ペパキャンのサバイバル日記

円形脱毛症で髪の毛がなくなりました。今はスキンヘッドライフ満喫です。
見た目問題当事者としての情報発信中!

「インナーマザー」

2013-01-25 11:59:30 | 本と雑誌

インナーマザー ~あなたを責めつづける心の中の「お母さん」~ (だいわ文庫) インナーマザー ~あなたを責めつづける心の中の「お母さん」~ (だいわ文庫)
価格:¥ 780(税込)
発売日:2012-03-09

思うところがあって、こんな本を読んでみました。あまり心理学系の本を読む機会がなかったので、なるほどね~と発見もあり、え?ここはそう分析する?の疑問もありの一冊でしたが、改めて「親子関係」というものを見つめ直すいい機会になったことには間違いありません。

そもそも、この歳になってまでなんで今更両親(特に母親)との関係に疑問を持ったかと言いますと、理由が二つあります。

一つは梅がもうすぐ義務教育を終了し、いわゆる「子育て期」から「見守り期」への移行をスムーズにしたかったこと。そろそろ親と子どもの人格を切り離して考え(今でもかなりそういう部分は多いけど)、これからは一人の大人と接していきたいと強く願っているので、何かのヒントになればいいと思ったこと。

もう一つは脱毛症の当事者や親御さん達といろいろ話をしたり、聞いたりする中で、脱毛症の子ども(といっても子どもの年齢は赤ちゃんから40歳、50歳くらいまで様々)を持つ親の子どもに与える影響みたいなものを紐解いてみたかったこと。

結論から言えば、この本の中に書かれている「インナーマザー」(内なる母)の存在は、私が普段感じている以上に大きいな、そして深いなということでした。

本の中にはインナーマザーの存在が大きすぎるが故に対人関係をうまく築けなかったり、摂食障害やうつ病といった疾病に罹患したりした人が多く登場するのですが、そこまで「生きづらさ」を感じていなくても、幼少期に多大な影響を与える親の存在は今更ながら甚大であると思いました。

考えてみれば大昔の大家族の中で兄弟もおじもおばもいとこも、使用人もいるようなところに生まれてくる赤ん坊と、今の核家族の中で(ほとんどが母親中心の)たったひとりの大人の元に生まれてくる赤ん坊では状況が全く違うんだなと。

そしてたぶん私たちの世代かもう少し上の世代が核家族の中で生まれ育った最初の世代なのだと。そこには長所もたくさんあると思いますが、なんていうのかな?やはり母親だけの限界みたいなものを感じました。母親が悪いとか、父親が育児に参加しないとか、そういう簡単な次元の話ではなく、もっと社会的、構造的、そして且つ伝統的に、いわゆる良い母親と呼ばれる人たちが一番ヤバいのかなと感じてしまったりもしました。

私自身も例にもれず、典型的なサラリーマン家庭の、父は育児は母親任せ、母は専業主婦という家庭に生まれました。裕福な家とは言えませんでしたが、十分に二人の愛情を受け、十分に教育の機会も与えられたと思います。そのことに関しては感謝しても感謝してもしきれないくらいの気持ちでいます。

でも一方、家庭の中で独裁者(=母親)がいることに気づきもしなかったことは事実です。先日も夫と幼少期の父親と母親の役割分担みたいな話になったのですが、夫が育った家庭では相談事の種類によって夫は父と母を分けていたのだそうです。日常の細かなことは母親に、大きな決断(進学や就職、あるいは金銭を伴う留学や休学)は父親にというふうに。

我が家ではそういうことは一切許されませんでした。どんな些細な相談事も大きな悩み事もまず母が窓口になり、その中から母がその情報を取捨選択して父に伝えるという感じ。もし、母をすっ飛ばして父に相談でもしようものなら、まず父が狼狽することは火を見るより明らかですし、何より母自身がそれを絶対許さなかったと思います。まるで新入社員が課長職を飛び越して、部長職の人にヘルプを求めた時のように。我が家では暗黙のうちにそんなけったいなヒエラルキーが存在していて、それを誰一人疑問視しなかったのです。

そしてここからがこの「インナーマザー」の恐ろしい正体なのですが、そのようなあまりにも強烈な母親の影響を受けて育った私には、まだ、この歳になっても幼い頃に刷り込まれた母からの言葉や態度に示された呪縛?支配?のようなもの(うまい言葉が見当たりません)から完全に抜けきれていないし、時々その「インナーマザー」が私の無意識下に存在し、今でも私を縛り続けているということに気づきました。

私は梅を育てている中で、意識的には母親をわりに反面教師のようにしています。母は子どものためが一番。自分のことは全て後回しという感じで、子育てこそが自分の生きがいであり、子どもの意見と自分の主張の区別もついていないような人でした。私自身はそこまで子どもに入れあげることはできないし、まあ、いつか独りで巣立っていくやろ~と適当に手を抜きながら気楽にやっているつもりです。でも、何かの拍子(たとえば梅が反抗的な態度をとったり、夫が私と違う子育て感を持っていたり)に、幼少期に母親から受けた一番嫌な言葉を梅や夫に対してぶつけてしまって「は!」と気づく次第なのです。

人間誰しも両親や祖父母など近しい人の影響を受けて育っているのは間違いないですし、特に子ども時代は大人と呼べる人がそのまま母親オンリーという家庭も珍しくはないと思いますが、どうも私はその傾向がやや、いや、かなり強いように感じるんです。

母も私も十分歳をとって、表面的にはきちんと親離れ、子離れができているように見えますし、自分自身もそのつもりでいましたが、心の奥深いところ、それも自分では決して覗き見ることができない深い深いその場所で、私はまだまだ蜘蛛の巣にかかった獲物のように母に絡めとられ、身動き一つ取れていないのではないか?と思うと、ちょっと鳥肌が立ちます。

