先日近所でまだ散歩したことがない場所を歩いて見ました。私達が住んでいる地域には大小180以上もの社寺が集められています。理由は定かではありませんが、上町台地の一番地形が高い場所に
大阪城の天守閣を作った際に、南側の守りが薄かったので、方々に散らばっていた社寺を集めて攻め入られるのを難しくしたらしいです。
お寺さんは京都や奈良と違い、基本開放されていません。檀家さんが用事がある時のみ入る事が出来るようになっているので、どのお寺にでも自由には入れないです。でもたまに開放されているお寺もあり、そこは自由に見る事が出来ました。
このお寺のお墓の6割にから7割のお墓に張り紙があり、いついつまでに申告してもらわないと、無縁墓として移動しますよと書いてありました。第二次大戦中の大阪大空襲で焼けたのか黒く煤けた暮石も多くあり、その殆どが、今は誰も拝みに来ない様子でした。お寺さんとしても、だからといって、さっさと退けてしまうのは心苦しいのでしょう。何年か猶予を与えて、いずれは無縁墓として処理するのでしょうが、このお墓問題は、今は社会全体が抱える課題ですね。
これは天王寺七坂の一つ、口縄(くちなわ)坂。口縄は古い言葉で蛇を意味し、蛇のような形をしているから付けられた名前のようです。
天王寺七坂については小説「
幻坂」というオムニバス形式のものがあり、読むとこの世とあの世を結ぶ結界がふと緩む瞬間が描かれています。確かにこの界隈は歴史も深いし、多くの人が静かに眠っている場所なので、歩いていてもどこか時間の歪みにハマってしまう感覚があります。
大江神社へと繋がる階段。階段の数が101段との事でした。大江神社からは江戸時代くらいまでは、今の難波より南の地域は全て大阪湾だったので、西に沈む夕陽がとても美しく見えたそうです。
夕陽丘と言う地名もそこから付けられたみたいですよ。
もちろん一番大きなお寺は
四天王寺で、その隣には
一心寺というとても大きなお寺がありますので、四天王寺を歩くと仏具屋や線香屋などお寺に関係するお店も多く、大阪が昔から商業都市であると同時に大宗教都市であったことも感じられます。
愛染坂。
愛染堂、勝鬘院(通称愛染さん)へと続く坂。
ここの愛染さんの夏祭りが大阪では一番早いです。
この右手にかつて大阪随一と言われた浮瀬亭というとても有名な料亭があったのですが、今は高校の敷地となっています。当時は海を見ながら御馳走が食べられる高級料亭であったようです。
こちらはペット専門の神社とお寺が合体したようなところですね。関西ローカルではテレビCMもやっていて結構人気があります。
清水坂。
京都の清水寺を模して作られた
清水寺がこちらにもありました。小さいけど舞台もあって、多分当時はその舞台からも海が見えたのだと思います。今は難波のビルばかりですが。
その清水の舞台にある鐘楼。背後にあべのハルカスが見えて現在と過去がクロスするショットとなりました。
天神坂。
こちらは
安居天満宮と続く坂です。安居天満宮は真田幸村が没したと言われている神社なので、戦国武将や大河ドラマの影響か、参拝する方も多いです。
碑もあります。
境内は白梅が咲き始めていました。
ウロウロ歩いてお腹が空いたので、ラーメンを食べてしまいました。
写真はありませんが、このラーメン屋さんの近くに世界最古の会社、
金剛組の本社ビルがあります。あまりにも普通の居住まいなのでうっかりすると通り過ぎてしまいます。
とにかく狭い地域にぎゅっと社寺が詰まっているという感じなので半日もあれば充分見て回れます。
沢山のお墓を見たせいか、その夜は何故か変な時間に目覚めたり不思議な夢を沢山見ました。小説の通り、このあたり一帯はやはりあの世、この世の往来が多いのかも知れません。
本日ここまで。