タイトルのようなことについて、ここ何年か、ええたぶん10年くらいモヤモヤと考えているので、少し書いてみたいと思います。うまく表現できる自信はあまりないのですが。
最初に違和感を感じたのは梅が幼稚園に入ったその年(年少さん)の運動会のお昼のことでした。うららかな運動場で皆、座って、よくわからないBGMのもと、黙々とお弁当を食べる家族と子どもたち。これは、娯楽ではないよな~とまず思ったのを覚えています。少なくとも指折り数えて待つようなお楽しみでは決してないと。私たち夫婦は子どもができるまでに散々遊んで暮らしていたからそう感じたのかも知れません。
まあ、前触れのようなものもあったのはあったのです。その運動会の日が晴れるかどうかを異常に気にするお母さん方が多数おりまして。
その時点で私はお天気のことなのだから、いくら気を揉んでもしかたがないではないかと心ひそかに思っていました。最悪順延になっても予備日はあるわけだし、予備日は平日だからお父さん達が見に来られない人もいるかもしれないけど、そんなことは大したことではないと思っていたのです。だってたかが運動会でしょ。
でもたかが運動会。されど運動会だったのですね~。
まあ、梅も中学生になりまして、散々学校行事と言われるものにも参加(見学)させていただきまして、最近になって思うことは、私にとっては単なる学校行事(運動会、遠足、修学旅行などなど)は実は、ある保護者(それもかなりの数)にとっては大切な娯楽なのではないかと。
私にとって娯楽というものは、お芝居やコンサートやスポーツや、美味しいお酒やお料理や旅行や写真や、まあ、なんといいますか、純粋に自分自身が楽しめることを意味します。
もちろん夫や友達と遊んだりおしゃべりしたりすることも含まれているのですけど、そこにはあまり子どもが入り込む要素はないのです。たとえそれが自分の子どもでも。
ところがそのあたりの境界線っていうんですか?それが曖昧な人が実に多い。
私も100歩譲って幼稚園くらいの時の運動会は多少娯楽的要素があると思っています。まだ可愛い盛りですし、両親だけでなく祖父母や兄弟や従兄弟総出で、地域ぐるみで楽しめるほのぼのとしたイベントですから。子どもの成長を見守りながら写真をとったり、一緒に競技をしたりするのは楽しいか、楽しくないかと迫られれば、まあ、楽しい部類には入ると思います。
だけどそれが娯楽かと言われれば、やはり首を横に振らざるを得ません。
運動会なんてものは弁当は用意しなければならないし、場所取りもあるし、ビデオやカメラも忙しいし、何よりいろいろ役もやらされ、あんまりゆっくりできる日でもないのですね。ぶっちゃけ暑いし、疲れるし。でも学校行事(幼稚園行事)だから、それは多分に授業参観的なものであるから、母として一保護者として参加しているだけのことです。それ以上でもそれ以下でもありません。
子どもの成長を見守る(それも公の学校という場所で)というのは、親にしてみれば娯楽というよりは義務のようなものだと感じています。もちろん微笑ましい授業参観や懇談もありましたけど、ほとんどの場合はやはりしっかりチェックする方に気持ちがいっているので、それを家族全員の娯楽と捉えたことは一度もないです。
何故、こんなことを長々うだうだと書いているのかというと、上に挙げた運動会しかり、遠足しかりなのですが、保護者が子どもの学校行事にかこつけて(という言い方は極端かもしれませんが)思い切り楽しもうぜ!みたいな雰囲気が嫌なんです。もっと言えば中学の入学式に祖父母が来るのも納得がいかない。なんでジジババしゃしゃり出てくるねんと思います。そのせいで保護者が立っている人も多いのに。一人の子どもに6人もの参列とかおかしい!
先日も来月行われる梅の修学旅行の説明会がありまして、お小遣いの上限額を聞いてびっくりしました。とてもではありませんが、たかが14,5歳の子が2泊3日で使いきれるような金額ではないのです。親が渡してお土産を期待しているのか、同居しているおじいちゃんやおばあちゃん達がお餞別に渡すのかも知れません(同居率も高い地域)。でもそれより何より、修学旅行という行事を本人より親や祖父母が楽しみにして、そんなとんでもない金額のお金を持たせて、自分たちが行ったつもりにでもなるのか、子どもの行事と大人の娯楽がごちゃ混ぜになっとるんちゃうんかい?と思ったりもするのです。
私の感覚がおかしくて母性が足りないのか、保護者としての自覚が変なのか、自分でもよくわかりません。ただ、こういうことをお母さん友達とは話しにくい雰囲気がありますし、どうもこんな風に捉えている人の方が少数派のような気がしてこんなところにしたためている次第です。
保護者の数だけいろいろな価値観がある世の中ですから、こういうことに正解のようなものはないのでしょうが、私はやはり学校行事と娯楽は全く別物だと考えてしまいますね。それがどんなにマイノリティの意見であっても。