働くことがイヤな人のための本, 中島義道, 新潮文庫 な-33-3(7419), 2004年
・カバー紹介文より「「仕事とは何だろうか?」「人はなぜ働かねばならないのか?」「生きることがそのまま仕事であることは可能か?」――引きこもりの留年生、三十過ぎの未婚OL、中年サラリーマン、元・哲学青年の会社経営者といった人物との架空対話を通して、人間が「よく生きること」の意味を探究する。仕事としっくりいかず、生きがいを見出せない人たちに贈る、哲学者からのメッセージ。」
・中島道義、二冊目。前出書ほどのインパクトはありませんでしたが、著者のパワーは相変わらず。内容についてはいまいちピンとこなかった。私も冒頭で『さようなら』と言われるうちの一人なのでしょう。おまけのストライク。
・「ということは、本書は私と異なった感受性を持つ膨大な数の人には何も訴えることがないのかもしれない。それでいいのだ。そうした一人であるあなたは、この本を読む必要はない。 さようなら。またいつか、どこかでお会いしましょう。」p.8
・「自分がたまたま生まれてきて、そしてまもなく死んでしまう意味を知りたいのだ。これほどの不条理の中にも、生きる一条の意味を探り当てたいのだ。充実して生きる道を探しているのだ。それが、何にも増していちばん重要なことなのだ。 それは自分の(広い意味における)仕事を探していることにほかならない。」p.17
・「同類が増えてたいそう心強く、私の本心なのだが、もっともっと引きこもりが増大してほしいと思う。なぜなら、彼らのうちで少なくとも真剣に考えている者は、人生における本質的なものを見ているように思えるからだ。」p.17
・「そこで、プライドを維持するために、彼らは不戦敗という道を選ぶ。戦わないことにするのである。戦うと負けるかもしれないが、戦い自体を拒否してしまえば、致命傷は負わなくてすむ。」p.22
・「おびただしい人々が芸術家に憧れるのは、私の考えでは、好きなことができるということのほかに、まさに社会を軽蔑しながらその社会から尊敬されるという生き方を選べるからなんだ。」p.27
・「だが、私が言いたいのは、このいずれでもない。もっと身も蓋もない事実である。すなわち、人生とは「理不尽」のひとことに尽きること。思い通りにならないのがあたりまえであること。いかに粉骨砕身の努力をしても報われないことがあること。(中略)そして、社会に出て仕事をするとは、このすべてを受け入れるということ、その中でもがくということ、その中でため息をつくということなのだ。」p.40
・「「自分のやりたいことがきっと何か一つあるはずだ」というお説教は、正真正銘の嘘だ。ほとんどの人は、目を皿のようにして探してもそんなものは見つからない。」p.53
・「一握りの成功者のことなどどうでもいいのだ。そういう者の成功の秘訣をいくら読んでもあなたは成功しないであろう。」p.58
・「カミュが愛用していたニーチェの言葉がある。それは「私を殺さないかぎり、私はますます強くなる」というものだ。(中略)人生の目標がはっきりしており、しかもそれは実現されなくてもよいのだと悟ったとたん、きみは何をしても失敗することはない。」p.65
・「タコ焼き屋でも、ラーメン屋でもいい。仲間に負けてもなんともないのだったら、それは厳密には仕事ではなく趣味だ。」p.71
・「成功者は、ちょうど幼少から愛されつづけてきた人のように気持ちがおおらかでみずからの才能をよく知っており、魅力あふれた人が多い。みずから運命の女神の寵児であることを知っているがゆえに、ますますこだわりのない自由人になってゆく。だが、失敗者は、ちょうど愛されないで育った人のように気持ちがさもしくみずからの才能を直視せず、魅力に欠ける人が多い。みずから運命の女神に見放されてきたことを知っているがゆえに、ますますひねくれた不自由を背負ってゆく。 こうして、成功者はますます成功する要素をそのうちに育ててゆくのに対して、失敗者はますます不成功の要素をみずからのうちに沈殿させてゆくというわけだ。」p.84
