無料景品に「栄養ドリンク」かいな・・やはり過当競争かな?
「コンビニ」についていろいろ批判めいたことをこのブログ上で述べているわけだが、野球のチケットを買うために2日ぶりに近くのコンビニに入った。チケットを購入したあと、レジのお姉さんが、「こちら無料の景品引き換え券です。明日まで使えますが、本日引き換えますか?」とのご質問。何をくれるのかというと、栄養ドリンク1本なのであった。当惑した。なぜ、「コンビニで栄養ドリンクか?」と。しかもタダなのである。まあ、もらえるものはもらえということで、当惑しつつももらって帰り、帰宅後、すぐ飲んでみた。大して美味しいわけでもなかった。当然だ。薬品みたいなものなんだから。景品でお客を釣らなければという魂胆にまで達しているのであれば、やはりこのあたりのコンビニはかなり過当な競争の中にあるということなのかもしれない。コンビニで無料景品をもらうという初の経験をして、戸惑うばかりであった。
夕方、映画「雪に願うこと」をみてきた。北海道のばんえい競馬を映画化したものだが、佐藤浩一がシブい!そして、小泉今日子が艶熟。(ちょっと嫌らしい表現だけどホント)ばんえい競馬の魅力を、正直に北海道経済の昨今の沈滞振りを、そして人の生き様を見事に体現したなかなかの映画であった。ばんえい競馬の競馬場が職場から車で10分のところにあって、ばんえい競馬の電話投票会員でもある僕は、ばんえい競馬にそれなりに詳しいから、それなりに映画らしい脚色もちゃんと目に付いたが、観衆にばんえい競馬の魅力を伝え、それに人の生き方を重ね合わせることで映画の価値を高めようというスタッフの意欲が伝わってくるいい映画であった。調べてみると、北海道での先行上映で、全国的には来月から公開になるとか。オススメ映画の一つ。(映画館にパンフが品切れ。残念。)
さて、明日は礼拝。2週間ぶりの司会奉仕である。
「よみがえりのいのち」(ヨハネ11章)がメッセージです。
ヨハネ11:25 イエスは言われた。「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信ずる者は、死んでも生きるのです。」
ヨハネ11:26 「また、生きていてわたしを信ずるものは、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」
救い主イエス「よみがえり」または「いのち」と信じる者にとって、肉体の死は、すべての終わりではなく、永遠のいのちの始まりであるということですね。きっと牧師は、T兄の死をもとにこのお話を予定されているのだと思います。
4月最後の礼拝が豊かな時間となり、祝福されますように。
美瑛町への旅&富良野岳絶景をアップしました。(teacherの旅日記Part5)
「コンビニ」についていろいろ批判めいたことをこのブログ上で述べているわけだが、野球のチケットを買うために2日ぶりに近くのコンビニに入った。チケットを購入したあと、レジのお姉さんが、「こちら無料の景品引き換え券です。明日まで使えますが、本日引き換えますか?」とのご質問。何をくれるのかというと、栄養ドリンク1本なのであった。当惑した。なぜ、「コンビニで栄養ドリンクか?」と。しかもタダなのである。まあ、もらえるものはもらえということで、当惑しつつももらって帰り、帰宅後、すぐ飲んでみた。大して美味しいわけでもなかった。当然だ。薬品みたいなものなんだから。景品でお客を釣らなければという魂胆にまで達しているのであれば、やはりこのあたりのコンビニはかなり過当な競争の中にあるということなのかもしれない。コンビニで無料景品をもらうという初の経験をして、戸惑うばかりであった。
夕方、映画「雪に願うこと」をみてきた。北海道のばんえい競馬を映画化したものだが、佐藤浩一がシブい!そして、小泉今日子が艶熟。(ちょっと嫌らしい表現だけどホント)ばんえい競馬の魅力を、正直に北海道経済の昨今の沈滞振りを、そして人の生き様を見事に体現したなかなかの映画であった。ばんえい競馬の競馬場が職場から車で10分のところにあって、ばんえい競馬の電話投票会員でもある僕は、ばんえい競馬にそれなりに詳しいから、それなりに映画らしい脚色もちゃんと目に付いたが、観衆にばんえい競馬の魅力を伝え、それに人の生き方を重ね合わせることで映画の価値を高めようというスタッフの意欲が伝わってくるいい映画であった。調べてみると、北海道での先行上映で、全国的には来月から公開になるとか。オススメ映画の一つ。(映画館にパンフが品切れ。残念。)
さて、明日は礼拝。2週間ぶりの司会奉仕である。
「よみがえりのいのち」(ヨハネ11章)がメッセージです。
ヨハネ11:25 イエスは言われた。「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信ずる者は、死んでも生きるのです。」
ヨハネ11:26 「また、生きていてわたしを信ずるものは、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」
救い主イエス「よみがえり」または「いのち」と信じる者にとって、肉体の死は、すべての終わりではなく、永遠のいのちの始まりであるということですね。きっと牧師は、T兄の死をもとにこのお話を予定されているのだと思います。
4月最後の礼拝が豊かな時間となり、祝福されますように。
美瑛町への旅&富良野岳絶景をアップしました。(teacherの旅日記Part5)