日本でもかつて、他国、特に中国、韓国に対する差別語があった。 無論今ではその使用は厳しく制限され、すでに知ってる人も少なくなった事だろう。 テレビで使うなど日本ではもっての他だ。 政治家はむろん、お笑い芸能人であれ大きく問題視されるし、もし、放送したテレビ局、雑誌社も一般国民より厳しく非難される。
中国で日本を言う時の差別語は『小日本鬼子』。 中国では、いかにこれが日常的にテレビで使用されているか・・・ ある時は憎しみを込めて、ある時は小ばかにして・・・・・ むろん政治家が使う事はないが、公のメディアで未だに容認されている。
今の時代、有力者、有名人は冗談も言えない。 マスコミのみならず、インターネットで興味本位であっという間に、それも世界中に発信される。 確かめる手段もなければ、むろんその前に興味がなければ、確かめるまでもなくその内容を信じてしまう。 それを意図的に“大衆操作”という事になれば、言われた方はたまらない。 防衛しようもない。 一旦、人が信じた、思い込んだ事を変えるのは大変な事だ。
ここに日本と中国の文化、道徳レベルの格差を強く感じる。 逆であればどれほど叩かれる事だろう。 国と国の友好を言うのであれば、まずそこを規制して欲しいもの。 テレビその他でこの言葉を聴く度に不愉快極まりない。 中国はこの言葉を使う事で、日本国民の感情を逆なでしているのは事実だ。
中国は既に先進国であり、世界の経済を引っ張る国だ。 ただ、それは経済的影響力と言う上での話であり、文化、道徳の上ではまだまだ途上。 この成長はものすごく遅い。
過日市内より列車に乗った。 始発駅で相当な人。 ドアが開くや、その乗り方たるやものすごい。 すさまじい。 どうしてそこまでして座りたい? まず危険でしょ。 私は身を引くばかりだ。
しかし一方では、私の日常生活において、中国国民の中に礼儀正しい人が非常に増えた。 今までは割り込みが当然の国で、『どうぞお先に・・・』 こんな機会が確実に増えてきた。 国も道徳を取り戻せと国民に訴えている。 ならば・・・・ まず、他国、それも同じアジアの国に対する差別語は規制すべきではないだろうか。
日本ではどんな関係であろうと絶対にこのような差別語は使用しない。 アメリカでは最近イチローの件が話題となっているそうだ。 その際のコメント。
「チョップスティックは強打者のヘビーバットに対する『軽いバット』の意味で、コーン氏にイチローを侮辱する意図は全くなかったと思う。最近米国では人種差別的な発言を常時監視して、すぐに大げさに問題視する傾向があり、これもその1つだ。私自身はこの論議そのものが、ばかげていると思う」 私も、ここまでの必要はないと思う。
経済の成長はいつまでも続かない。 成長が落ち着いた時、幸福感が生まれるだろうか? ある個人経営者である中国人が寂しい顔で私に言った。 『子供がいなければ私は今でも死にたい。 毎日、毎日お金の心配。 私は何のために生きているの?』
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