ペパキャンのサバイバル日記

円形脱毛症で髪の毛がなくなりました。今はスキンヘッドライフ満喫です。
見た目問題当事者としての情報発信中!

五輪の後は。

2004-08-31 00:00:00 | インポート
 オリンピックも終わりました。日本はメダル一杯取ってよかった、よかった。子どもの夏休みも今日で終わりです。明日から、独りの時間ができます。ゆっくり買い物ができます。本も読めます。パソコンの前にじっと座っていることもできます。

 でも、お楽しみはそれだけではありません。パラリンピックが始まるんです。私が通う手話サークルの会場を提供してくれている某障害者会館のスタッフが車椅子バスケの選手なのです。彼女は、大層小柄で、車椅子バスケでもやはり上背があるほうが絶対有利だと思うのですが、今年は金を狙いに行くそうで、10日からアテネ入りしているはずです。

 毎日のようにテレビに出てくる五輪の選手も、あれだけマスコミで騒がれるとほとんど知り合いのような気分ですが、やはり、知り合いの気分と実際の知り合いとはエライ違いでして、何とか、彼女を表彰台に乗せてもらいたいというのが本音です。たぶん、金メダルだったらテレビでも放送されるだろうし。

 全日本女子車椅子バスケ、ガンバレ!!地球の裏側で応援してるよ。


男尊女卑男

2004-08-28 00:00:00 | インポート
 夫は自分では、妻の行動に非常に理解のある優しい人間だと自負している。私の周りの人間も皆そう言うし、羨ましがられたりもするが、実は何を隠そうものすごい男尊女卑江戸時代的発想の持ち主である。やっかいなことに本人はそれを全く自覚していない。

 今日は、昼から私のボランティアの集まりがあるので、子どもを頼むと2ヶ月も前から念押ししておいたのに、夫が急に葬式に行かねばならぬと言い出した。まあ、人が死ぬのはいつも突然だから仕方ないのであるが、当然のように、自分の予定を優先させようとするその態度に、ちょっとカチンと来て、「うるさいわ。自分の予定ばかり優先させるな。」と言うと、逆ギレされた。

 私は、普段から心の中では、このセリフ、何十回もつぶやいているので口に出しても、そう違和感なかったのだけど、言われてみた夫にしてみればまあ、かなりびっくりしたようで。逆ギレの原因は、私の物の言い方にあるのだろう。根底には、「女は男の言うことに黙って従っていればいいのだ。」という彼の強い思い込みがある。

 あ~あ、朝から、馬鹿正直に自分の気持ちを口に出したせいで、ボランティアの集まりに、子連れで出かけなくてはならなくなった。あそこで、下出に出て「頼むからお葬式、早めに切り上げて~~。」とか何とか、へつらっておけば久しぶりに一人でお出かけできたかもと思うと、少しやり方がまずかったかなと思う。まあ、でも、たまには、女卑男にチクリと釘を刺すのも悪くないか。


夏休み自由課題

2004-08-26 00:00:00 | インポート
 夏休みもここまで押し迫ってくると、やはり、宿題を片付けなければということで、昨日は、自由課題(貯金箱)製作にいそしむ。息子は、まだ小学一年生なので、まあ、簡単といえば簡単だけど。

 すだちの箱に千代紙をちぎり貼りして、その上に、前に国際ボランティアのお手紙書きのイベントで使ったピカチュウの折り紙を、ぺたぺた貼ってはい、一丁出来上がり。どこから見ても親が手伝ったのバレバレでんがな。

 でも、こうやって親が宿題を手伝ってあげたり、一緒に毎日お買い物に行ったり、映画やプールに連れて行ったりできるのも、あと数年のことなのかなとしみじみ思う。40日間、私にとっては結構長くて、やりたいことも思う存分できないし、毎日、お昼作るのも面倒だけれど、やはり、これも期限付きのことなのだろう。

 子どもは、私の長い人生を、ほんの一瞬、彩る通行人にしか過ぎない。いずれは、親の元を離れて、私自身がそうであるように自分が一人で生まれてきたような顔をして、生きていくのだろう。「お母さん、お母さん。」と、うざったいくらいまとわりついてくる、この今だけが、子育ての醍醐味を味わえる瞬間なのだと思う。


メビウスの帯の上

2004-08-20 00:00:00 | インポート
 東野圭吾著「片思い」を読む。テーマは性同一性障害。トランスジェンダー諸々。思いのほか面白い内容だったので、一気に読んでしまう。

 作者は、登場人物にこんなセリフを吐かせる。「この世の全ての人は、このメビウスの帯の上にいる。完全な男はいないし、完全な女もいない。またそれぞれの人が持つメビウスの帯は一本じゃない。ある部分は男性的だけど、別の部分は女性的だというのが、ふつうの人間なんです。あなたの中にだって、女性的な部分がいくつもあるはずです。トランスジェンダーといっても一様じゃない。トランスセクシュアルといっても、いろいろいます。この世に同じ人間などいないんです。」と。

 確かにその通りかなと思う。私自身の中にも男性的な部分は、少なからずあるだろうし、夫や息子、その他の男友達を見ても、これはどう見たって「オンナでしょう。」という部分も見受けられる。男と女は正反対の立場にいるというよりは、一人の人間の中に、男性的な部分と女性的な部分を双方持ち、その日のコンディションや、TPOに合わせて、その度合いを知らず知らずに加減しているのではないか。

 私達が日頃、男性的、女性的と考える価値観は、人類が長年蓄積してきた総体性に過ぎないのではないかと思う。男はこうあるべき、女性はこう振舞うべきみたいな。でも、どんな人間にもそんな二次元的な理論で割り切れない、アンビバレントな部分は持ち合わせているのではないか。意識的にも無意識的にも。メビウスの帯の上を伝うように、私達は、男と女という境界線を行ったり来たりしながら毎日を送っているのかも知れない。


雨の日の午後

2004-08-18 00:00:00 | インポート
 世の中、アテネ五輪で楽しそうだが、我が家の息子は、退屈気味。そりゃ夏休みも後半になると、親も子もネタ切れしてきて、少々煮詰まってきている。

 仕方がないので、大阪市立科学館に行って、プラネタリウムでも見るかと思って出かけるが、平日の昼間だというのに、人、人、人。ま、人といっても子どもとお母さんばかりなのだが。午前11時に到着したのに、12時、13時ともにオムニマックス、プラネタリウム全て満席完売終了。とほほ。

 「花火のひみつ」というデモンストレーションで、ちょっと時間を潰し、展示物を見て回ると(6歳の息子にはちょっと難しいものが多い)外は雨。お昼は、昔勤めていた頃によく通ったパスタ屋が、まだ営業していたのでそこで食べる。味も店の雰囲気もまったく当時と変わらず、少し嬉しくなる。ただ、私の目の前には当時存在しなかった、息子がいることだけが違う。

 その後、阪急百貨店で化粧品を買ったり、夕飯の材料を求めるが、ここでも息子にねだられ、おもちゃコーナーへ。またしても、ガキがウヨウヨ。私は人の親ですが、子どもが、ウジャウジャいるところは、どうしても苦手。なのに、やはり、子供連れって、そんなところしか行く所がない。特に夏休み後半の雨の午後なんか・・・・。