これもじっくりと時間をかけて、自分の心の中の声に耳を澄ませてみようと思います。

最初の方に書いた、脱毛症の子どもさんを持つ親御さんについてですが、これもまた「インナーマザー」が強く影響していると私は感じます。

幼い頃に脱毛症にかかり、髪の毛をなくした子どもさんのことを不憫に思ったり、悪口を言われないように手立てをうったりすること自体は自然な親の愛情として理解できるのですが、

それがある一定の限度を超えてしまうと

「あなたには髪の毛がないから、人よりも劣っているのだ。」

「ハゲていることは欠陥品なのだ。」

というメッセージを知らず知らずのうちに子どもに植え付け、子どもの自己肯定感を著しく損なう傾向があるように思います。

そのように「じぶんとは普通の人に比べて劣っているのだ。欠落しているのだ。だから勉強やスポーツを人よりうんと頑張らないと認めてもらえない」と認識してしまうと、その後の人生が非常に辛いものになるのではないかと思うのです。私が長年見てきた中でも、「髪の毛が生え揃ってはじめて一人前」のような育てられ方をして成人された当事者さん達は、いい大人になっても、かなり執拗に治療にこだわったり、自分を極端に卑下したり、自分の置かれている状況を客観的に受容できない傾向にあります。

ハゲていても、治療の見込みが薄くても、勉強ができてもできなくても、スポーツに秀でていてもそうでなくても、子どもはありのままの自分をありのまま認めて欲しいという欲求を持っています。それは脱毛症の子どもに限りません。どんな子どもでも、そのままの自分をそのまままるごと受け入れてくれる存在が必要なのです。それが、一番近しい大人、父親や母親なんだろうと思います。

こうやって書くのは簡単ですけど、いざ、自分がその立場になったらそれはきっと難しいことなんだろうと思います。でも、心のどこかに「完璧な人間などいない」と刻み、子どもが間違えば親も間違う。間違ったらその都度訂正していけばいいやと。とりあえず、全力で子どもを愛することと支配することとは全く別物なのだという認識さえあれば、いろいろと複雑な親子関係をやりやすくすることができるのかなと思いました。自戒の念も込めて。

今日はちょっと長くなったし、ヘビーな内容だったかな。

本日これまで。


最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ブログ読ませてもらって、この本読みたくなりました。 (まりっぺ)
2013-01-25 13:44:45
ブログ読ませてもらって、この本読みたくなりました。
さっそく、図書館の予約しましたー。
返信する
まりっぺさん (ペパキャン)
2013-01-25 17:48:41
まりっぺさん

ああ、なんだか嬉しいな[E:happy02]
そういう人がいてくださるだけで。

読みやすい本だと思いますので
ぜひぜひーー。[E:note]
返信する
インナーマザー、初めて聞くワードですが、めちゃ... (はるか)
2013-02-16 23:02:14
インナーマザー、初めて聞くワードですが、めちゃくちゃわかります。
脱毛症の子どもにとっては例外なく成長過程の中の大部分を占め、人格や価値観の形成に何よりも大きな影響力をもつものだと思います。

私自身の母親について、インナーマザーという観点から改めて考えてみると、本当に
「ありのままを受け入れて、認めて、自由にさせるけれども、何かあったときは絶対的に守る」
という姿勢で接してくれていたなぁと感じます。

きっと、長女を襲った得体の知れない病気そのものや、これからの人間関係、成長、親としての接し方。。。あらゆる不安や恐怖があったと思います。

今思えば、学校は遅刻・早退しながら色んな病院の色んな科目にかかり、民間療法や漢方でよいものがあれば取り寄せて試し、毎日眉毛を書いて学校へ送り出す。。。必死やったと思います。

でも、私自身にはそんな面はカケラも感じさせず気付かせず、当の本人は特に死ぬほどつらい思いもせず大人になることができました。

そして、大人になってからこんな風に親の立場から考えてみると、本当に頭の下がる思いでいっぱいになります。

そういうことを、意図せずとも当たり前のこととして行動していたあたり、やっぱり尊敬できる母親やなぁー、としみじみ思いました。

改めて、感謝。

そんな私でも、やはり自己肯定感は最低ですし、自信はないし、人目を気にする性質は染み付いています。
一番身近な親という存在から、病気を「悪・恥」として育てられた当事者の方は、なおさらそういった感覚や色んな物事に対する「固執」が植えつけられているのかもしれないなー、と想像します(勿論そんな人ばかりというわけではなく、当然それぞれの環境や経験によって、大人になってからの人間性に違いは出てきますが、根底に根強くあるものとして、という意味で)。
返信する
はるかちゃん (ペパキャン)
2013-02-18 11:06:03
はるかちゃん

本当にはるかちゃんのお母様はようでけたお方やな~と思います。
きっとはるちゃん自身よりも不安や葛藤、悩み、焦りもあったでしょうに、それをはるちゃんに悟られることなく、自然に接してくださっていたのですね。

妹さんや弟さんとも分け隔てなく育てるのも並々ならぬ努力の賜物でしょう。

私が見る限り、はるちゃんの自己肯定感は決して低くないと思いますよー。
むしろちゃんと自分の脱毛症を真正面から受け入れ、仲良くしているとすら思えます。
人目を気にするのはお年頃の女性なら誰でもそうではないでしょうか。

脱毛症の方々の親御さんにはやはり、ご自分のお子さんをめいっぱいそのままで愛してもらいたいですね。悪や恥と思ってしまうのはあまりにも酷いと思います。どうしても憎むべき対象が欲しいならせめて病気を憎んで欲しい。決してお子様のせい、親御さんのせいなどとは思ってほしくないなーと強く思います。
返信する

コメントを投稿