ぴかりんの頭の中味

主に食べ歩きの記録。北海道室蘭市在住。

【本】芸術のパトロンたち

2007年02月05日 22時25分48秒 | 読書記録2007
芸術のパトロンたち, 高階秀爾, 岩波新書(新赤版)490, 1997年
・ルネッサンス期から現代までのヨーロッパにおける、主に画家とそのパトロンの関係の歴史的変遷について。作曲家や演奏家の音楽に関する芸術の話題も扱われていることを期待して手にとった本ですが、完全に当てが外れた。浅く広く、ではなく深く狭く、というどちらかというと専門書寄りの構成。いろいろな画家やその作品名が話題にのぼりますが、私のような門外漢にとって、ついていくのはちょっとつらい内容でした。
・「他のあらゆる分野におけると同じように、ルネッサンスとは美術においても、個人の力量が大きく問題にされるようになった時代であり、その意味で人間中心主義の時代であった。」p.7
・「ここで言う「パトロン」とは、単に芸術作品の経済的、物質的担い手というだけではなく、芸術家を理解し、作品を評価して、芸術家に支援を与える人びとのことである。」p.8
・「1401年、ちょうど15世紀の明けそめた年、花の都フィレンツェにおいて、大聖堂付属洗礼堂入口のブロンズ扉制作のため、コンクールが行われたことは、美術史上有名である。コンクールは、扉の制作者を決めるためのものであった。」p.10
・「かつては二百年ないしは三百年に及ぶ長い栄光の時代と考えられていた「ルネッサンス」も、今では「ゴシック」と「マニエリスム」に前後からいわばはさみうちにされて、著しく短縮させられる傾向を見せているのである。」p.41
・「国王ですら芸術家に敬意を払うということは、芸術家が地上の権力者よりもさらに優れた存在になったということである。」p.55
・「宗教画や歴史画のような大構図作品では、値段はしばしば、描かれる人物の人数によって決められた。このような計算の仕方は、日本でも江戸時代の障屏画などにその例が見られるが、多くの画家は、全身像の登場人物一人についていくらという値段を決めていた。」p.82
・「もともと、誰でもが容易に訪れることのできる美術館という思想は、博物館や『百科全書』の理念と同様に、知識の拡大と普及を目指した啓蒙主義の産物であるが、それが今日まで続くようなかたちで実現されたのは、フランス革命以後のことである。」p.110
・「芸術作品を受け入れる社会的な場がそれだけ変わったのである。今や画家たちは、壮麗な教会の天井や宮殿の大広間を飾るためではなく、普通の市民たちの居間に受け入れられる作品を描かなければならなくなった。」p.125
・「これほどまで現実志向の強かった19世紀において、機械的な手段によって目に見える世界を正確に再現することのできる写真の登場は、当然のことながら、画家たちに大きな衝撃を与えた。みずから優れた現実再現の描写力をそなえていたポール・ドラロッシュは、1839年にダゲールによって発明された銀版写真を見て、「今日から絵画は死んだ」と語ったという。」p.134
・「少なくとも、19世紀の末以降、絵画が現実的表現を離れて自律的造形表現の世界に向かっていく背景のひとつには、写真の登場という事件があったのである。」p.136
・「無名の新人にとっては、創作よりも批評の方が世間に受け入れられやすかったという事情があった。そのことは、音楽の分野において、ベルリオーズが本業の作曲活動では充分に稼ぐことができず、音楽批評によって生活の資を得ていたという事情とよく似ている。」p.163
・「スペインからパリに出てきて、モンマルトルの洗濯船と呼ばれるアトリエに住みついた無名時代のピカソも、つかのまの暖をとるために、自分のデッサンをストーヴで燃やしたというエピソードを残している。」p.173
・「それでいて肖似性という点から言えば、一番写実的に見えるルノワールの肖像[写真]が必ずしもヴォラール本人に似ていないと当時から言われていたのに対し、ピカソの作品を見たある少年が直ちに「ヴォラールおじさんがいる」と叫んだという面白いエピソードが伝えられている。」p.191
・「ヴォラールは毎回三時間半も、不安定な台の上に置かれた椅子の上で身動きひとつせずにポーズするという苦行を強いられたと彼自身が、回想録『セザンヌを聴く』のなかで語っている。ある時、睡魔に襲われて思わず居眠りしたためひっくり返ったら、激怒したセザンヌから「林檎と同じようにしていなければいけない。林檎が動くか」とどなられたという。それほどまで苦労して、150回もポーズを続けたところで、セザンヌが南フランスに帰らなければならなくなったので、制作は中断された。その時セザンヌは、全体のできばえになお不満で、「シャツの胸のところだけは何とかできた」と言ったそうである。」p.192
・「文化大臣のマルローは、オペラ座に20世紀芸術の記念を残すため、あらためてシャガールに天井画制作を依頼した(1964年完成)。したがって現在オペラ座の観客となって天井を見上げると、モーツァルト(「魔笛」)からストラヴィンスキー(「火の鳥」)にいたる14人の作曲家の作品をテーマとしたシャガールの明るい画面が眼に入る。」p.200
・「今日フランスや日本でよく使われるようになった「メセナ」という言葉は、ローマのアウグストゥス帝の時代にヴェルギリウスやホラティウスなどの詩人、芸術家に厚遇を与えた名門の貴族カイウス・マエケナスの名前に由来するもので、それゆえに「芸術保護」という意味をもつようになったのだが、アメリカでは今でも、企業の芸術支援活動に対して、「メセナ」よりももっと広い「フィランソロピー」(公益事業、社会奉仕)という言葉をあてることが多い。」p.211
・「また1982年には、ニューヨーク市が「美術のためのパーセント法」を定めて、学校、病院、消防署、警察、裁判所などの市の建物を建設、または改築する場合、その費用の一パーセントまで(ただし、総工費が2000万ドルをこえる場合は0.5パーセントまで)を美術作品のために使わなければならないとした。」p.220
・「パトロンや美術市場に関する研究は、近年西欧諸国においてもきわめて活発になってきて、あるかぎられた時代や特定の芸術家についてはずいぶん詳細な研究が報告されるようになってきた。しかし、ルネッサンス期から現代まで、社会の変動を背景としてパトロンと芸術表現との微妙なからみ合いのあとをたどったものは、まだないように思われる。きわめて不十分なものではあるが、本書がその欠を補うものとなれば幸いである。」p.232

?へきがん【壁龕】 西洋建築で、彫像などを置くため壁面につくられたくぼみ。ニッチ。
?ネポティズム[nepotism] 身内・縁者びいき。同族登用。
?ひゃっか-せいほう【百花斉放】 (種々の花が一斉に咲きそろう意)科学・文化・芸術活動が自由・活発に行われること。
コメント (1)
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