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ペパキャンのサバイバル日記

円形脱毛症で髪の毛がなくなりました。今はスキンヘッドライフ満喫です。
見た目問題当事者としての情報発信中!

マスゲームって・・・。

2013-01-16 13:11:10 | 日記・エッセイ・コラム

運動会のシーズンでもないのに、季節感がないのがちょっと何なのですが。

日本の教育って軍隊教育?」という記事を読んで、かなり私の意見に近いのでちょっとしたためてみようと思います。

本当に日本の小中学校で行われている運動会や体育大会のマスゲーム的な団体演技っていうんですか?マスゲーム?あれ、ちょっとひどいと思うのです。

何がひどいって?

そりゃーもう、練習に決まっています。

9月の最終週か10月の第一週目に行われる本番(たかが10分程度の演技です)に向けて、子ども達は夏休み明け早々から裸足でグランドで何時間も何時間も練習させられるのです。

私が子どもだった昭和の頃はそれでもまだよかったと思います。

子どもの数自体も多かったですので、(私など特に嫌な方でしたから)多少失敗してもごまかしがききましたし、まあ、牧歌的な時代でしたからね。

それが昨今では子どもの数が少ないので、本来なら小学校6年生でやる演技を5年からやらされるんです。2学年分の生徒数がないと成立しない演技なのでしょう。

都合、子ども達は同じ演技を2年続けてやらされることになります。

しかも地球温暖化。9月の大阪の平均気温は33度から35度くらい。運動場では40度近いでしょう。そんな中、勉強そっちのけで毎日、毎日、毎日同じことをやらされる。

いつもは優しい担任の先生も人格が変わってしまったかのようにメガホン越しに怒号を浴びせる。恐怖、恐怖の連続ですよ。小学生にしてみたら、なんでこんなことを毎日汗だらけで泥だらけで、熱中症一歩手前まで行ってやらされるのか意味わからないと思います。

で、本番。

それだけ練習したのだから、まあ、一糸乱れぬマスゲームが披露されるわけです。

それを見て涙する(感激して)保護者の数々。

アホかと思いますね。正直。

感極まっておられる保護者のほうが圧倒的に多いので決して口には出しませんが、こんな軍隊教育みたいなものの賜物を見せられて、感極まるなんて感覚が私にはどうしても理解できないです。

私だってチームワークの大切さや人と協力して何かを成し遂げる成功体験というのは子どもにとって必須だと思っています。社会に出れば嫌でも気が合う、合わない関わらず、誰かと何かをやらなければならないことも多いですからね。

でも、あんなに1ヶ月まるまる授業そっちのけでやるほどのことかな?マスゲーム。

違和感を感じます。

中学に入っても状況はまったく変わらず。

毎年、毎年、梅もその練習が嫌だ嫌だと言いながら登校していました。

「また行進の練習だよ。もう、毎日行進ばっかりだよ。」と、ホトホト嫌そうでした。

本当に嫌なら学校休んでもいいよと私は言っていましたし、ぶっちゃけアトピーが悪化して

えらいことになって皮膚科にストップかけられたこともありました。

まあ、日本人はそういうのが好きなんだろうなと思います。

皆で協力して、こんな素晴らしい演技ができました的な演出が。

そういうのが大好きな保護者からは「中学に入ったらもっとすごいのが見られるわよ。感動するわよ。」と言われていたので、反吐が出るわと思い、私は中学校の体育大会は見に行っていません。精神衛生上よくないから。

大阪桜宮高校で体罰自殺した高校生のことがかなり話題になっているようですが、

そういう下地っていうんですか?要素?が学校現場にはあるということなんだろうなと思います。

もちろんマスコミが煽るほど体罰=自殺という短絡的なものではないと思いますし、死を選ぶほど辛かったことが体罰の他にもあったかもしれなくて、それが行き過ぎた体罰がきっかけになって最悪の結果になってしまったのかもしれませんが、そればかりは本人でないとわからないと思います。

昨今の保護者は体罰は躾にならないことは頭では理解していると思います。

実際子どもが悪さしても手を挙げたことがない人も多いでしょう。

でも、学校という閉じられた空間の中で起こる(起こりうる)体罰的なしごきや、スパルタには案外鈍いような気がしてなりません。鈍いというより、黙認、容認しているといった意味合いが近いでしょうか。

自分が手を汚さずに、自分は嫌わられ者になりたくない保護者たちが、その役目を体育教師や担任に押し付けているという感じがするといったら言い過ぎかな。

子ども達は目に見える勝利や美しい演技(結果)だけを追い求めるそんな風潮から、もっと強く守られなければならないと思います。大会で優勝などしなくてもチームメイトの良さは十分理解できるだろうし、力を合わせることの素晴らしさなどというものは、可視化しなくてもよいのではないでしょうか。子ども達はそういうことにかけては純粋に感じる力を秘めていると思います。大人よりずっと敏感にそして柔軟に。

思いつくままに書きましたので、読みづらかったらすみません。


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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
マスゲームじゃないですが、私も中学生の頃「私は... (カオサン)
2013-01-17 22:56:15
マスゲームじゃないですが、私も中学生の頃「私は軍人じゃない!」と思いながらこういう訓練(?)をさせられた覚えがあります!本当に「倒れてやろうか」と思うくらい、毎回うんざりしてました・・・。
私の場合、それは運動会の練習ではなくて、「林間学校に行っていかに早くきれいに整列できるか」の練習だったんですけど・・・。ばかみたいだと思いながらやってたのをよく覚えています。
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カオサンさん (ペパキャン)
2013-01-18 13:24:19
カオサンさん

>「林間学校に行っていかに早くきれいに整列できるか」の練習!!

えーーー。そんなこともあったのですね。
中学生にもなればそんなことに何の意味があるのか、不思議に思ったり反発するのは当然でしょうね。
先生たちもおかしい??と思わなかったんでしょうかね?教育現場ってそのあたりは今も昔もあまり変わってないのかもしれないですね・・・。うう、悲しい。[E:sweat02]
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凄く共感しました!スカッとしましたよ。 (かんべえ)
2013-12-14 21:34:15
凄く共感しました!スカッとしましたよ。
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かんべえさん。 (ペパキャン)
2013-12-15 11:30:37
かんべえさん。
お読みいただき、共感していただき、ありがとうございました。
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