・「ある程度考えたら、もうあとは動きだすよりほかはない。仕事に対する適正を知りたいのなら、仕事につくよりほかないのだ。」p.100
・「危険がなく、責任もとらなくてよく、ひと聞きがよくて、しかも暗い職業は何か? ああ! それこそ哲学者なのだった。しかも、哲学でメシを食っていける唯一の職業は、大学教師なのだ。」p.104
・「このままずっと、軽薄に軽薄に何も考えずに行きつづけよう。死が恐くなくなるほど、徹底的なアホになろうと意図した。」p.113
・「私のまわりの作家志望の若い人々には、自分が純粋だから社会に適応できないと思い込んでいる人が多いんです。そのじつ、全然純粋ではないのに。」p.129
・「そんなときMさんは「お釈迦さまは誰もいないところでも説教した。誰もいなくなってもいいんだ」と言ってくれた。」p.138
・「私は自分ほど不器用な者はいないと思っている。そして、その不器用さを利用することにかけては、これほど器用な者もいないと思っているんだ。これは、50歳になってやっと言えることだけれどね。」p.142
・「ただ誠実にやっていれば報われる社会、そんな低級な社会はおとぎ話の中だけでたくさんだ。 理不尽であるからこそ、そこにさまざまなドラマを見ることができる。」p.150
・「B ところで、先生はなんで無用塾を開設したんですか?
もう開設から四年になるが、その当時私は学問とは別に哲学する場が欲しかった。哲学研究者になるのでもなく、サロンでもない、しかも本物の哲学をする場を作りたいということであった。」p.166
・「人間は死ぬとずっと死につづけるのだ。一億年経ってもその一億年倍経っても生き返ることはないのである。やがて、人類の記憶はこの宇宙から跡形もなく消えてしまうのである。」p.178
・「よく生きるとは、第一に真実をめざして生きることにほかならない。真実は、この場合、外的真実のみならず内的真実(信念)をも含む。そして、その要に死が位置する。」p.184
・「基準は、いまや金になる仕事から金にならない仕事に移行している。」p.187
・「他人のために時間を投げ捨てることはないのだ。自分のためだけに贅沢に時間を使えばいいのだ。」p.191
・「プラトンは哲学は50歳からと言った。」p.194
・「表面的に健康な世間において問うてはならないとされている問いを抑えつづけることはその人を病的にし、逆にそれをとことん正確に言語化することはその人を健康にするんだよ。」p.197
・「偶然産み落とされて、運命に翻弄され続け、そして理不尽な評価を受けつづけ、そしてあと少しで死んでしまうこの人生の不条理は、よく考えると不幸そのものだということ、このことに鈍感であっては哲学の適性はないだろう。この残酷さを直視しようとしない者は哲学者にはなれないだろう。」p.198
・「だが、次第に哲学者には二つの意味があると思いはじめている。一つは、カントやニーチェのように「哲学狂い」とでも呼べる大天才たちをはじめとした専門哲学者。(中略)だが、もう一つの哲学者がいるのではないだろうか? その人生への態度が哲学的な人々である。(中略)この意味での哲学者を、ここではギリシャ語の「フィロ(愛)=ソフィア(知)」という語源に従って「愛知者」と呼ぶことにしよう。」p.198
・「「生きる」という仕事は、ありとあらゆる仕事より格段に価値がある。ただ、すべての人が生きているから、この楽しく・苦しく・充実していて・虚しい仕事も評価されないのだね。」p.202
