plalaブログからの転載

2014-04-25 18:25:48 | Weblog
昔話だ(その2)

遠藤周作先生のお名前を初めて知ったのは中学生の頃。でも実際に本に触れたのは高校生の時。当時の先生の純文学作品は正直言って子供にはむずかしかった。

小学校高学年か中学1年くらいに北杜夫先生のどくとるマンボウシリーズに出会い、大ファンになったのが始まりで北先生のお友達の作家の先生方の作品にも手を出し読み始めたのが遠藤周作先生を知ったはじめだったのだ。そして高校3年の3学期に母が急死してしまい、予定が変わって進学せずに父が再婚するまで家事のようなことをしていた時期に、遠藤先生の狐狸庵先生シリーズが出て、母の死で落ち込んでいたこころを笑いで癒していただいたのだった。実は当時は先生ご自身もご病気の再発で大変だったことを後で知った。

それと、当時読んだ先生の「留学」という作品に登場した、幼きイエズスの聖テレジアにひかれてフランスに渡りカルメル会に入会する青年の話が心に残っていた。幼きイエズスの聖テレジアといえばやはり子供の頃に初めて聞いたカトリック教会の聖人で、ずっと好きだったからなおのことだったのだ。

しかし、それから何年もたって、プロテスタントからカトリックに改宗し、シスターになりたいと思い、家を出て一人で生活し始めてある日、図書館でたまたま「死海のほとり」を借りて読むまで忘れていたのだ。死海のほとりを読んだとき、その昔読んだ遠藤先生の聖書のなかの女性たちに登場してきた話、人々は遠藤先生の心の中でこんな風にその姿を変えていったのかとわかり、それがきっかけで読者のひとりとしてファンレターを出し、以来時々手紙を書いて出していたのだ。

文学の話だけでなく、今ならブログに書いているようなことをあれこれ書いていた。後には自分の書いたお話、物語のコピーも贈って読んでいただいていた。まあ、その後のいろいろはあまり文句はいいたくない。あちらもまさか今のようなことは予想もしていなかったはずだから。

とにかく遠藤周作先生、霜山徳爾先生のおふたりは一度も直接お会いしたこともなかった頃から、こちらをカトリック教会にみちびいてこられる影響力を発揮しておいでだった方だった。

そして次はユング心理学の河合隼雄先生もいた。うちの親類が精神科の仕事をしていたので、カトリック信者だった土居健郎先生も霜山先生もこちらが直接は知らなくても実は向こうもご存知だったのだ。で、そこからユング心理学につながる。




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2014-04-25 17:08:34 | Weblog
昔話だ(その1)





もう皆様ほとんどは亡くなった方々ばかりになってしまったのだが、懐かしい方々だ。

もう半世紀以上も昔、こちらがまだ中学生のころのことだ。当時、小学校は家から2、3分の距離だったのが、中学校に入ると急に毎朝15分はあるく通学距離になり、早起きするようになって、毎日、当時の朝のラジオ番組だった心のともしびを聞くようになったわけだ。

毎日聞いていると、これは、と心に残るお話をなさる先生の存在に気がついた。シモヤマトクジさんというお名前の方でどういう方かも、どういう字を書くのかも知らず、勝手に下山得二さん?かと字を当てはめて考えていた。とにかく毎回中学生だったこちらの心にも深く残るよいお話をなさる方だったから中学高校、専門学校から就職して会社勤めするようになってからもずっとこの方のお話を聞くのを楽しみにしていた。

うちの父が案外と宗教的なところがあって(父って、当時は知らなかったけれど、実はお坊さんの子だったとかで、そのためか、かなり世間一般のお父さんとは違っていたのです)、子供の私に小さいころから聞かせてくれたような話と同じで、とても心に響くお話でした。シモヤマトクジさんのお話は、父の話と似ていて、子供の心を育てるようなものだったのだ。

それから何年もたち、こちらは成人して神保町にあった父の知人の会社で写真植字の仕事をするようになり、お昼休みというと古本屋街を歩き回っては面白い本を探して漁っていたころ、ある日、古本屋さんの棚で当時のカッパブックスの「明日が信じられない」という本を見つけて買い求め、読んでびっくり。どこかで聞き覚えのあるはなしがいっぱい。でもまだそのときは気がつかないまま本棚にしまいこんでおいたわけだ。

それからまたまた何年もたって、プロテスタントからカトリックに改宗し、あるときカンガス神父さまに話に行くと、フランクルの夜と霧を読んでみるように言われ、本を買ってふと、訳者の名前を見ると、「霜山徳爾」のお名前、はてな、どこかで見た名前?と本棚をひっくり返してさがしてみると、あの「明日が信じられない」の著者の名だったのには驚いた。

それどころか本を読んでいるうちにハタと、子供のころ下山得二さんと思い込んでいた、心のともしびの先生こそ霜山徳爾先生だったことに気がついたのだった。なんのことはない、子供のころからこちらをカトリック教会に導いてきたシモヤマトクジさんとは霜山徳爾先生だったわけだ。

そしてまだある。




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2014-04-25 13:15:18 | Weblog
二人の教皇さまの同時列聖式




カトリック教会の方向を大きく変えたヨハネス23世と、いま一歩で世界は東西の核戦争で終わりになりかねなかった状況を打開したヨハネパウロ2世の列聖式が間近だ。

あの頃のことを考えると夢のような気がする。もはや話しても誰も信じないだろう。当人のこちらもわけがわからない心境だ。その始まりがむかし、カトリック市川教会の聖堂の片隅に安置されていた小さなファティマのマリア様のご像にはじまったのだなんて、誰も知らない。

亡くなった権力者はとにかく何がなんでもその話はなかったことにすることに全力を尽くして成功したらしい。もはや誰も覚えていない。でも、世界を取り敢えず終末から救ったのはあのファティマのマリア様のご像のはなしをローマで信じてくださった方がいたおかげだ。

それがヨハネパウロ2世、伝えたのは多分今は亡きネブレダ経由ピタウあたりの筈、でももはや証明できない。父ブッシュの国際電話がうち辺りまで紛れ込んだのはそのことがあったからだ。もはやすべては霧の中。年月はすべてを覆い隠す。

だけど、せっかくここまで来たのにロシアはまた危険なことを始めている。この先どうなっていくか、非常に心配だ。