私が先日東慶寺を訪れた際,東慶寺境内の「松ヶ岡宝蔵」において,「縁切寺の三くだり半」という展示企画が催されていました。
太田市満徳寺での縁切事例も並列して,実際にどのように離縁手続が行われていたのかが解説されており,たいへん興味深いものでありました。
ドラマなどでは,上の写真の山門をくぐることができれば,鬼の夫から解放されるといった雰囲気がありますが,実際の運用は結構大変だったようです
では,これから駆け込みたいあなたのために(笑),東慶寺での離縁手続を簡単にご説明しましょう
1,まずは,追っかけてきている夫に捕まらないように,上の山門までがんばって走ってください。
もしも,門の手前で夫に捕まってしまっても,持っているかんざしや櫛などを門内に投げ入れれば駆け込み有効と判定され,夫は閉め出されます。
なので,もしものために投げることができるアイテムを忘れないでください。
2,門に入ったら,寺役人の方による身元調査が行われます。その際,申立書を持参していない方は,その場で寺役人の方にお話ください。
手続を済まされた方は,門前の御用宿において仮に身柄が保護されます。
3,まずはあなたの親御さんや夫の関係者をお呼び出しします。このときに,寺役所に出頭するまでもなく,夫が観念して離縁状を書いてくれたら離婚の示談成立とみなされます。
これを「国元内済離縁」と呼んでいます。
4,親御さんや夫の関係者の方が寺役所に出頭となった場合は,その場で示談協議を進めます。それにより夫が観念したら,離婚の示談成立となります。
これが通常の「内済離縁」のスタイルです。
内済離縁が成立しましたら,あなたはその段階で,離縁状の写しをもらって,お国元へ帰って結構です。
5,親御さん等の関係者の協力をもってしても夫が煮え切らない場合には,やむを得ませんが職権発動させていただきます。
東慶寺の寺法書を持参した役人が直接夫の里に出役し,村の名主のもとに関係者を集めて「御寺法」を読み上げ,強制的に離縁させることになります。
出役日時は事前に夫の方へ通知いたしますが,その通知書を見た夫が,これ以上村を巻き込んで大事にされては困ると観念した場合には,「内済離縁」が成立したものとします。
6,寺役人の出役により,村の関係者の方々の前で「御寺法」を読み上げることになった場合は,ふつうなら村の人たちは東慶寺の権威に恐れおののき,反抗することはないものと思われます。
出席者は「その御寺法の趣旨をくみとり,この夫婦の離婚に同意します」ということで,夫をはじめ,出席者から連名で離縁状に署名押印してもらい離婚成立となります。
これを「寺法離縁」といいます。
7,寺役人が出向いてもなお夫が駄々をこねて,名主さまの説得すら聞かない厄介なケースがありましたら,そのときは幕府方の寺社奉行サマにもご協力いただき,強制的に「寺法を拒んだわたしが悪うございました」と一筆書かせた上で,離婚を成立させます。
8,なお,寺法離縁となった上記6,7の場合には,寺法により,あなたは24ヶ月の間,東慶寺に留まっていただく必要があります。24ヶ月を経過した段階で,夫から受理しています寺法離縁状の写しを差し上げますので,それをお持ちいただいて下山してください
といった具合です。
なんとなく現在の家庭裁判所における「調停離婚」,「裁判離婚」に類似した制度が既にこの時代にできていたことにあらためて驚かされました。
さらに,お寺の権威にも屈しないタチの悪い当事者に対する公権力への援助要請の制度まであったこともびっくりです。
ちなみに,俗に言う「三くだり半」の離縁状は,任意に夫から出されるもののほか,上の手続でいう内済離縁状の場合を指し,寺法離縁状には寺法についてさまざまな事項が書かれていることから,三行半では書ききれない長いものであったようです。
私が展示で見た離縁の申立事例では,夫が暴力を振るう,遊興に耽る,といった理由により駆け込んだということでしたが,いざ夫の事情聴取をすると,妻が不倫をし,自分はちゃんと働き落ち度はない…などと反論し,まったく相反する供述が出ていたものがありました。
結局,妻の言い分にも不審な点が多々あるけれども,離縁を認めたようです。
今も昔も,男と女はかわらないんだなあと思った瞬間でした…
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さて,よく「江戸時代,夫は三行半で離婚できた。だから男性優位社会だった」と言われていますが,記事にもありますように,実際はそんなに簡単なものではなく,むしろ夫と妻とで言い分が分かれたり,妻がどこかに逃げてしまった場合,離婚が不可能に近かったようです。
昔も今もあまり変わりませんが,「みんな仲良く平和に暮らす」という世の中になってほしいものですね。
実のところ,いくら男でも,離婚が認められないと,再婚は難しかったみたいですね
まあ,当時と比べたら,今の男性の権威など無きに等しいですけどね
先日、「明るい離婚計画」と言う映画を観てきましたが、この米国映画とは全く別の世界ですね。
ワタシも宝蔵に入ったのは今回が初めてでした。
確かに入山料より宝蔵の拝観料の方が高いので,宝蔵に入るのはなんとなくためらいますね
訪れるたびに新たな発見のある鎌倉はいいですね!