。殺されたようなものだ」と話した。

 一方、裁判で明らかになったのは、渡辺被告の孤独な姿だった。弁護側は「日本に身寄りがなく、相談相手もいない中、精神的に追いつめられていった」と主張する。

 検察側の証人尋問に立った女性警察官は、渡辺被告が取り調べ中、「夫は前より優しくなくなった。寂しかった」と涙を流しながら供述した様子を証言した。

 山形市の日本語教室には、渡辺被告と同じように日本人男性と結婚した外国人女性たちが多く集まる。「ひとりぼっちはつらい。寂しい気持ちはよく分かる」。彼女たちは口々に言った。


     ◇

 日本語教室を開いている伊藤摩耶さん(68)は、孤独な外国人花嫁を何人も見てきた。「言葉の通じない相手と見合いして、1週間くらいで結婚する。それで相手を理解し受け入れることができるのでしょうか」と疑問を投げかける。教え子の1人、尾花沢市の農家の男性と結婚した韓国人女性は、山形弁が分からず、夫からの「けぇ」(食え)「寝るは」「腹減った」といったそっけない言葉に耐えられず、結局、逃げ出したという。

 NPO法人・国際ボランティアセンター山形の西上紀江子理事は「日本人男性と結婚し、精神的に追いつめられた外国人女性が、今年だけで2人も自殺している」と話す。外国から知り合いのいない山形に嫁ぎ、言葉も分からず孤独に苦しんでいる女性は少なくない。=つづく



毎日新聞 2007年12月7日







5止 日本語教室が支えに /山形

◇欠かせない家族の理解

 日本語教室で知り合った寒河江市の韓国人女性たちが11月、市内で開かれたボランティアフェスティバルで古里のダンスを披露した。その中に、黄色と赤、黄緑のチマチョゴリに身を包んだ酒井原京子さん(38)の姿があった。

 「言葉も分からず、私たちは身一つで日本に来た。頼れるのは、だんなさんだけ。だんなさんが優しかったから幸せよ」。ビデオカメラを片手に見守る夫に手を振りながら、酒井原さんはつぶやいた。

 韓国から来た酒井原さんは、01年に寒河江市に住む16歳上の謙吾さん(54)と結婚した。今年、娘が幼稚園に入園して時間の余裕ができ、山形市内の日本語教室に通い始めた。「教室で話し相手ができたのがうれしい」という。

 日常生活に必要な日本語は、すべて謙吾さんが教えてくれた。漢方薬も扱う薬剤師の謙吾さんは、中国語の漢字が書ける。初めてのデートの時、言葉に詰まり、ノートを使って筆談を始めると、相手が何を言いたいのか分かった。

 食事中もテレビを見ている時もノートは手放せない。「何食べたい?」「うどん」「ドライブ行く?」。2人の思い出の詰まったノートは1年で5冊を超えた。謙吾さんは「ノートは2人の宝物。今じゃ、口げんかでは負けるくらい上達した。これ以上日本語が上手になられると困る」と笑う。

 県国際交流協会によると、自治体やボランティアが運営している日本語教室は県内に約50カ所。ボランティアの事情で閉鎖されたり、人数がそろわず、要望があっても開設できなかったりすることも多い。「日本語教室がなかったら、言葉は分からず、友達もできなかった。独りで閉じこもって、悩んでいたと思う」。日本語教室に通う外国人女性らは口々に言う。

     ◇

 外国人花嫁にとって日本語教室の果たす役割は大きい。しかし、最も必要としているのは、言葉の壁や文化の違いを越えて、自分を受け入れてくれる夫と家族の存在だ。

 中国から来た菅井東(あかり)さん(44)は99年、業者の紹介で朝日町に住む会社員の安博さん(51)と結婚した。仲介料は約300万円だった。現在は2人の娘と夫の両親の6人で暮らしている。嫁いでから2~3年は、寂しくて毎日のように中国に帰りたいと思っていたという。通っていた日本語教室も閉鎖されてしまった。

 しかし、戦争中、満州にいたことがあり、中国語が堪能な義父の安蔵さん(82)が家族との橋渡しをしてくれた。今でも言葉が分からずイライラして、安博さんとけんかになりそうになると、安蔵さんが通訳を買って出てくれる。

 「東はうちの嫁だから、日本人とか中国人だとかは関係ない。お互い助け合っていくのが家族だから。紹介料は高かったけど、今が幸せだから後悔はしてない」と安蔵さんは言う。

     ◇

 金銭を介した国際結婚によって、国籍や文化、言葉の違う夫婦が海を越え、何組も誕生してきた。時に、その結婚がさまざまな問題を引き起こし、不幸な結末をもたらすことも少なくはない。それでも、この山形の地で幸せをつかもうと、懸命に生きる人たちがいる。=おわり(この企画は林奈緒美が担当しました)



毎日新聞 2007年12月8日






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