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peaの植物図鑑

草や木の花や木の実(果実)、特に山野草が好きで、デジカメを持ち歩いて撮っています。2024年3月、85歳になります。

遠野・伝承園駐車場、山崎金勢様  2016年3月29日(火)

2016年04月01日 | 史跡、名所、

2016年3月29日(火)、昼食の時間になったので、遠野・カッパ淵から伝承園駐車場にやってきま

した。この無料駐車場には立派な「公衆便所」があり、おにぎりなどを販売している「かっぱ直売組

合」があるので、ここで昼食をすませました。温かいお茶をサービスしていただきました。

(上と下)この「伝承園駐車場」の中にも、「金勢様」が祀られていました。

 

(上)この小川(小烏瀬川=こがらせがわ)の向かい側が「伝承園」ですが、前年に時間をかけて見学している

ので、今回は割愛です。

 

(上と下)この駐車場の一角に「馬っこつなぎ」というのがありました。

昼食を済ませたので、「山崎金勢様(ヤマザキコンセイサマ)」に向けて出発です。入口に到着しま

した。

(下)入口を入って少し進んだ所の道路沿いにも金勢様が鎮座していました。

コンセイサマを祭れる家も少なからず。この神の身体はオコマサマとよく似たり。オコマサマの社は里に

多くあり。石または木にて男の物を作りて捧(ささ)ぐるなり。今はおいおいとその事少なくなれり。

[『遠野物語』第十六話]

 

(上)この案内板には下記の通り書かれています。

コンセイサマ:コンセイサマは金勢様または金精様とも書き、子宝を願う婦女子が奉納されている赤い

腰枕を祠から一つ借りて願が成就すれば二つにして奉納する習慣がありました。見るとおりご神体は男

性を具象化したもので、神を信じすべてのものごとを神に結びつけた民間信仰の表れであり、この信仰

は、駒形信仰とも混同されるようにもなったが本来は生産の神として信仰をあつめたものである。(遠

野物語 第十六話)遠野市 

http://home.s01.itscom.net/sahara/stone/s_tohoku/032_konsei/032.htm [山崎のコンセイサマ]

土淵村から小国(おぐに)へ越える立丸峠の頂上にも、昔は石神があったという。今は陽物の形を大木に

彫刻してある。この峠については金精神の由来を説く昔話があるが、それとよく似た言え伝えをもつ石神

は、まだ他にも何か所かあるようである。土淵村字栃内の和野という処の石神は、一本の石棒で畠の中に

立ち、女の腰の痛みを治すといっていた。畠の持主がこれを邪魔にして、その石棒を抜いて他へ棄てようと

思って下の土を掘って見たら、おびただしい人骨が出た。それで祟りを畏(おそ)れて今でもそのままにし

てある。故伊能先生の話に、石棒の立っている下を掘って、多くの人骨が出た例は小友(おとも)村の蝦夷

塚にもあったという。綾織村でもそういう話が二か所まであった。[柳田国男『遠野物語』拾遺 第十六話] 

http://www.genbu.net/data/mutu/konsei_title.htm [山崎のコンセイサマ 金精様(遠野)]

 

(下)ヤマザキコンセイサマの社に隣接した場所に「山崎地震観測点」なるものがつくられていました。