・「私はごまかして死ぬことだけはしたくないと思っている。モルヒネで朦朧となったまま息を引取ることはまあしかたないであろう。しかし、精神的なモルヒネを大量に投入して、思考を停止してしまい、「これでいいのだ」とか「みんなありがとう」とか呟いて死にたくはないのだ。」p.206
・「このまえ21世紀に突入したが、100世紀には世界は、人類はどうなっているんだろう?」p.207
・「父は人格的には貧寒だったと思うが、80歳を過ぎても旺盛な知識欲があった。「学生時代に読めなかった長編を読もう。まず『チボー家の人々』を読もうかな」と私に語ったことがある。」p.209
・「その人が死んでも誰ひとり悲しまない死に方はいいもんだ。はじめからその人が生きていなかったように、死んでしまうのはいいもんだ。」p.212
・「この世が生きて甲斐ない所だと心底から絶望することもまた、すばらしい死の準備である。(曾野綾子「三秒の感謝」朝日新聞)」p.212
・「人はなぜ働かねばならないのか? この問いに、私はいまだ明確な回答を与えることができません。」p.215
・以下、解説(斎藤美奈子)より「なんだかグチャッグチャした本だなあ。これではよけいドツボにハマっていくじゃんか。それが本書をはじめて読んだときの、ウソ偽らざる感想でした。」p.217
・「この本がグチャグチャして見えるのは、社会のしくみの話ぬきで社会との接し方について語ろうとする、その根本的な矛盾に由来するように思います。」p.220
・「だけど、そうだとしたら、この本のタイトルは適正ではないかもしれませんね。正しくは『賃労働者として働くことがイヤな人のための本』。副題は「賃労働ではない仕事とは何だろうか」。」p.222
・「<哲学者なんて(と差別的にいうが)、労働者としても生活者としても、もともと失格なわけですよ。じゃないと哲学者にはなれないし、失格だが、人類の貴重な文化財だから社会が特別に保護してやっているのである。そんな保護動物みたいな立場の人が、他人の悩みに首をつっこむなど、トキがパンダの心配をしているようなものである>(斎藤美奈子『趣味は読書。』所収)」p.223 どういう方か存じませんが、鋭い方ですね。センスを感じる。興味津々。
チェック本 斎藤美奈子『趣味は読書。』、『冠婚葬祭のひみつ』岩波新書
・カバー紹介文より「「仕事とは何だろうか?」「人はなぜ働かねばならないのか?」「生きることがそのまま仕事であることは可能か?」――引きこもりの留年生、三十過ぎの未婚OL、中年サラリーマン、元・哲学青年の会社経営者といった人物との架空対話を通して、人間が「よく生きること」の意味を探究する。仕事としっくりいかず、生きがいを見出せない人たちに贈る、哲学者からのメッセージ。」
・中島道義、二冊目。前出書ほどのインパクトはありませんでしたが、著者のパワーは相変わらず。内容についてはいまいちピンとこなかった。私も冒頭で『さようなら』と言われるうちの一人なのでしょう。おまけのストライク。
・「ということは、本書は私と異なった感受性を持つ膨大な数の人には何も訴えることがないのかもしれない。それでいいのだ。そうした一人であるあなたは、この本を読む必要はない。 さようなら。またいつか、どこかでお会いしましょう。」p.8
・「自分がたまたま生まれてきて、そしてまもなく死んでしまう意味を知りたいのだ。これほどの不条理の中にも、生きる一条の意味を探り当てたいのだ。充実して生きる道を探しているのだ。それが、何にも増していちばん重要なことなのだ。 それは自分の(広い意味における)仕事を探していることにほかならない。」p.17
・「同類が増えてたいそう心強く、私の本心なのだが、もっともっと引きこもりが増大してほしいと思う。なぜなら、彼らのうちで少なくとも真剣に考えている者は、人生における本質的なものを見ているように思えるからだ。」p.17
