日曜にレンタルDVDを観た。久しぶりの韓国映画。「マラソン」。実話を元に作られた映画で自閉症の男の子とその母親の物語である。見終わった瞬間は「ああ、ええ話やった。」と、すがすがしい気持ちになれたそんな映画なのだが、今日(火曜)あたりになってだんだんと別の意味でじわじわっと効いてきた。そんな感じ。
この映画は単に障害を克服したとかいう話ではない。第一私は「克服する」という概念がキライ。障害は「克服する」ものではなくて一生長い時間をかけて親友のようにうまくつきあっていくものだと考えているから。そういう意味でこの映画はよくできているなあと、今日になっていろいろな場面を思い出しながら反芻している。
私たちもよく街で見かけますよね。障害を持った子(と言っても見た目はもう大人)とその母親の二人連れ。障害の程度の差こそあれ、そういう時の母親っていうのはそりゃあもう気が張っていて、世間の荒波の防波堤のような役目を果たしているわけですよ。「何があってもこの子は私が守ってやらねば!!」という気概に満ちている。
でもね、この映画はちゃんと語っているんです。その防波堤の役目はいつかは終えなくてはならないし、母親がいつまでも防波堤であり続けることはむしろ母にとっても子にとっても不幸なことだと。今親をやっている人も、そうでない人も、障害がある人もない人もこの映画はいろいろな角度でじっくり考えさせてもらえると思います。
この映画は単に障害を克服したとかいう話ではない。第一私は「克服する」という概念がキライ。障害は「克服する」ものではなくて一生長い時間をかけて親友のようにうまくつきあっていくものだと考えているから。そういう意味でこの映画はよくできているなあと、今日になっていろいろな場面を思い出しながら反芻している。
私たちもよく街で見かけますよね。障害を持った子(と言っても見た目はもう大人)とその母親の二人連れ。障害の程度の差こそあれ、そういう時の母親っていうのはそりゃあもう気が張っていて、世間の荒波の防波堤のような役目を果たしているわけですよ。「何があってもこの子は私が守ってやらねば!!」という気概に満ちている。
でもね、この映画はちゃんと語っているんです。その防波堤の役目はいつかは終えなくてはならないし、母親がいつまでも防波堤であり続けることはむしろ母にとっても子にとっても不幸なことだと。今親をやっている人も、そうでない人も、障害がある人もない人もこの映画はいろいろな角度でじっくり考えさせてもらえると思います。