聖書に学ぶ神のみことば

teacherが感じ、思ったことなどをいろいろと綴ります。聖書の一節をちょっと添えて。

☆各地で秋の例大祭の時季となりました☆

2006-09-12 23:59:15 | 街頭風景
  ◆露天商さん ありがとう!◆

 夏のお祭りについて、先月エントリーで書いたように、最近の町の祭りは学生ボランティアが金魚すくいのおじさんの代わりをしているなど、実に日本的な「粋」が失われていることを嘆いた。しかし、こうして秋がきて、神社の例大祭の時季ともなると、露天商さんの存在が実に頼もしい。

 まあ、ほとんど多くの日本人は、こうした自分の町のお祭りを、「宗教的」にはとらえません。teacherはそれでいいと思っているし、自分の信仰をたてに、そういうところには出歩かないとか、寄付を拒否するのもそれはそれでよいと思っている。「例大祭」なんて普段は誰も言わないし、神社神道という宗教が絡んでいるとも思わずに、夜店を歩き、郷土文化としての雰囲気を楽しんでいるのが日本人の、「祭り観」なわけでして…。いろいろ議論の余地はあると思うが、異質なものを排除する論理に、自分の信仰を染めたりはしたくありません。

 「おい、坊主、そこから身を乗り出して的に当てたら、警察呼ぶからな!わかったか?」

 と怖い目つきの店のお兄さんから声がけされて、射的に挑む小学生たち。「危険」や「変なもの」から逃げず、自分で経験して大きくなりなさい。teacherは、その光景を目にして、心でつぶやいていました。

 そう、日本文化としてのお祭りは、人の心の成長にもしっかり寄与する催し物なのです。teacherは、自分の信仰とは違うものが絡んでいる行事だから関係ありませんという狭い態度は取りません。(もちろん、神社で賽銭を投げたり、玉ぐし料を捧げるなんてことはしませんが…)

 teacherの住む街は、おかしなところで、各地区にある神社が1週間遅れで、それぞれの例大祭を行なうという、すごい縄張り意識の強いところ。来週も、そして再来週も、自分の住む町で楽しめるのです。どういうわけなんでしょうね・・・露天商さんの姿をみると、心がざわざわするのは…まあ、teacherが日本人であるということなのでしょう。

 今夜は、出かけていて遅くなりました。駅に置いていた自転車に夜露がついていました。秋の深まりを感じた一夜。

 悪を憎み、善に親しみなさい。(ローマ13:9)

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 ★出来秋です! 白いトウキビ、カボチャ★