2011年11月3日(木)、くりはらツーリズムネットワーク主催の「くりはら博覧会”らいん”2011秋 プログラムNo.30奥州街道時代ウォーク[主管:佐藤有一(萩野酒造株式会社)、協力:たびれっじ推進協議会 いわいの里ガイドの会]という催事に参加して、栗原市金成字有壁の「有壁本陣」を見学した後、当時の風情が良く残っているといわれる「旧・奥州街道」を一関市田村町の「武家屋敷」まで歩きました。
「有壁本陣」の向かい側の民家の庭に植えられているサザンカ(山茶花)が紅紫色の花を咲かせていました。
「有壁本陣」の前を過ぎて有壁宿を出た奥州街道は、有壁の街道筋で最北の民家がある辺りの少し先を左手に分かれ、「伊勢堂林道」に入る。

「伊勢堂林道起点」の標柱が立っている所から100mほど進んだ所の左側に「旧・奥州街道」の入口がある。この道は、かつて肘曲がり坂と呼ばれていた坂道で、当時の道筋が良く残っている。この分岐点を道なりに右手にカーブしているのは旧街道とは無関係の自動車が通れる林道(下)である。
http://hitosh.web.fc2.com/10osyudo23/320isedo.html [旧奥州街道320/栗原・有壁伊勢堂~大沢田/街道写真紀行/Hitosh]
分岐点から大沢田へと坂道を上り、県境を越えて岩手県の一関側(一関市真柴)に下りる。この辺りの街道筋の下を、今は東北新幹線の第二有壁トンネルが貫いている。もちろん、街道からは分からない。旧道は現在は格下げされて岩手県道260号一関平泉線になっている旧国道4号線に合流する。(下)
旧・奥州街道を下って旧国道4号線(現在は岩手県道260号線)に合流した箇所の向かい側に、この日昼食をする三八五引越センター(一関市真柴字祈祷1-1)がありました。主催者がトン汁などをつくって待っていてくれました。
(上)岩手県道260号一関平泉線に格下げになった旧・国道4号線を一関市街地(「一関宿」)に向って歩いて行きます。
(上)右側前方に東北新幹線の橋脚が見えます。国道4号バイパス線ができるまでは、ここが国道4号線でした。
(上)鬼石。この旧国道の左手の少し先の田んぼの一角には、鬼石がありました。また、兜石、背骨石というのもありますが、街道から少し東に入り込まないと見えない場所にあるとのこと。高台の民家の前が目印で、鬼石と共に坂上田村麻呂がこの地で鬼を退治し、死骸を埋めたと伝えられる伝説の石です。3つの石に、それぞれ「兜石(男)」「兜石(女)」「背骨石」と書かれています。「鬼死骸」という地名の由来といわれています。
http://www.museum.city.ichinoseki.iwate.jp/icm/02collection/det53.html [鬼死骸村絵図(一関市博物館)]
http://www.nishi-iwai.org/ubusuna/n/n015.htm [鬼死骸八幡神社]
(上と下3つ)旧道は鬼石がある田んぼのすぐ先でこの県道から左に分かれ、東北本線・的場踏切を横切って千葉栄之助氏宅前を右折。本来の街道は牧田橋の先で県道から左に入り、千葉氏宅付近に出ていたというが、この間の道筋は残っていない。(無明舎出版発行「奥州街道」より]
(上)千葉栄之助氏宅。つるべ井戸があり、懐かしく眺めていたら、朝顔の蔓が絡み付いていました。また、その後方にはサザンカ(山茶花)が、紅紫色の花を咲かせていました。
サザンカ(山茶花)ツバキ科 ツバキ属 Camellia sasanqua