2011年11月3日(木)、くりはらツーリズムネットワーク主催の「くりはら博覧会”らいん”2011秋 プログラムNo.30奥州街道時代ウォーク[主管:佐藤有一(萩野酒造株式会社)、協力:たびれっじ推進協議会 いわいの里ガイドの会]という催事に参加して、栗原市金成字有壁の「有壁本陣」から、当時の風情が良く残っているといわれる「旧・奥州街道」を歩いて一関市田村町の「武家屋敷」まで歩きました。
(上と下2つ)臨済宗祥雲寺(一関市台町)を過ぎ、旧国道4号線(国道342号線)をJR一ノ関駅方面へ進むと、左側に幅の広い道路があります。「釣山斎苑/一関運動公園」さらには萩荘(はぎしょう)方面への道です。道を少し入ると左側が浄土真宗正光寺、右側が曹洞宗白馬山願成寺(がんじょうじ)です。
(上)この先に曹洞宗白馬山願成寺の参道があり、重厚な山門があります。
(下)願成寺山門
(上と下2つ)参道入口に一関旧絵図がある。この絵図を見ると、奥州街道(現国道342号)と迫街道(「松尾芭蕉行脚の道」)が台町を起点に二股に分かれているのが良くわかります。
(上)「願成寺ゆかりの先人散策図」には、伊達騒動で知られる伊達兵部宗勝とその一族の墓や、一関藩校教成館初代学頭の関養軒、一関の豪商だった菅原家、磐根家、熊文家、俳諧の金森家、第九代横綱秀ノ山などの墓があるようです。
http://hitosh.web.fc2.com/10osyudo23/328ganjoji.html [旧奥州街道328/一関城下・台町~宮坂町/街道写真紀行/Hitosh]
(上)一関台町郵便局を過ぎると、宮坂町で、八幡神社の石の鳥居が左側に建っています。康平4年(1061)源頼義が安部貞任征伐のため篠見山に出陣、合戦の勝利を祈祷し八幡宮を勧請したのを寛文2年(1662)伊達兵部宗勝が現在地に遷座したとのこと。
(上と下)鳥居を潜ると、かつて一関城があったという釣山の山麓を上る長い参道(石段)があり、本殿に至ります。
釣山は古代から軍事上の要塞であり、篠見山とも呼ばれていたという。古くは坂上田村麻呂が陣地を張り、安倍貞任の弟磐井五郎家任が砦を築き、源頼義・義家親子もここに陣地を張ったといわれています。
http://hitosh.web.fc2.com/10osyudo23/329tsuriyama.html [旧奥州街道329/一関城下・宮坂町~釣山/街道写真紀行/Hitosh]
私と妻は上の大きな石灯楼の所から右側にある道を通って、今は市民の憩いの場になっている釣山公園の東側正面入り口に向かいました。
(上と下)カキ(柿)の葉が赤く紅葉していました。
(下5つ)この道沿いに植えられていたアキグミ(秋茱萸)が、真っ赤に熟した実をびっしりとつけていました。
アキグミ(秋茱萸) グミ科 グミ属 Elaeagnus umbellata
山野の日当たりのよい所に生える落葉低木で、よく枝分かれして高さは2~3mになる。河原や原野、海岸に群生することが多い。若枝は灰白色の鱗片に覆われる。葉は互生し、長さ4~8㎝、幅1~2㎝の長楕円状披針形で縁は全縁。葉の裏面と葉柄には白い鱗片が密生する。
4~5月、葉のつけ根に黄白色の花が数個ずつ集まって咲く。萼は長さ5~7㎜の筒形で、外側は白い鱗片に覆われ、初めは白いが、後黄色に変わる。果実は直径6~8㎜の球形で、10~11月に赤く熟し、やや渋いが食べられる。実は生で食べると渋味が口に残るので、果実酒などに利用される。
グミの仲間は全体に鱗片や星状毛があるのが特徴で、花には花弁はない。筒状の萼の先端が4裂して花弁のように見える。雄しべは4個で花糸は短く、萼筒の内側につく。雌しべは1個で、子房は萼筒の基部にある。花の後、萼筒の下部が肥厚して液質になった部分が食べられる。
用途:庭木、器具材。分布:北海道(渡島半島)、本州、四国、九州、沖縄、朝鮮、中国、台湾、ヒマラヤ、カラコルム。
[山と渓谷社発行「山渓ポケット図鑑3・秋の花」&同「山渓カラー名鑑・日本の樹木」より]