・「そこで、プライドを維持するために、彼らは不戦敗という道を選ぶ。戦わないことにするのである。戦うと負けるかもしれないが、戦い自体を拒否してしまえば、致命傷は負わなくてすむ。」p.22
・「おびただしい人々が芸術家に憧れるのは、私の考えでは、好きなことができるということのほかに、まさに社会を軽蔑しながらその社会から尊敬されるという生き方を選べるからなんだ。」p.27
・「だが、私が言いたいのは、このいずれでもない。もっと身も蓋もない事実である。すなわち、人生とは「理不尽」のひとことに尽きること。思い通りにならないのがあたりまえであること。いかに粉骨砕身の努力をしても報われないことがあること。(中略)そして、社会に出て仕事をするとは、このすべてを受け入れるということ、その中でもがくということ、その中でため息をつくということなのだ。」p.40
・「「自分のやりたいことがきっと何か一つあるはずだ」というお説教は、正真正銘の嘘だ。ほとんどの人は、目を皿のようにして探してもそんなものは見つからない。」p.53
・「一握りの成功者のことなどどうでもいいのだ。そういう者の成功の秘訣をいくら読んでもあなたは成功しないであろう。」p.58
・「カミュが愛用していたニーチェの言葉がある。それは「私を殺さないかぎり、私はますます強くなる」というものだ。(中略)人生の目標がはっきりしており、しかもそれは実現されなくてもよいのだと悟ったとたん、きみは何をしても失敗することはない。」p.65
・「タコ焼き屋でも、ラーメン屋でもいい。仲間に負けてもなんともないのだったら、それは厳密には仕事ではなく趣味だ。」p.71
・「成功者は、ちょうど幼少から愛されつづけてきた人のように気持ちがおおらかでみずからの才能をよく知っており、魅力あふれた人が多い。みずから運命の女神の寵児であることを知っているがゆえに、ますますこだわりのない自由人になってゆく。だが、失敗者は、ちょうど愛されないで育った人のように気持ちがさもしくみずからの才能を直視せず、魅力に欠ける人が多い。みずから運命の女神に見放されてきたことを知っているがゆえに、ますますひねくれた不自由を背負ってゆく。 こうして、成功者はますます成功する要素をそのうちに育ててゆくのに対して、失敗者はますます不成功の要素をみずからのうちに沈殿させてゆくというわけだ。」p.84
・「ある程度考えたら、もうあとは動きだすよりほかはない。仕事に対する適正を知りたいのなら、仕事につくよりほかないのだ。」p.100
・「危険がなく、責任もとらなくてよく、ひと聞きがよくて、しかも暗い職業は何か? ああ! それこそ哲学者なのだった。しかも、哲学でメシを食っていける唯一の職業は、大学教師なのだ。」p.104
・「このままずっと、軽薄に軽薄に何も考えずに行きつづけよう。死が恐くなくなるほど、徹底的なアホになろうと意図した。」p.113
・「私のまわりの作家志望の若い人々には、自分が純粋だから社会に適応できないと思い込んでいる人が多いんです。そのじつ、全然純粋ではないのに。」p.129
・「そんなときMさんは「お釈迦さまは誰もいないところでも説教した。誰もいなくなってもいいんだ」と言ってくれた。」p.138
・「私は自分ほど不器用な者はいないと思っている。そして、その不器用さを利用することにかけては、これほど器用な者もいないと思っているんだ。これは、50歳になってやっと言えることだけれどね。」p.142
・「ただ誠実にやっていれば報われる社会、そんな低級な社会はおとぎ話の中だけでたくさんだ。 理不尽であるからこそ、そこにさまざまなドラマを見ることができる。」p.150
・「B ところで、先生はなんで無用塾を開設したんですか?
