Peace!!のブログ

岐阜県富加町の古い家で、小さな店をしていました。暮らしや、ご飯について、政治について思うことなど。

6年経って、いま思うこと

2017-03-19 20:05:31 | インポート
書きたいと思いながら、なかなか書き始められずに今になってしまいました。
3月11日のあの地震から、もう6年も経ちました。地震、津波で亡くなられた方々が安らかに眠られていることをお祈りいたします。
瞬く間のような気も、あれからずいぶん色々な事があったような気も、しています。 

私はその間、ずっと岐阜で暮らしていて、ただやりきれない気持ちを抱えるだけで、手をこまねいて見ていることしか出来ませんでした。その反省の気持ちも込めて、この文章を書いています。

以前にも書いたことですが、私はあの大きな地震の後の6月にお腹のなかにいた子どもを25週で死産しました。25週というのは妊娠7ヶ月にあたり、私はこのまま重いお腹を我慢していれば赤ちゃんが生まれるのだろう、と安心しきって暮らしていました。
死産の悲しみは無くなることはありませんが、いまでは少し、整理をして考える事が出来ています。
そして、今になって分かった事。私はあの死産を通して、ほんの少しだけ震災にあった方の心のうちを感じられているのかも知れない。
だからこそ、東日本の震災、とりわけ原発事故が忘れられていくことに焦りを感じるのかも知れません。

私は死産をしたときに「まさか」という感情が一番に来ました。そんなことが起こるわけない、そんなひどいことがこの世にあるなんて。
原発事故のあと、放射能の不安に襲われた方々の気持ちも、それに近かったんじゃないかと思っています。原子力発電はとてもクリーンで最先端だし、この日本でチェルノブイリみたいな事故が起こる訳がないと信じていた人がほとんどだったから。
信じていた価値観が根底から覆され、しかも目に見えない放射能の恐怖にも耐えなくてはならない、それは土地から避難したくらいでは克服できるものではないと思います。
それでも、東北の方々(東北以外にも苦しい思いをされた方もいらっしゃいますが)は我慢をしたり、前進をしたりなさっています。本来住んでいられる家を離れ、都会でアパート暮らしをしている人も、新しい家を建てられたご家族もいらっしゃいます。
大勢の犠牲者を出したあの地震、あの津波を経験したあと、そうやって日常を取り戻すのはとても力のいることなんじゃないかと思います。


先日テレビに出ていた人が話していました「震災にあった皆さんが、辛い経験を忘れるのは良い、思い出すのもしんどいことだから。でも、僕たちは忘れてはいけない。」
と。本当にそうだと思う。東北の方々の我慢強さに甘えてはいけません。
6年も経ったのに、私達は行き先を忘れたヨットのように漂っています。原発の廃炉の仕方も見いだせず、あくまで原発をベースロード電源という政府を支持し続ける私達。
原発避難者いじめなんていう、絶対にあってはいけないことを子たちにやらせている私達。


職を奪われそうなどこかの国の大統領や、過激なもの言いの幼稚園の理事長のニュースは面白いですが、震災や原発の事も
、もっと気にしなくてはいけない気がする春です。



Peace !!の紅梅がだいぶ咲きました。 





最新の画像もっと見る

コメントを投稿