大井川の風

春夏秋冬、四季それぞれの風をお届けします。
富士山静岡空港をはじめ大井川流域のさまざまな
情報を掲載しています。

戦跡 牧之原台地の8月15日 大井海軍航空隊 その2

2009-08-15 18:30:00 | 郷土研究
茶畑の中にひっそりと建つのは大井航空隊の電探講堂。電探とは電波探知・・・いわゆるレーダーのことです。レーダーは当時の最先端技術。開発では欧米に遅れをとったものの、戦争末期には日本でも使用されるようになりました。


電探講堂は60数年を経て現存している地上で唯一の建物。現在は独立行政法人種苗管理センターが所有する建物になっています。
あえて「地上」と書いたのは、この台地に地下には無数のトンネル(地下壕)が掘られているからです。万一地上の建物が損傷しても地下で指揮が取れるようにと掘削が進められていました。


こちらは朝礼台とも号令台ともいわれるコンクリート塊。


以前はこのような待避壕を見かけましたが、最近では数が少なくなっているのでしょうか?
戦争末期になると普段の偵察や機上訓練だけでなく特攻訓練も行われるようになり、訓練を終えたたくさん隊員が南の前線基地に赴きました。そして終戦、大井航空隊の跡地は再び茶畑や工場そして住宅に変わっていくのですが、その中でも様々な問題が起きたようです。それを思うと戦争というのは後々の世までいろいろな影響を与えるものだと感じます。これからも平和な時代が続くよう願うのは、私だけではないと思います。


太平洋戦争当時静岡県内には陸軍の浜松飛行場(今の浜松基地)、袖浦飛行場(磐田市)、田子の浦飛行場(富士市)、海軍の藤枝飛行場(今の静浜基地)とこの大井飛行場、そして第2大井飛行場(掛川市)の6つの飛行場がありました。

写真は大井航空隊の敷地付近の茶畑から見た静岡空港。もうこの空港は機銃掃射や爆撃を受けることはありません。

最新の画像もっと見る

5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
興味深いです (夏樹)
2009-08-20 00:01:28

先日NHKで元海軍400時間の証言と題してスペシャル番組をやっていました。

それから戦争中の事を詳しく知りたいと思い調べていたのですが山形空港は以前、旧帝国海軍の練習飛行場だったそうです。

戦後は米軍や自衛隊などが利用する飛行場となり、1974年に民間空港として神町空港(山形空港)が開港。

今更ですが、それで駐屯地に近いのだと納得した次第です。

また静岡にお邪魔するような機会があったら見学したいものです。
返信する
コメントありがとうございます (夏樹さま/naoです)
2009-08-20 01:07:22
元陸軍や海軍の飛行場だったところがそのまま現在も自衛隊基地になっているところがありますね。調べましたら山形空港の前身は、夏樹さまが仰るとおり、茨城県つくば市にあった海軍谷田部航空隊の一部が移ってできたとのこと。
ここ静岡では、軍関係の飛行場は2つを除いて、みな田畑や住宅そして工場になり民間空港は今回の静岡空港が初めてになります。
返信する
訂正を・・・ (夏樹)
2009-08-20 20:08:23

1974年ではなく1964年の間違いでした。
失礼しました。

>茨城県つくば市にあった海軍谷田部航空隊の一部が移ってできたとのこと。

そうだったんですね!
詳しい情報ありがとうございます。
返信する
コメントありがとうございます (夏樹さま/naoです)
2009-08-21 00:04:21
飛行場の歴史もいろいろありますが、こうした戦争中に作られた飛行場は、機密事項でもあり資料も散逸、そして語られないことも多いようです。今回の投稿を通して、記録として後世に伝えていくことも大切だと感じました。
返信する
牧の原台地の赤トンボ団 (matty)
2012-11-29 20:01:25
外人の形なんだけど、牧の原台地の上に住んでいます。歴史好きなんで、この辺のかなり詳しい
最近見つかりましたの, 台地のしたにトンネルいっぱいあります、長野県の天皇隠れるのと同じくらいけど、もといっぱいある。地域の人々多分教えないけど、入り口知っています。もと知りたいだったら、連絡ちょうだい
Getitgotitgood.digdug@gmail .com
返信する

コメントを投稿