もう開設から四年になるが、その当時私は学問とは別に哲学する場が欲しかった。哲学研究者になるのでもなく、サロンでもない、しかも本物の哲学をする場を作りたいということであった。」p.166
・「人間は死ぬとずっと死につづけるのだ。一億年経ってもその一億年倍経っても生き返ることはないのである。やがて、人類の記憶はこの宇宙から跡形もなく消えてしまうのである。」p.178
・「よく生きるとは、第一に真実をめざして生きることにほかならない。真実は、この場合、外的真実のみならず内的真実(信念)をも含む。そして、その要に死が位置する。」p.184
・「基準は、いまや金になる仕事から金にならない仕事に移行している。」p.187
・「他人のために時間を投げ捨てることはないのだ。自分のためだけに贅沢に時間を使えばいいのだ。」p.191
・「プラトンは哲学は50歳からと言った。」p.194
・「表面的に健康な世間において問うてはならないとされている問いを抑えつづけることはその人を病的にし、逆にそれをとことん正確に言語化することはその人を健康にするんだよ。」p.197
・「偶然産み落とされて、運命に翻弄され続け、そして理不尽な評価を受けつづけ、そしてあと少しで死んでしまうこの人生の不条理は、よく考えると不幸そのものだということ、このことに鈍感であっては哲学の適性はないだろう。この残酷さを直視しようとしない者は哲学者にはなれないだろう。」p.198
・「だが、次第に哲学者には二つの意味があると思いはじめている。一つは、カントやニーチェのように「哲学狂い」とでも呼べる大天才たちをはじめとした専門哲学者。(中略)だが、もう一つの哲学者がいるのではないだろうか? その人生への態度が哲学的な人々である。(中略)この意味での哲学者を、ここではギリシャ語の「フィロ(愛)=ソフィア(知)」という語源に従って「愛知者」と呼ぶことにしよう。」p.198
・「「生きる」という仕事は、ありとあらゆる仕事より格段に価値がある。ただ、すべての人が生きているから、この楽しく・苦しく・充実していて・虚しい仕事も評価されないのだね。」p.202
・「私はごまかして死ぬことだけはしたくないと思っている。モルヒネで朦朧となったまま息を引取ることはまあしかたないであろう。しかし、精神的なモルヒネを大量に投入して、思考を停止してしまい、「これでいいのだ」とか「みんなありがとう」とか呟いて死にたくはないのだ。」p.206
・「このまえ21世紀に突入したが、100世紀には世界は、人類はどうなっているんだろう?」p.207
・「父は人格的には貧寒だったと思うが、80歳を過ぎても旺盛な知識欲があった。「学生時代に読めなかった長編を読もう。まず『チボー家の人々』を読もうかな」と私に語ったことがある。」p.209
・「その人が死んでも誰ひとり悲しまない死に方はいいもんだ。はじめからその人が生きていなかったように、死んでしまうのはいいもんだ。」p.212
・「この世が生きて甲斐ない所だと心底から絶望することもまた、すばらしい死の準備である。(曾野綾子「三秒の感謝」朝日新聞)」p.212
・「人はなぜ働かねばならないのか? この問いに、私はいまだ明確な回答を与えることができません。」p.215
・以下、解説(斎藤美奈子)より「なんだかグチャッグチャした本だなあ。これではよけいドツボにハマっていくじゃんか。それが本書をはじめて読んだときの、ウソ偽らざる感想でした。」p.217
・「この本がグチャグチャして見えるのは、社会のしくみの話ぬきで社会との接し方について語ろうとする、その根本的な矛盾に由来するように思います。」p.220
・「だけど、そうだとしたら、この本のタイトルは適正ではないかもしれませんね。正しくは『賃労働者として働くことがイヤな人のための本』。副題は「賃労働ではない仕事とは何だろうか」。」p.222
・「<哲学者なんて(と差別的にいうが)、労働者としても生活者としても、もともと失格なわけですよ。じゃないと哲学者にはなれないし、失格だが、人類の貴重な文化財だから社会が特別に保護してやっているのである。そんな保護動物みたいな立場の人が、他人の悩みに首をつっこむなど、トキがパンダの心配をしているようなものである>(斎藤美奈子『趣味は読書。』所収)」p.223 どういう方か存じませんが、鋭い方ですね。センスを感じる。興味津々。
チェック本 斎藤美奈子『趣味は読書。』、『冠婚葬祭のひみつ』岩波新書