心で見る世界, 島崎敏樹, 岩波新書(青版)370(C75), 1960年
・精神病理学専攻の著者による書。感想→なにいってんだかわからーーん!!ひさびさに読解困難な文章にぶち当りました。『簡単・明解』な文章が主流の最近の本ではあまり見かけなくなったタイプの文章です。柔らかいものばっかり食べるからアゴが弱くなってるようなものなのでしょうか。こんなことではいかんですね。
・著者名をググってびっくり。"島崎藤村"のいとことのこと。
・「したがって、私という主体の前方は明るい認識と行動の場である知的(ロゴス)空間、上方は神秘的(ミトス)空間、側方は情的(パトス)空間、そして背後は無の空間ということになる。 最後に下の方向はどうかと考えると、これは本来ならば空間ではない。地盤である。」p.14
・「自然界のなかで、私どもが日なた向きの生物にひとりでに好感をもち、日陰の動物や植物が気味悪く嫌らしくみえ、蛇、とかげ、げじげじなどに出あうとすぐさま逃げだすか、それとも踏み殺したくなるのは、おそらく人間自体が向日性の生物系に属しているからであろう。」p.38
・「婦人の心理学者のシャルロッテ・ビューラーの見解によると、業績を生みだす独創的な生活と、生の一瞬一瞬をゆたかに生きる生活とは互に反極にある。」p.64
・「生活を喰らいつくすことが男の欲であるならば、女の欲は生活を生きつくすことにあるのだといえよう。」p.65
・「そういえば、悲しみは長く喜びは短いということをだれでも知っている。人間は憂いには同感しやすく、陽気な気分には同化されにくいのがふつうである。人の苦しみに接して、自分も相手とともに悲しむのは至ってやさしいことで、同情ということばが相手の苦しみをともにするという語義であることからも理解がつく。しかし逆の場合、相手が喜んでいる状態において、自分も彼と一緒に喜ぶというのはやさしいわざでない。」p.70
・「そうしたわけで、私どもに必要なのはまず自分の方をあけはなして先方にあたえることである。」p.84
・「男の方は今まで説明してきたように、事業を拡大してゆこうとか相手をだしぬいてよい地位についてやろうといった利我的前進欲がふさがれて思うようにならないときに、破壊的方向に一転するのがふつうであるが、女の場合では自分が一緒にいたい相手が自分から去ったときのように、共生存の欲望がみたされないときに、相手を傷つけようとしたり、自分を抹殺してしまおうとする衝動が発生しやすいようにみえる。」p.98
・「ある学者が伝えるところによると、第二次大戦を開始したとき、ヒトラーは自分がこの戦争を体験できるようになったことを彼の神にひざまずいて感謝したという。この戦いのはじまりの日から彼は自分の攻撃性を自由に発揮できることになったのだとこの学者はのべている。」p.100
・「変り者ということばの意味は、世に入らぬ人間ということであり、つきあいをしない者、まわりの人々に顧慮しないでふるまう者、年配になっても結婚して世帯をくまない男などがこの仲間である。だから世の中向けだけの顔で生活している人物――それなりに尋常ではない人であるが、そうした人は変り者という悪い語感のことばで焼印をおされる心配はない。」p.161
?ひょうびょう【縹渺・縹緲】 ほんのりかすかにみえるさま。かすかではっきりしないさま。また、広くてはてしないさま。「神韻縹渺」
・精神病理学専攻の著者による書。感想→なにいってんだかわからーーん!!ひさびさに読解困難な文章にぶち当りました。『簡単・明解』な文章が主流の最近の本ではあまり見かけなくなったタイプの文章です。柔らかいものばっかり食べるからアゴが弱くなってるようなものなのでしょうか。こんなことではいかんですね。
・著者名をググってびっくり。"島崎藤村"のいとことのこと。
・「したがって、私という主体の前方は明るい認識と行動の場である知的(ロゴス)空間、上方は神秘的(ミトス)空間、側方は情的(パトス)空間、そして背後は無の空間ということになる。 最後に下の方向はどうかと考えると、これは本来ならば空間ではない。地盤である。」p.14
・「自然界のなかで、私どもが日なた向きの生物にひとりでに好感をもち、日陰の動物や植物が気味悪く嫌らしくみえ、蛇、とかげ、げじげじなどに出あうとすぐさま逃げだすか、それとも踏み殺したくなるのは、おそらく人間自体が向日性の生物系に属しているからであろう。」p.38
・「婦人の心理学者のシャルロッテ・ビューラーの見解によると、業績を生みだす独創的な生活と、生の一瞬一瞬をゆたかに生きる生活とは互に反極にある。」p.64
・「生活を喰らいつくすことが男の欲であるならば、女の欲は生活を生きつくすことにあるのだといえよう。」p.65
・「そういえば、悲しみは長く喜びは短いということをだれでも知っている。人間は憂いには同感しやすく、陽気な気分には同化されにくいのがふつうである。人の苦しみに接して、自分も相手とともに悲しむのは至ってやさしいことで、同情ということばが相手の苦しみをともにするという語義であることからも理解がつく。しかし逆の場合、相手が喜んでいる状態において、自分も彼と一緒に喜ぶというのはやさしいわざでない。」p.70
・「そうしたわけで、私どもに必要なのはまず自分の方をあけはなして先方にあたえることである。」p.84
・「男の方は今まで説明してきたように、事業を拡大してゆこうとか相手をだしぬいてよい地位についてやろうといった利我的前進欲がふさがれて思うようにならないときに、破壊的方向に一転するのがふつうであるが、女の場合では自分が一緒にいたい相手が自分から去ったときのように、共生存の欲望がみたされないときに、相手を傷つけようとしたり、自分を抹殺してしまおうとする衝動が発生しやすいようにみえる。」p.98
・「ある学者が伝えるところによると、第二次大戦を開始したとき、ヒトラーは自分がこの戦争を体験できるようになったことを彼の神にひざまずいて感謝したという。この戦いのはじまりの日から彼は自分の攻撃性を自由に発揮できることになったのだとこの学者はのべている。」p.100
・「変り者ということばの意味は、世に入らぬ人間ということであり、つきあいをしない者、まわりの人々に顧慮しないでふるまう者、年配になっても結婚して世帯をくまない男などがこの仲間である。だから世の中向けだけの顔で生活している人物――それなりに尋常ではない人であるが、そうした人は変り者という悪い語感のことばで焼印をおされる心配はない。」p.161
?ひょうびょう【縹渺・縹緲】 ほんのりかすかにみえるさま。かすかではっきりしないさま。また、広くてはてしないさま。「神韻縹渺」