plalaブログからの転載

2014-04-26 12:37:10 | Weblog

追加) 日蓮宗とキリスト教




仏教とキリスト教、考え方にはかなりの違いがあるわけだけど、仏教のなかでもうちは父方も母方も日蓮宗で、子供の頃から宮沢賢治の童話の世界にも親しんできている。宮沢賢治はご存じのように熱心な法華経の信者でもあった方だ。おかげで法華経の菩薩という存在には昔から親しみを感じていた。キリスト教、カトリックの信仰をいただいてからも菩薩という存在、その生き方はキリスト教とも重なって見えるのだ。イエスさまこそは真の菩薩の道を生きられたお方とも見えるのだ。






船橋市の塚田、前貝塚あたり




今日は土曜日なので、夕方は四ッ谷のミサに行き聖歌隊に参加する予定だからたぶん、後練習などで帰りも遅くなりそうということで、朝のうちにこのあいだから気になっていること母方の実家の菩提寺、船橋市塚田の行傳寺について、歴史を調べてみた。

死んだ父は故事来歴に詳しかったから、行傳寺が父方の地元の大本山中山法華経寺の末寺だったことや、もとは法華経寺の年をとられた僧侶の隠居寺の役割を担っていたことも語っていた。父方は先祖が法華経寺の富木常忍の家臣で代々法華経寺の門前に住まわってきた家だから、末寺の行傳寺のことも知っていたのだ。

行傳寺は母方の菩提寺で、母が死んだとき父がおじいちゃんのそばに一緒にいられるようにと、墓を寺の近くに建てたから、今では父母も妹もこの寺の墓地に眠っている。この墓の位置がわかりにくくて道に迷うものだから、Googleマップをみたりして、ついでに父を見習って、この地の歴史なども調べたわけだ。

大筋は生前の父から聞いた話で正解で、この寺は室町時代にできたそうだ。父方は鎌倉時代、母方も確実なところだけでもこの寺の創立した室町時代にはこの土地にすみついていたわけだ。考えただけでも遥かな遠い御先祖さまに懐かしく有難い気分がしてくるではないか。もっともこんなことを考えるのはこちらも年をとったためかもしれないが。

船橋市の近代史を簡単にまとめたものを読むと、子供の頃、不思議だった今はない無線搭が実は大変な代物だったことがわかる。田舎の畑と田んぼばかりの土地にたっていたあの無線搭が第二次世界大戦のときには重要な働きをしていたとは驚いた。

母が、そして伯父、叔父や叔母が子供の頃通っていた塚田小学校も今や、東京のベッドタウンの近代的な小学校だ。時は流れていく。

とにかく今度妹のために墓参りに行くときは迷子にならないようにしなくては。